第二十九話 前触れ
木々を切り倒し、冊を組んで簡易に構築された陣地。
最前には〈
その数、実に五百。
これ以上なく厚い防備。対して、敵勢力は百にも満たない寡兵だ。
戦力差は歴然。
無論、少なくない数の
唯一、懸念すべきことがあるとすれば―――
「逃げますかね、あの
陣の最奥に築かれた物見
そこに佇んでいるのは、第003号砦の領主とその副官の男。二人は櫓の上で寛ぎつつ、遠く離れた戦場の様子を観察している。
状況を中継するのは三体の天使だ。
丁度、櫓を囲む形で浮遊している。その外観は、翼の生えた巨大な車輪としか形容できない。
蒼褪めた輝きを放つ鋼鉄の像。
頭上に頂くは青白く輝く
羽衣にも似た真紅の法衣を纏わり付かせた車輪型のボディの中心には、球形の
緩やかな速度で回転する〈すろーね〉。
〈すろーね〉は領主達に見えるよう、自らの前に、遠方の光景を映し出していた。
戦況はどう見ても
その有り様は、完全に狂っていた。
「……連中が、尻尾を巻いて逃げようが、逃げまいが。どちらにせよ、こちらのやるべきこと、は、変わらない」
篭って聞こえる淡白な声音。
第003号砦の領主は、その全身を黒い
「逃げるのなら放っておくと?」
「その通りだ」
あまりにも堂々とした返答だった。
副官の視線が、他者にそれと分からぬ程度に険を含む。
「……畏れながら閣下。
「…………」
領主は副官の進言を黙殺した。
副官の言っていることは最もだが、しかし単なる正義感だけで口にした訳ではない。彼は手柄が欲しいのだ。人並みに出世欲の強い彼からすれば、今の状況は目の前に人参をぶら下げられているようなものだ。
連中を首尾よく一網打尽に出来たなら、それは実に分かり易い名誉として彼等の人生を彩るだろう。得られる地位と褒賞を考えただけで胸が熱くなる。
しかし、領主は不動のままだ。
表面上は平素を装いつつも、副官の男は内心で激しく苛立っていた。
この領主とくれば、全く以って何を考えているのか分からない。寡黙な上、常に鎧を装着していて表情が見えない。そもそも顔すら見たことがなかった。それだけに、その存在は酷く得体の知れないものとして映る。
(流石に、実は中身は
可能性を否定しつつも、その一方で、本当に正体が人外だったとしても驚きはしないだろう。
などと、考えていると。
「―――――……あれ、は」
不意に、領主が呟いた。
その視線は天使が映し出す映像を見ていない。もっと遠く――鉱山山脈の方を向いている。
「どうかしまいたか?」
上官が何を見ているのか。兜の向きで大まかな当りをつけ、そちらへ目を凝らす。しかし何も見えない。ただ暗い闇が広がっているだけだ。
〈太陽〉から外側へ向かうほどに、闇は濃くなり視界が狭まる。
黒い空。何もない、暗黒の天。
この世界に太陽はない。太陽がないということは恒星が存在しないということであり、従って空には星も月もありはしない。頭上にあるのは奈落の如き闇ばかりだ。そこには何もない。
しかし――今日は、何か。様子が違うように見える。
闇の中に違和感を見出す。するとそれはどんどん実体を伴って、やがて確信を抱かせた。
確信――そう、確信だ。
異常事態が起こっているという、確信。
「なんだ、あれは……!?」
愕然と。ソレに気付いた副官が驚きの声を零す。
闇の中に、黒い闇があった。
巨大な漆黒のうねり。悍ましい暗黒が、空で渦を巻いている。そしてそれは凄まじい速度で、戦場へと向かっていた。
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