第三十話 嵐
「―――オオオォォオオオオオオオオオオオッ!」
コナの戦いぶりは死神の
ただし、その全てが敵のものという訳でもない。
彼女自身、少なくない量の血を流している。それも当然。先陣を切って絶えず前進しているのだ。負傷は避けられない。
特に酷いのは矢傷だ。
コナの総身に突き刺さった矢の数は、最早両手の指では足らないほどだ。
針鼠も同然の有り様だが、しかし彼女は全く怯みもせず。それどころか気勢も体力も一切衰えた様子を見せない。己の傷を省みることなく、ひたすら戦い続ける。
それは他の
だが生物である以上、必ず限界は訪れる。
一人、二人と、脱落する者が現れ始めた。
……どれだけの時間が過ぎただろうか。
三十足らずの損害で、百を超える敵兵を殺戮せしめた結果だ。快挙と言っていいだろう。しかし元々の数に差がある以上、戦力差の優劣を覆すには至っていない。
「……チッ」
臓腑のどこからか染み出て口内に湧いた血を吐き捨て、コナは舌打ちを零す。
失血と疲労で視界が
身体の感覚がない。それでも戦えているのは、卓越した戦士としての経験があるが故だ。敵の位置さえ捉えることができれば、後は勝手に手足が動く。殺すことに支障はない。しかし、回避ができない。
どんどん傷が増えていく。
立っているのがやっとだが、それでも武器を振るう手は緩めない。
「―――――」
何事かを叫ぶ仲間の声が聞こえる。聞き馴染んだ旧友の怒鳴り声。恐らくは制止を叫んでいるのだろう。
当然、コナはそれを無視した。
休んでなどいられない。撤退するなど有り得ない。
怒りが、彼女の体を突き動かす。
人間への怒り。
彼女には十人の子供達がいた。その内の八人が死んだ。戦って死んだ。食べることができず、餓死した。―――つまりは、人間に殺された。
生き残った娘も無事とは言い難い。
パーピュラシナは妊婦であるにも関わらず、重傷を負わされ、その上手酷く凌辱された。コナが助けなければそのまま殺されていただろう。
あの時――義理の息子を殺め、その亡骸の前で娘を犯していた騎士。
忘れもしないあの男。第005号砦を象徴する赤い腕章と、その領主である証の獅子の勲章。悍ましい獣。闇を思わせる澱んだ金色の瞳の―――
「コナ―――――ッ!」
呼ばれて、我に返る。
いつもスカした態度を取っているカトゥーラらしくない、悲鳴にも似た叫び声。それを聞いた瞬間に、コナは自分の命運が尽きたことを悟った。
時間が止まっている。
目玉が上へと飛んで行って、自分自身とその周囲を
けれど――そんなものに意味はない。
四方から飛来する無数の矢と、同士討ちすることを完全に度外視して
これを躱す術など、ない。
もしもこの状況で彼女が助かるのなら――それは、奇跡、だろう。
起きないから奇跡という。
だが――もしも。
その奇跡を起こすことができる者が現れたなら。それは―――――
「……クソッ」
死を目の前にして、コナが口汚く毒づく。
今際の際に思い出すのは、最愛の夫の後ろ姿。
そして、置いてきた娘達の顔だった。
それが今――目の前にある。
―――グルルォォォオオオオオオオオオオオッ!
その時、巨大な咆哮が轟いた。
響きは狼の吠え声に近い。しかし比較にならぬほどの声量と猛々しさ。その衝撃といえば、
コナは生きている。
隕石の如く空から飛来したソレが、飛来する矢と
「…………」
コナは、呆然とソレを見上げる。
体躯は獅子の倍以上。
鋼鉄の黒い外骨格と、針金の如き青白い体毛を併せ持つ狼竜。肩甲骨の辺りから生える翼は、蝙蝠の羽と昆虫の翅を合わせたような形をしている。
その背には鞍があり、そこに一人の
日差し除けのゴーグルによって目元は隠れている。
だが、コナには一目しただけでそれが誰なのか分かった。当然だ。娘を見間違える母親など存在しない。
「―――征くぞ、サラハヴァ!」
―――ガウッ!
戦輪を掲げ、モニカが手綱を打つ。
狼竜が吠えた。両の前脚を振り上げて威嚇し、振り下ろし様に敵兵を踏み潰す。
そこから始まったのは、戦いではなく、一方的な殺戮劇だった。
戦輪の一投は間に立つ木々ごと敵兵を両断し、振るわれる鎖は容易く臓腑を破裂させる。
だがやはり特筆すべきはサラハヴァだ。凄まじい
サラハヴァの周囲には、常に暴風が吹き荒れていた。
けれど最も目を引くのは、空を変化させる異能だった。
闇に包まれている。
空から地上まで――辺りは黒い濃霧で満ちて、〈太陽〉の光を
闇からは轟音と共に幾条もの光が落ち、更に膨大な量の水滴と大粒の
それは、嵐だった。
この〈太陽のない世界〉には存在しない筈の現象。太陽がなく、海もないこの世界では、そもそも雨すらまともに降りはしない。知識としてその名が知られているだけのもの。それが今――実際に、この場所で発生していた。
まさしく天変地異である。
それを起こしているのは
魔王が施した〈祝福〉。
彼女の体内に満ちる膨大な量の魔素の成せる業。魔素を魔力へと変換し、超常現象を起こすための媒介として行使する――魔物が持つ生体機能の発露である。
嵐は
次々に肉塊へと成り果てて行く
引き裂かれ、踏み潰され、高く高く吹き飛ばされた後に墜死する。たった一騎によって、戦場の
斯くして。
三百いた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます