第二十八話 決死

 肉を食む。


 人造人ホムンクルスの腕だ。白い肌は途中で途切れ、赤い断面を覗かせている。そこからしたたる血を分厚い舌で舐め取り、食屍鬼グールの女戦士は、手にしている肉塊に鋭い歯を突き立てた。

 そして、骨諸共に食い千切る。


 ―――不味い。


 栄養価が低いことは元より。香りも味も薄く、食べていて愉快なものではない。それでも食わねばならない。


 優れた咬合力こうごうりょくにより、肉はあっという間になくなった。


 周りには彼女と同様に、人造人ホムンクルスの肉を頬張る食屍鬼グールの仲間達がいる。その数は七十六。彼等は積み上げられた人造人ホムンクルスの死体の山へ、凄まじい速度で次々と手を伸ばし、一心不乱に貪っていた。


 今は戦争の小休止。


 敵も味方も手を休めて、補給活動に勤しんでいる。相手の動向を探りつつ、次の一手を考える時間だ。


 とはいえ、食屍鬼グールに出来ることなど最初から一つしかない。


 玉砕、である。


 食屍鬼グールにとって、これは生きるための戦いではなかった。


 事の起こりは――食屍鬼グールの長・ムンドヌォーボ。彼が捕縛されたことに端を発する。


 敵である人間共は、彼を捕まえたその場で殺すことはせず、公開処刑を行うことを決めた。

 十ある各砦にて順番に晒し物にした後、聖都にて斬首する手筈だ。それは食屍鬼グールに対する挑戦であり、そして彼等を今度こそ殲滅するための作戦でもあった。


 山の狼翁シャイフル・ディウブの存在は、食屍鬼グールにとって大きな意味を持つ。


 食屍鬼グールの首領にして最高戦力。その存在は、彼等の誇りそのものだ。

 それが晒し物にされた挙句に処刑されるなど、もはや恥辱という表現すら生温い。故に食屍鬼グールは武器を手に、立ち上がった。そして、ムンドヌォーボが第003号砦から第004号砦へ移送されている今この瞬間に、襲撃に踏み切ったのである。


 無論、これが無謀な戦いであることは承知している。


 敵からすれば襲撃など予想の範疇はんちゅう。むしろ来てくれなければ困るくらいだろう。故に、移送には、常に砦の領主を含む千人規模の大部隊が護衛に当たっている。


 彼我兵力差は一対九にも満たない。


 それでも食屍鬼グール達は戦うことを選んだ。蛮勇に物を言わせて突撃した。


 元より彼等は死兵。戦わずに死ぬよりは、戦って死にたい――そんな決死隊の集まりである。兵力差など最初から考えるに値しない。その程度で戦いを止める臆病者など、誇りある食屍鬼グールの一族には存在しない。


 だが、それでも―――


「……ハッ!」


 食屍鬼グールの女戦士・コナは自嘲する。


 随分と大柄な女性だった。食屍鬼グールの女の身長は人間の女とそう変わらないものだが、彼女は一回り大きい。骨太ながっしりした体格をしており、鎧を着込んだ屈強な成人男性に匹敵する。

 例に漏れず顔立ちは端整だが、野性味溢れる風貌である。褐色の頬と鼻筋に刻まれた深い傷跡が、その印象を深くしていた。


 身に着けているのは革の軽鎧と、襤褸ボロの外套。

 手には人間の兵士から奪った、鋼鉄製の黒い大戦鎌デスサイズ。構造としては戦斧ハルバードに近い、槍の穂先を備えた大鎌である。


 そして背中には、鉄塊じみた大剣が。


 この戦場において指揮官を務めるのが彼女だ。


 コナはムンドヌォーボの妻であり、モニカとパーピュラシナの母である。そして常に最前線で戦い続けた古強者だ。彼女の武勇は人間側にもある程度知られており、ムンドヌォーボに並ぶ優先的な抹殺対象としてリストに加えられている。


