第三十一話 転進

 それは、あまりにも理不尽な暴力だった。


 まさしく嵐。天災の具現。


 三百から成る人造人ホムンクルスの大部隊。食屍鬼グールとの戦闘によってその半数が既に喪われていたが、それ自体は想定の範囲内だ。そのまま敵勢力の全てを消耗戦ですり潰せる……筈、だった。


 しかし―――


「アレは……アレは、一体……」


 悪夢にうなされるように。

 しかししっかりと両の目を見開いて、副官が唸る。


 敵に合流した援軍によって、人造人ホムンクルスの部隊は完全に殲滅された。


 その数、たった一騎。


 一人の食屍鬼グールの女戦士と、見たこともない怪物。

 黒雲を伴って現れた災禍が、あっという間に百以上の人造人ホムンクルスの兵を薙ぎ払ってしまった。


 信じ難いが、現実である。


 故に驚き、当惑することしかできない。


「……退くぞ」

「……はっ?」


 おもむろに、領主が告げる。

 対して、副官は長年培ってきた礼儀やへつらいの一切を忘却して、勢いに任せて上官に食って掛かった。


「なッ、なにを言うのです! 冗談じゃない! まだたかだか、人造人ホムンクルスの兵の一部を失っただけではありませんか! こちらの本陣にはまだ五百の兵がいます! それに天使の力を合わせれば必ず―――」

「……食屍鬼グールの王を、第004号砦へ移送する、当初の任務、は、今しがた完遂、した。これ以上、この場に留まる必要、は、ない」


 三体の〈すろーね〉が映し出している遠方の光景。

 その内の一つは第004号砦の映像だ。領主が言った通り、送った部隊は食屍鬼グールの王の移送を終え、こちらへと引き返してきている。


「それがどうしたというのですか!? 目の前の敵をみすみす―――」

「くどい。……天使よ」


 語気を荒げて詰め寄る副官を、一瞥もせずに一言で切って捨てる。


 領主が腕を掲げると、緩やかだった天使の回転が急激に勢いを増した。


《“Ah―――――”》


 やがて発光し、帯電し。青白い光によって辺り一帯が包まれる。

 領主と副官、そして五百の人造人ホムンクルス兵が光に飲み込まれた。


 輝きが一際強くなり――消える。


 上級天使――中でも第三位階ビナーに属する座天使スローンズ種の天使のみが行使できる奇跡。

 いわゆる転送魔法――その発露だった。

 天使の力によって、二人の人間と五百もの人造人ホムンクルス達は、彼等の拠点である第003号砦へと一瞬にして移動したのである。無論、力を行使した三体の天使もそちらへ移動していた。


