7.逃避
三度バスの最後列に座る。突然のUターンに思考を乱されながら一時間ほどバスの揺れを体験し元のニュータウンのバス停に帰ってきた。
今回はあの不思議な親子に会う事も無く、他に乗車客はいないままここまでやってきた。
「有難うございました、気お付けて下さいね」
「有難うございます」
バスの運転手にお礼を言いながらバス停に降りる。再びこのニュータウンに戻ってきてしまった。二度と来ないと思っていたのに、気が付けばこの場から出られなかった。何かの手の内の踊らされている様な、誰かに見られているようなとても嫌な感じがする。
思えばトンネルの崩落事故もそうだ。
本当にそんなに都合よく崩落事故が起こるのか。まるで私が帰る事を拒むかのように。
もしかしたら私はこの場所から出られないのではないか。
益体無い考えが浮かんでは消えていく。何も信じられない。
この街がすべて奇怪な生き物のように感じられた。
腕時計を見るともうすぐ十八時になろうとしている。仕方なく今日予定していた温泉宿へキャンセルの電話を入れると、再びこの街の宿に向かう事にした。
できるだけ人に合わないよう商店街などの表通りを避けて住宅街の中の裏通りを使う。勝手知ったるわけでは無いが、中学時代から変わらぬ街並みは特に大きな変化も無く、道に迷うような事は無かった。
しかし、よくよく見れば目につく家の玄関の隅などにあのお札が貼ってある家が結構な割合で存在した。この街はいつの間にか件の新興宗教に乗っ取られているのではないか、と思わせるに十分な割合だった。
そんな中を足早に抜ける。時たますれ違う人すべてが異界の住人の様に思えてくる。そうではないと頭では否定しても、心が拒否してくる。軽い震えを帯びながら周りに注目されない程度に急ぎ宿へ向かう。
宿は変わらずそこに有った。当たり前ではあるが、少しほっとした。注意深く観察するが、宿の玄関口にはあのお札の類は見受けられなかった。
とりあえず玄関を潜りチェックインするためにカウンターへ向かう。流石に平日の最中、こんな辺鄙な場所では満室と言う事は無いだろうと思いながらも気が競ってしまう。
「いらっしゃいませ」
カウンターのベルを鳴らすと奥から女将さんが現れた。当たり前だが今朝チェックアウトをした時と同じ格好のままだ。
「あら、蓬田さんお帰りなさい。どうしました?」
「いや、実はもう一泊しなければならなくなって…」
駅前での出来事を話しながらチェックインの手続きを済ませる。昨日と同じ部屋が空いていると言う事で、そこにしてもらった。
「それはそれは、不幸な出来事が重なりましたねぇ。お食事の用意もできてますけど、どうなされますか」
少し神妙な顔つきをして女将さんは鍵を手渡してくる。
「良ければいただけますか」
ご厚意に甘え夕食をいただく事にする。今日はもう外に出たくない。
「それじゃ、すぐに用意しますね。荷物置いたら食堂に来てください。場所は、ご案内しなくても大丈夫ですよね」
「はい、昨日も泊まりましたから。有難うございます」
荷物を持ちロビーを抜けるとそのまま二階の部屋に向かった。
部屋に入ると奥に布団が引いてある。ちゃぶ台の上にはお茶とお茶菓子が用意されていた。昨日も食べた餡子のお菓子と味噌漬けの漬物だ。昨日はビールと一緒に食べたが、今はそんな気分でもない。
とりあえず荷物を置き、上着をハンガーにかけてから部屋から出て食堂に向かった。
頂いた夕食は揚げ物を中心とした定食だった。食欲は無いかと思っていたが、食べ始めてみると意外と空腹だったのかペロリと食べ終わってしまった。最後にお茶を頂き、ぼんやりとテレビの地元のニュース番組を観ていた。そもそもそれほど伝えるべきニュースも無いのだろう、地元の特産品の紹介等画面の中の風景は平和そのものだった。
ニュースが天気予報に切り替わった時、食堂に二人連れの客がやってきた。今朝がた朝食の場で見かけたサラリーマン風の二人だった。連泊するのだろうか、朝見た時と違いすでに浴衣を着ていた。二人に訝し気な目で見られるのを避けるように食堂を出る。
部屋に戻ると、そのまま準備をして大浴場へ向かう。朝から感じている纏わりつくようなこの不快な感じを洗い流したかった。相変わらず風呂には誰も客が居ない。節電の為かところどころ明かりの落とされた薄暗い風呂場で湯船につかると、暗く深い闇に吸い込まれそうになる。