 そんな彼女の許へ、急速に接近する影が一つ。


「―――戻ったわよ」


 大型の狼に騎乗した食屍鬼グールの女だった。他の戦士達と同様に革の鎧を身に着け、闇に紛れる漆黒の外套を羽織っている。その目元は黒い帯によって厳重に隠されていた。

 辺りには森林があるとはいえ、〈太陽〉がある聖都に程近い位置である。目隠しは食屍鬼グールにとって必須の装備だった。


 もつれた長い蓬髪を掻き上げ、目隠し越しに、コナは女へ視線を投げる。


 彼女の名はカトゥーラ。


 コナの副官であり、腐れ縁の旧友でもある。食屍鬼グールの女を主体とした騎狼隊を率いて戦う戦士であり、弓の名手だ。


「どうだった、糞人間共の様子は」

「最悪」


 苛立たし気に、カトゥーラが答える。


「もう駄目ね。向こうの指揮官は随分と慎重な性質だったみたいで、今まで馬鹿正直にこっちの突撃に付き合ってくれてたけど。それももう終わり。連中、こっちには援軍も伏兵もないだろう、って見切りをつけてきたわ。陣を張って隊を三つに分割、せっせと動き出したわよ」


 それは、あまりにも絶望的な報せだった。


 少数であるが故に遊撃と突撃を主とする食屍鬼グールの戦法上、相手が一丸となっている状態で防衛に徹してくれる方が都合が良かった。だが、そんなものにいつまでも付き合ってくれるほど甘くはなかったようだ。


「翁の移送を優先しつつ、私達を殲滅する腹積もりね。もうすぐ人造人ホムンクルスの部隊がこっちに来るわ。迂回してそっちを避けても、後ろには本命の騎士共が陣を張って待ち構えてる」


 そして、その陣を越えなければ山の狼翁シャイフル・ディウブを追いかけることはできない。


 だが現在の装備で真っ向から人間――天使とその加護を受けた騎士を相手にするのは不可能だ。どちらも避けて進むこともできなくはないが、時間がかかり過ぎる。第004号砦への移送が終わってしまう。そうなっては手出しできない。


 人造人ホムンクルスの部隊や敵の本陣と戦うのは論外。


 前者の場合、疲弊した状態で天使や騎士と戦わねばならなくなる。前者を避けて後者に突撃した場合でも、背後から人造人ホムンクルス部隊の挟撃を受ける。どのような手を打ったとしても、望みを叶える間もなく、間違いなく皆殺しにされる。


「翁を追うのはもう無理ね。……一応訊いてあげる。逃げる気はあるのかしら?」

「全くないね」


 低い声でがらがらと嗤って、コナは断言した。


 思わず渋面するカトゥーラ。目隠しの下から向ける眼差しが、自然と険しくなる。


 対して、コナは大袈裟に肩を竦めて見せた。


「おいおいカトゥーラ、そんな顔はよしな。今更怖気づいてんじゃないよ。こんな土壇場で逃げるくらいなら、そもそも最初っからここにはいない。そうだろう?」

「……それは、そうだけど」

「なら腹を括りな。アタシもお前も自殺志願者だ。『翁様を取り返すため!』とか大層な大義を掲げちゃいるが、ソイツが叶うなんて夢にも思っちゃいない。最初っからね。ただ死にに来ただけだ。―――そうだろう、野郎共!」


 鎌の穂先を高く天に突き付け、コナが吠える。


「ここで死んだらどうなる? 先祖に顔向けできないか? 子孫が許しちゃくれないか? ―――そんなこたぁどうだっていい! もうどうやったって食屍鬼グールが滅びるのは避けられないからねぇ! でもだからこそ、最後にここで一華咲かせようじゃないか! それがアタシ達の生き様だ! アタシ達の逝き方だ! あの腰抜けの吸血鬼ヴァンパイア共とは違う、ホントの闇の眷属ナイトストーカーの誇りって奴を、あの糞ったれの人間共に見せつけてやれ!」


 豪放に、磊落らいらくに。


 食屍鬼グールの長の妻たる者は、堂々と宣言する。


「ここがアタシ達の死に場所だ! 我等が父祖たる翁の奪還を目指し、前のめりに死んでくんだ! ここで死ね! ここで殺せ! 人間共の末代までの語り草になるくらい、いっちょド派手に暴れてやろうじゃないかッ!」


 ―――オオオオォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!