 後には、使い捨ての陣だけが残された。


 * * *


「―――なんで来たんだ、この馬鹿娘!!」

「痛いっ!?」


 怒号を浴びせ、コナはモニカの頭に拳骨を落とした。


「まったくもう、アンタって子は! どうしてそう、いつもいつも親の言いつけを守らないんだい!? 今日という今日は許さないよ! オラ! 尻を出しな!!」


「ちょっ、母さん! 今はそれどころじゃ――痛いっ!!」


 暴れるモニカを脇に抱えて抑え込み、コナは連続して娘の尻に平手を叩き込んだ。肉を打つ瑞々しい音がリズミカルに鳴り響く。


 折檻せっかんを止める者はいない。


 生き残った食屍鬼グール達は皆、遠巻きに眺めているだけだった。その表情は一様に困惑の相である。


 そこへ、カトゥーラが水を差した。


「ちょっと。そういうのは帰ってからにしてくれないかしら」

「あァん!? 親子のことに部外者が口を出すんじゃないよ! アンタは黙ってなカトゥーラ!」

「別に折檻を止める気はないわよ」

「そんなぁ……! ひぎぃっ!?」


 強烈な一撃を叩き込まれ、モニカが悲鳴を上げた。


 カトゥーラは呆れ気味に目をすがめつつ、口を開く。


「……改めて言わせて貰うけど。今はそれより重要なことがあるでしょう。それともコナ、アンタは捕まった夫の行方よりも娘の尻を叩く方が大事だって言うの?」

「そんなこと言われなくても分かってるッ!」


 語気を荒げ、苛立たし気に吐き捨てる。

 最後に一発、娘の尻に平手を叩き込んでから、コナはモニカを乱雑に地面へ抛り捨てた。

 モニカは尻を押さえてうずくまる。


「それで? 偵察の結果はどうなんだい、カトゥーラ?」

「陣はもぬけの殻。あの様子だと、連中は天使を使って第003号砦に帰ったみたいね。翁の移送が済んだから撤退したんだと思うわ」

「ハンッ! 用が済んだから大人しく退いただって? 連中がそんなタマかねぇ」

「……言いたいことは分かるわ。あの糞ったれの赤騎士みたいな、頭のイカレた絶滅主義者なら、敵を放置してむざむざ退くなんてありえないし。たとえアイツでなくても、普通なら追討戦を仕掛けてくるでしょうね。数ではこっちが不利なんだし」


 でも、とカトゥーラは言葉を区切る。


 そして視線を横に流した。


「だけどまあ、を見せられて、不用意に手を出そうって気になるヤツもそうはいないんじゃないかしら」


「…………」


 言われ、コナは険しい顔で黙り込んだ。そして、カトゥーラが見ているのと同じものを見上げる。


 彼女達が見ているのはサラハヴァだ。

 モニカの相棒である狼。母親であるコナは元より、彼女達一家と馴染みの深いカトゥーラもまた、当然ながらその存在を熟知している。他の食屍鬼グールの戦士達も同様。しかし今のサラハヴァの姿は、彼等の記憶とは全く異なっていた。


 もはや狼ではない、異形の怪物。


 そして先の戦闘時に見せた魔法。疑いようもなく――今のサラハヴァは、完全に常識の埒外にある化け物だ。

 モニカも見た目こそ変わっていないが、見違えるほどに戦闘力が向上している。


「……モニカ。アンタ、一体何があったってのよ?」

「いや、あたしはそれを説明しようとしたのに、母さんが―――」

「ぐちぐち言ってないで、さっさと答えな!」

「はいっ!」


 勢いよく起き上がり、背筋をぴんと伸ばして立つ。

 そしてモニカは、迷宮で出遭った魔王と、彼から受けた〈洗礼〉と〈祝福〉について手短に説明した。


「新しい創造主だぁ?」

にわかには信じ難いわね。……まあ、信じるしかないんでしょうけど」

「おいおい、本気かいカトゥーラ?」

「……アンタだってさっきのは見たでしょ。モニカは確かに強くなってるし、サラハヴァに至ってはもう並の天使すら超えた化け物よ。この子達がいなかったら私達は全滅してたわ。少なくともアンタは死んでた。そうでしょ?」

「むぅ……」


 反論できず、コナがむくれる。


 彼女は未だに体中に矢が突き刺さったままだった。立っているのが不思議なほどの重傷だが、平気な顔をしている。


 彼女は目を閉じて腕を組み、唇をへの字に固めて黙り込んだ。


 しばしの、間。


 やがてコナなりに考えをまとめることが出来たのだろう。彼女は深く溜息を吐いてから口を開く。


「……翁がもう第004号砦に運び込まれちまったってのは、本当かい?」

「目で確認した訳じゃないから断言はできないけど。状況的にも時間的にも、移送は済んだと見るべきでしょうね」


「…………」


 再びコナは黙り込む。


 コナはモニカに視線を流し、何か言ってみろ、と促した。


 それに従い。モニカは口を開く。


「あたしは、生き残ったみんなで魔王様のところへ行くべきだと思う。あたしやサラハヴァの時みたいに、魔王様なら重傷だって治せるんだ。それに力だって与えてくださる。……あたしとサラハヴァは強くなった。でも、どこまでやれるかはまだ分からない。だけど――魔王様の下、みんなで力を合わせれば、きっと父さんだって救い出せる! あたしはそう信じてる! だから―――」


「……ったく、しょうがないねぇ」


 ぼりぼりと頭を掻き、コナは娘の頭を軽く叩いた。


 そして仲間達へ向けて、長としての決定を告げる。


「全員、よく聞きな! アタシ達はこれから、モニカの言う迷宮まで転進する! 動ける奴は動けない奴に手を貸してやりな! それから人造人ホムンクルスの肉はありったけ袋に詰めろ! そのままにしておくのはもったいないからね! モニカ、カトゥーラ、ティピカ、ブルボンは狼にかせるソリを大至急用意! 手伝える奴は手伝ってやりな! ―――分かったかい、野郎共!」


「応ッ!」と、力強い声が暗い森の中で木霊した。

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