精神状態に影響されているのだろう、シャワーを浴びているとと兎に角後ろが気になった。振り返る勇気は無かったが正面の曇った鏡を何度も拭いて後ろを確認する。ぽたぽたと落ちる蒸気の雫が妙に耳障りである。
湯船にゆっかりと浸かる事も無く、足早に風呂場を退出する。そのまま部屋に戻ると扉の鍵をかけすべての部屋の電気をつけて回る。
明日は列車は動いているだろうか。不安に押し潰されそうになりながら部屋でまんじりともせず過ごす。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
夢を見た。
そこには大量に人形が有った。
その人形は日本人形であったり、フランス人形であったり、ソフトビニール製の人形であったり、様々だ。
その人形達が一斉にこちらを向く。
その人形達は無表情のまま唐突に動き出し追いかけてくる。
逃げる、どこまでも逃げる。
追い付かれそうになりながらも何とか距離を保ち逃げ続ける。
目の前に建物が見えた。
古い庄屋の屋敷の様な建物だった。
まるで伝承に聞く迷い家のようであった。
人形に追い付かれないように屋敷に転げ込む。
振り返ると人形達は門前でピタリと止まっていた。
家の中をさ迷う。
広い家だった。
食卓だろうか、円形のちゃぶ台に食事が用意されていた。
しかしそれは小さい。
まるでおままごとで使うおもちゃの食器の様だった。
一瞬眩暈がした。
その間に四体の人形が食卓についている。
おとうさん、おかあさん、おにいちゃん、いもうと。
折角の家族団らんを妨害されたかのように人形達は一斉にこちらを向く。
慌ててその場を離れる。
広い屋敷を迷いつつ奥へと進む。
目の前の襖を開けると、恐らく奥座敷なのだろう、広い部屋に迷い込んだ。
部屋の中央には豪華な雛壇がある。
七段飾りの本格的なものだ。
本来なら赤い幕が張ってあるだろう段には白い絹布が掛けてある。
新王は人形も衣装も真っ白だった。
三人官女も、五人囃子も、随臣も、仕丁も、
全ての人形が真っ白で衣装も白かった。
突如、その白いキャンバスに赤いまだら模様が浮かぶ。
まるで誰かの血を浴びたような、赤い、赤い色。
くるりと回転し、男雛が一段段を落ちる。
続いて女雛が同じように段を落ちる。
どんどん、どんどん、まるで駆け下りるように段を転げ落ちる。
それに続き、三人官女が、五人囃子が、随臣が、仕丁が段を転げ落ちていく。
すべてが雛段から落ちる。
不思議と横を向いたり、仰向けになったりしている人形は無かった。
すべての人形がこちらを正面から見つめていた。
赤い、赤い、人形。
それらが少しずつこちらに近づいてくる。
慌てて逃げようと、後面の襖を後ろ手に開けようとした。
しかしピタリと張り付いた襖は、まるで初めからそこに建てられた壁の様に動かなかった。
赤い、赤い、人形。
真っ赤な人形が眼前に迫り
そこで目が覚めた。
無機質な人形がこちらを襲ってくる、嫌な夢だった。
こんな夢を見たのは井上先生から少年たちの話を聞いたからだろうか。
夢を見て以降、眠る事が怖い。
今まで起こったメモはあらかた書き終えた。どうにも判然としない不可思議な体験である。何が真実で、何が嘘なのか。現実なのか夢なのか、或いは自分がおかしくなってしまったのか、分からない事だらけだった。
ふと、床の間にかかった掛け軸が気になった。なぜ気になったのかは分からない、そこから何か視線の様なモノを感じたからかもしれない。よくある達磨大師の掛け軸だった。掛け軸自体には何もおかしな所は無い。
ゆっくりと近づき掛け軸をめくる。嫌な予感は当たった。そこには確かにあのお札が一枚貼られていた。一瞬頭が真っ白になる。その勢いのままお札を引き剥がすと丸めて思い切り投げつける。
部屋を見回すと隅の隅まで観察する。色々と漁ったところ、通常では見逃してしまいそうな場所、部屋の四方に計四枚のお札が貼り付けられていた。
すべてのお札を剥がし丸めると灰皿の中で慎重に燃やす。すべてが灰になったことを確認すると、その灰をトイレに流す。
一通りの作業を終えると部屋の中央に戻って座った。この宿もあの新興宗教の手が入っているのかもしれない。そもそも、ここで隆敏は「おしろいさま」を見たんじゃないのか。なぜ戻ってきてしまったのか。状況に流されるようにここまで来てしまった自分に涙が出てくる。
不安が腹の中を迫り上がってくる。明日までこのまま正気を保って居られるだろうか。
ジリリリリン、ジリリリリン