 歓声が上がった。あるいは、ときの声か。


 ここには戦場の悲壮など微塵もない。それも当然。戦って死ぬ事を誇りに思っている、生粋のウォーモンガーの集まりなのだ。士気の高さは尋常ではなく、逃げ出す者など皆無。

 それが、食屍鬼グールという種族だった。


「さあ――飯の時間は終わりだよ! くぞ野郎共! アタシに着いて来な!」


 鋭敏な嗅覚と聴覚を頼りに、コナが駆け出す。


 その後に屈強な男の食屍鬼グールが皆続いた。彼等は黒い影の群れとなって、夜の闇を疾走する。『突撃し、ぶっ殺す』。それ以外の作戦はない、死への強行軍。彼女達は、奈落へと向かって一目散に突貫する。


 それに並走するのは、狼に騎乗した女の食屍鬼グール達。


 彼女達を指揮するのは副官であるカトゥーラ。弓矢を主体とし、機動力を生かして敵を攪乱するのが仕事の遊撃部隊である。


 コナが突撃し、カトゥーラが脇から仕留めに掛かる。


 いつもの戦法。

 それはつまり、常に負け続けた戦法という事だが、しかしそんなことを気にする者はいない。そもそも食屍鬼グールはこれ以外の戦い方を知らない。


(チッ……別に、怖気づいた訳じゃないわよ)


 苛々と、心中にて吐き捨てるカトゥーラ。


 狼の疾走は速い。背の半ばまで伸びる青みがかった色の長い黒髪が、後ろに流れて軌跡を描く。風を感じるのが心地良い。


 カトゥーラは、背中の弓を手に取った。


 慣れた動作で前方に構え、矢筒から矢を引き抜く。


 手入れされた森林に死角は少ない。それでも射撃を行う場合、多大な障害となる。狼の背中に乗って移動しながらともなれば猶のこと。しかしカトゥーラは、これまで一度も外したことはない。

 百発百中を誇る魔弓の射手。

 彼女には、自分が食屍鬼グール一番の弓の使い手であるという自負があった。


 無表情に、無感情に。いつものように、限界まで矢を引き絞る。


 コナ達が人造人ホムンクルスの部隊と接敵するまでもう間もない。

 幸い、敵は襲撃に気づいていない。それも当然。如何に人の手が入っていようと、森の中で食屍鬼グールが後れを取る筈もなし。斯くして先手は、食屍鬼グールの側に委ねられた。


(ただ、アンタ。自分で気付いているのかどうかは知らないけど。食屍鬼グールは今日滅ぶ――なんて言った割りに、娘を置いてきたのはちょっと都合よすぎじゃない?)


 指を放す。弦が弾け、矢が射られる。


 戦争の火蓋が切って落とされる。


 振るわれる剣。爪。斧。鎌。

 血飛沫が飛び散る地獄絵図。


 勝とうが負けようが、誰が死のうが生き延びようが。

 早晩、食屍鬼グールは確実に滅ぶ。奇跡でも起きない限り、これは決定事項だ。だが――否、だからこそ、食屍鬼グールは死兵となって我武者羅に戦う。


 対する人造人ホムンクルスもまた死兵。

 人間の命令のままに、命を投げ出して戦う人形達。それが食屍鬼グールとぶつかり合う。血を流し、倒れ、死に絶える。その屍を無感情に踏み越えて、人造人ホムンクルスは陣形を維持したまま戦斧ハルバードを突き出す。


 食屍鬼グールが死ぬ。

 人造人ホムンクルスが死ぬ。


 戦いは終わらない。―――今は、まだ。

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