突然部屋据え置きの電話が鳴る。昔懐かしい黒電話がけたたましい音を鳴らす。
ビクッと筋肉の痙攣をおこし身体が固まる。部屋に直接電話を掛けてくる手合いに知り合いはいないはずだ。枕を電話に押し付け強引に音を消す。枕越しに微かに電話の音が聞こえてくる。執拗になる電話のベルは二十回ほど繰り返されたであろうか、いつの間にか鳴りやんでいた。
枕を放り出しへたり込む。呼吸がうまく取れない。
荒く息を吐きだしながら額に浮かんだ汗をぬぐいとる。
暫く茫然としていると、小さくノックの様な音が聞こえてきた。
いよいよ幻聴が聞こえてきたと身を固くする。
ノックの音は消えるどころか段々と大きくなってくる。
よほどの事が有ったのかもしれない、耳を塞ぎたくなる気持ちを抑えて扉へ向かう。
するとノックの音にかぶって自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「達雄、達雄! 大丈夫か、達雄!」
声の主は隆敏の様だ。心配そうな焦った感じで戸を叩いている。
「た、隆敏か、すまん、今開ける」
慌てて戸を開け隆敏を迎え入れる。何かを気にするようにきょろきょろと辺りを見回しながら隆敏が部屋に入ってくる。
「大丈夫か!」
部屋に入って開口一番、こちらの状態を心配してきた。
「大丈夫だが、なんだいきなり」
「いや、お前が電話に出なかったから心配になってな」
「電話に出ない?」
「お前のスマホ全然つながらない。電池切れてるんじゃないのか? 仕方ないからロビーの電話借りて室内にかけたけどお前全然出ないし」
そう言われてここ数時間スマホを確認していない事に気が付いた。慌てて確認すると電池が切れているのか、電源ボタンを押しても反応が無かった。
「すまない、スマホの事すっかり忘れてた。それにしても、部屋にかけて来たのもお前だったんだな」
「何かあったのかと心配したわ。ロビーで女将さんに聞いたら確かに部屋に帰ったと言ってたのに、お前全然出ないし。部屋で倒れてるんじゃないかと思ったわ」
本気で心配してくれているのか大分焦っていたようだ。部屋にあるお茶を入れ一息付けさせる。
「それで、なんだよいきなり来て」
「お前が心配だったんだよ、今日帰るって言ってたのに、こっち行きのバス乗ってたって情報も入ってきたし。そうなると泊まるとこなんてここしかないだろ? だから直接来た」
「それはすまない。なんか俺にも良く分からないんだけど、いろいろと事情が重なってここから出られなくなったんだよ」
簡単に今日のあらましを話す。すると隆敏は訝しげ考え込むと、こちらが想像しない事を言ってきた。
「おい、それ本当にトンネル事故あったのか?」
「え、何言ってるんだ。だって駅員がそう言ってたんだぞ」
そう言うと、不思議そうな顔をしながらスマートフォンを見せてくる。
「だってよ、そんな大事故ならニュースになってもいいもんだろ。トンネル崩落なんて地方版のニュースサイトすら乗ってないぞ」
「いや、でもバスの運転手も確かにそう言って…」
確かに食事中に見る事も無く流し見していたテレビのニュースでもそんなニュースは流れていなかった。
「仮にトンネル崩落が事実としても、旧道が有るんだ。タクシー使ってでも隣街には行けるだろう」
「でも、駅員はここにタクシーは来ないと…」
「そんな訳あるか。俺は隣街での飲み会帰りなんかで偶に使ってるぞ。結構な金額かかっちまうが、それ目当てでロータリーには常にタクシーが止まってる」
まさか駅員が嘘をついていたのか。しかしそうなるとバスの運転手も同様に嘘をついていたと言う事になる。
なぜそんな事をするのか。私をここに閉じ込めて何の得が有るのか。
全く分からない、意味が分からない。混乱した頭を抱えうずくまる。
「まあいい、おい出るぞ」
隆敏がうずくまる私の腕を引いてくる。
「出るって、何が。どこに行くんだ…」
「ここを出るんだよ、車で来てる。お前を隣街まで送ってやる」
私を立たせると、隆敏は散らばった荷物をまとめボストンバックに詰めてくれる。
そのまま私の手を取ると扉を抜ける。
私は慌てて靴をつっかけ後に続く。
「おい、そっちは逆方向じゃ」
ロビーに向かうのとは逆方向に歩く隆敏に向かって声を掛ける。
「ロビーから出たら見つかっちまうだろ。金は先払いだろ、裏口からとんずらこいても大丈夫だろう」
音を立てないように、その中で全速で動きながら裏口を抜ける。
駐車場の隅に止められていた隆敏の車の助手席に乗り込む。
エンジンをかけアクセルを踏む。
できるだけ音を立てないようにゆっくりと宿の敷地内から出ると、そのまま制限速度を超えてアクセルを踏み込む。
ヘッドライトの明かりを頼りに街灯の少ない夜道を駆け抜ける。
バス通りを進む。このまま県道を進めば駅前まで出ていづれ崩落しているというトンネルまで行くだろう。
しかし隆敏は途中でわき道に入る。
「トンネル事故が嘘ならこのまま行っても良いかもしれないんだけどな。何が有るか分からんから念のため旧道を行くぞ」
旧道は細い蛇行した道だった。
くねくねと曲がるカーブに体重を持っていかれながら助手席で一息つく。
「落ち着いたか?」
「ああ、すまない。おかげで助かった」
スピードを落とし安全運転になる。
遠心力の影響が低下し、過ごしやすくなる。
「一体何が起こってるんだ、なんで俺なんだ」
「すまない。俺にも詳しい事は良く分からない。だがしかし、あの新興宗教が関わっているのは確かだ」
「新興宗教なんて、胎伽の光なんて同窓会で初めて知ったんだ。知り合いだっていない。それなのになんで巻き込まれないといけないんだ」
宵闇に少しずつ霧がかかってきた。舗装はされているが、細く狭い道、ガードレールもところどころ無いところがある旧道のため、徐々にスピードを落とし注意深く運転する。
いよいよ霧が濃くなってくる。
すると隣で運転していた隆敏が青い顔をし突然苦しみだした。
「おい、隆敏大丈夫か」
「すまない…」
路肩に車を止めハンドルに突っ伏す。
息が荒く、冷や汗をかいているのか顔色も悪い。
「すまない、運転変わって貰えないか。この道は一本道だから大丈夫だと思う」
「わ、分かった」
慌てて外に出て運転席に向かう。
外は思いのほか冷やりとした空気が漂っていた。
隆敏を後部座席に移し、自分の荷物を枕代わりにし横たえる。
そのまま運転席に付くと車を発進させた。
「大丈夫か?」
「大丈夫だ、突然気持ち悪くなって…。すまんな」
「これも何かの影響なのか」
「そんな事あるわけないだろ…」
力なく否定する隆敏の言葉を聞きながら慎重に運転を行う。
暫く旧道を進んでいると、隆敏が話し始めた。
「聞いてくれ達雄」
「なんだ、どうした?」
「すべては健介が自殺した時から始まったんだと思う。いや、健介が自殺に追い込まれた時から、かもしれない」
こちらは相槌を打つだけにし、隆敏に続きを促す。
「俺ら四人、中学時代からいつも一緒にいたよな」
「ああ」
「美晴と健介は幼稚園からの付き合いらしい」
「そう言ってたな」
「健介が悩んでいた時、美晴がいつも相談に乗っていたらしい。あの時もそうだ。健介が仕事で悩んで、いつしか家から出てこなくなった。鬱だったんだ。美晴は毎日のようにアイツの家に行って話を聞いていた」
隆敏が少し身動きする様子が背後から感じられる。
「そんな事もあり健介の病に悩んでいた母親は、知り合いの宗教家に助けを求めた」
「それが…」
「それが胎伽の光だ」
健介の部屋を見た。あの偏執的にまでお札が貼り詰められた部屋。それもすべて胎伽の光のお札だった。
「胎伽の光のおかげなのかは分からないが、健介は少しずつ回復していった。それを感じた母親は胎伽の光に感謝し、そして熱心な信者になっていった。もちろん健介も」
「健介も…か」
「そして、毎日のように健介の部屋に通っていた美晴も胎伽の光の信者になるのに時間はかからなかった」
次第に回復する健介を見て胎伽の光の力を感じたのだろう。それが偶然だとしても、信者になるためのハードルは低かったのだろう。
「それからは地獄さ。回復したと思った健介は、しかし何の原因か自殺しちまった。自殺した原因は信仰心が足りなかったせいだと思った母親と美晴はますます胎伽の光にのめりこんだ」
「なんで、健介は自殺したんだ」
「さあな、詳しい理由は分かっていない。遺書も無かった。だが胎伽の光が関係してると、俺は思っている」
いやに確信的に隆敏が話す。
「なぜ?」
「あいつ、最後の夜に俺にメールを送ってたんだ」
「遺書か?」
「違う。最後のメールの文面はただ一言『おしろいさまが来る』とだけ入ってた」
「おしろいさま。それってお前が昨日の夜に言ってた。何なんだ、おしろいさまって」
隆敏がおしろいさまと呟き、驚愕の表情をしていたのはよく覚えている。
「おしろいさまってのは、言わば神だ」
「神?」
「胎伽の光の信仰対象、ご神体がおしろいさまだ」
ご神体がおしろしさま?
「よく、分からないな」
「だろうな。もともと胎伽の光は菩薩様を信仰していたらしい。しかしこの土地にやってきて、この土地の土着の信仰を取り入れ、おしろいさまを改めてご神体にしたそうだ」
「土着の神、この土地にそんなのが居たのか」
寡聞にして聞いたことが無かった。中学時代はそんな事には興味を示していなかったから仕方が無いのかもしれない。
「淡嶋神社知ってるか?」
「淡嶋神社。ああ、今日少し立ち寄ってみた」
「そうなのか。あそこに祀られてるもの知ってるか」
「白い雛人形って聞いたな」
「そうだ。そしてそれがおしろいさまの正体だ」
「白い雛人形が?」
白い雛人形。夢で見た人形、赤い、赤い…。
「どうしてそうなったのかは分からない。しかし白い雛人形は確かにあの神社に祀られている。白いはずの衣装は赤黒く変色して」
「赤黒く…」
赤いまだら模様。まるでそれは血しぶきが吹きかけられたように…
「その雛人形は見たものを呪うと言われている」
「呪うの、か」
「呪う。しかし、呪いだけではなく、福ももたらすと言われている。きちんと祀ればそれ相応の対価を寄こす」
対価。迷い家の様な家に祀られている雛人形。
「それがおしろいさまの正体だ。そして俺は見たんだ、昨日あの時にお前の後ろに人形の姿を」
「俺の後ろに…」
白い雛人形が、こちらを見つめてくる。
「だから慌てたよ、あの時は逃げちまったが、今日になってもお前が帰ってないと言う。宿に行ってみたら部屋から出てこない。これはおしろいさまに何かやられたんじゃないかと不安になっちまった」
「ああ、すまない」
「なあ、俺昨日、胎伽の光の信者は二百人くらいって言ったろ」
「言ってたな。今までの話を聞くとそんなに少ない様には思えないが…」
「ああ、そうだよ。M市ニュータウンはすでに胎伽の光に乗っ取られている」
乗っ取られている?
何を言ってるんだ…
「もう、あそこには胎伽の光の信者しかいないと言ってもいい。信者じゃないのはもう少数だ。そしてそれもどんどん引っ越してしまって、これからも減り続けるだろう」
「そう、なのか」
「ああ。あの駅員もバスの運転手も恐らくタクシー会社も、全て胎伽の光の息がかかっている」
「そんなに大事なのか。そんな、話はどこでも聞いたこと無いぞ」
街一つが新興宗教に乗っ取られているなんて、そんな馬鹿な話。
「街が新興宗教に乗っ取られてるなんて誰も信じてくれないさ。胎伽の光の信者達もそうだ、自分たちが信者だと大っぴらに公表してなんかいないしな」
後部座席に横になっていた隆敏が起き上がる。
「なぜかは分からない。でもお前は胎伽の光に狙われた。そのせいでこんな事になっている。それは確かだと思う」
「そんな、馬鹿な事」
「馬鹿な事でも実際に体験してるんだ、信じてもらうしかない」
いつの間にか車は旧道を抜け県道に入っていた。いつしか立ち込める霧も消えていた。
「そこ、右だ」
隆敏の指示に従い運転する。気が付くと目の前に大きな駅のロータリーが見えた。
「到着だな」
「ああ、有難う」
「お別れだ、もう帰ってくるなよ」
ボストンバックを私に手渡しながら隆敏が声を掛けてくる。
「なあ、お前…」
言いかけた事はあるが、言葉を飲んだ。
「いや、なんでもない。じゃあな、手紙くらい出すよ」
「ああ、お疲れ」
そのまま到着していた列車に飛び乗り、新幹線に乗り換える。
とりあえず自宅に帰ろう、そう思いシートに深く腰掛ける。
昨日あの土地へ行ってから感じている淀んだ空気はしかし晴れてはくれなかった。
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