第二十七話 母の選択

 モニカが出発してから程なくして、パーピュラシナ達も山を下りた。


 必要最低限の荷物だけを持ち、木々の影に身を潜め、隠密に行軍する。身重であり重傷者であるパーピュラシナは、二人の男性食屍鬼グールが担ぐ簡素な籠に乗せられて運ばれていた。


 無言で道行く彼等の表情は、概ね二種類。


 一つは、モニカの言葉を信じて期待を膨らませるもの。

 一つは、不信感や不安を抱きつつも、僅かな希望に縋るもの。


 パーピュラシナは後者だ。


 籠の中のパーピュラシナは、酷く沈痛な面持ちで俯いている。

 揺れは少なく、不快感はない。しかし彼女の身体は絶不調だ。


 今こうしている間も、激痛と高熱に苛まれている。


 ―――女の食屍鬼グールには、『不浄』と呼ばれる器官が備わっている。


 パーピュラシナはソレを切り落とされた。

 人間の騎士によって。そして凌辱された。


 発熱は、その時に負った傷が原因で起こっているものだ。何とか生き延びることはできたが、大量に失血したこともあり、長くは持たないだろう。そのことは彼女自身が誰よりもよく分かっている。


 だから、パーピュラシナの行動は、自分の身を顧みないものが多かった。


 モニカに心配されることを分かっていながら、食事を摂らずにいたこともそう。どうせ自分は死ぬのだ。それならば、未来ある若者達に譲る方が合理的であり、何より食屍鬼グール首領家第二王女の責務であると彼女は考えている。

 とはいえ、生き残った食屍鬼グールの数は、今や二百にも満たない。種としての存続は絶望的である。


 だからこそ、モニカが出逢ったという魔王の存在は天啓だった。


 現状における唯一の希望。


 闇に閉ざされた袋小路に差した、一筋の光。闇の眷属である身なれども、縋らずにはいられない。


 ―――それでも。


 パーピュラシナは、今この群れを率いる事実上の長なのだ。

 彼女の判断が食屍鬼グールという種、全体の命運を決すると言っても過言ではない。故に安易な決断は許されない。もしも相手が人間や天使のように邪悪な存在だったならば、その時は―――


(…………私に出来ることなんて、なにもないけれど)


 自嘲する。とんでもない指導者もいたものだ、と。


 結局は、当たって砕けるしかないのだ。モニカが信じた魔王を信じてみる。それくらいしか、今はできることがない。否、それ以外のことは何もできない。それが現状だった。


 やがて、山の麓――件の坑道へと辿り着く。


 大移動エグゾダスというには、あまりにも短い距離だった。


 食屍鬼グール達は、誘われるように坑道へ――そして、その先の迷宮へと足を踏み入れる。


 ここは、空気が違う。


 全ての食屍鬼グールが知覚した。それはパーピュラシナも同じ。彼女の傷んだ身体の容態が、随分と楽になる。迷宮の空気を吸っただけで、痛みが和らぎ、緩やかに熱が引いた。


 そして――辿り着いたるは、玉座の間。


 広々とした空間の最奥に、魔王が座している。その傍らには、人造人ホムンクルスの娘が控えていた。


「―――――」


 誰に言われるでもなく。

 玉座の前に、食屍鬼グール達は跪く。あたかも王を前にした騎士のように。救世主を仰ぐ民草のように。パーピュラシナもまた、我知らぬ内に籠から出て、腹を庇いながら最前にてうやうやしく膝を突いていた。


「―――ようこそ、我が迷宮へ。歓迎するぞ、食屍鬼グール達よ」


 厳かに、魔王が告げる。


 声を聞いた。

 この場に居合わせた全ての食屍鬼グールが、背筋が震えるのを自覚した。それは畏れであり、同時に歓喜でもあった。


 創造主だ。


 自分達は今、魔なる物の主を前にしている。誰もがそう確信していた。


「……恐れながら」


 震える声で、パーピュラシナが告げる。


「私は食屍鬼グール首領家第二王女、パーピュラシナと申します。こうして無事にお目に掛かることができ、至極光栄に思います。

 然るに、魔王様――単刀直入に、お聞きする私の愚挙をお許しください。―――貴方様は、私共、食屍鬼グールをお救いくださるのでしょうか。我が愚妹から、貴方様のことは聞き及んでおります。私達が望むのであれば、救う用意があると。……その言葉は、事実なのでしょうか?」

「事実だ。吾輩には、お前達を救う用意がある。手段もある。ただし、代償として恭順を要求するがな」


 仮面に隠された面貌から、滔々とうとうと言葉が溢れ出る。


 パーピュラシナは、少しだけ眉を潜めた。


「恭順、ですか。貴方様は、私共に何を求めるのでしょうか」


 今の食屍鬼グールに出来ることは少ない。用意できるようなものは何もない。精々が命を投げ出すことくらいだ。


 それは、厭うことではない。


 闇の眷属ナイトウォーカーである食屍鬼グールは、皆、生まれながらの戦士だ。

 大義のためならば、命を捨てることなど惜しくはない。当然、この場の全員にその覚悟はある。だが、何のために命を散らすのか、それを知る権利くらいはある筈だ。何の理由もなく死ぬ――そんな結末を拒む権利くらいは、ある筈だ。


 対して、魔王は答える。


 冷酷に。そして、酷く真摯に。


「―――――この世界から〈太陽〉を奪う。お前達には、その為の駒になって貰おう」


 それは、実に馬鹿げた話だった。

 しかし、一笑に付すことは躊躇ためらわれた。あまりにも真面目に告げられたからか。あるいは、自分達グールが生き残るには、それを成す以外に術はないと直感したからか。もしくはその両方か。


「……勝算は、如何程でしょうか」

「必ず勝つ。この吾輩が勝たせてやる。―――ただし、其れだけでは戦いは終わらん。吾輩は更なる闘争を望むものである」


 魔王は宣言する。


「〈太陽〉を奪う為に戦え。人間と、天使と。其れが終われば次の戦いだ。其れが終われば、また次の戦いだ。未来永劫、終わる事のない闘争と侵略が、お前達の前途に待ち受けている。それが吾輩の眷属になる――という事だ」


 永遠に続く、戦争。


 あまりにも理不尽な言い草だ。だが、だからこそ偽りはないと感じられる。この魔王は、本心から終わることのない争乱を望んでいる。


 ―――暴君。


「私共、食屍鬼グールは、戦士の種族です。戦いに身をやつすことに、異議はありません。ですが、無意味な死を受け入れる訳にはいきません」

「ハッ――当然、犬死など許さんとも。我が眷属とは、即ち我が駒。我が道具。無意味に損なうような采配はせぬ。無価値に失われる事などあってはならぬ。無論、愛着が湧けば重用することもあるだろう。武勲を上げたならば、褒美もくれてやる。丁寧に――そう、使


「…………」


「迷っているな。即断即決が好ましい所だが――善い、特に許す。であれば、だ。お前達に一つの恩義を与えてやるとしよう。この吾輩に対して。そうすれば身を差し出して戦う大義とやらも出来るだろう。―――さて、パーピュラシナ」


 突然、名を呼ばれ、パーピュラシナはどきりとする。


 そして続けられた言葉に、彼女は更に混乱した。


「お前と、お前の胎の仔の命を救ってやろう」


「な―――――!?」


 思わずパーピュラシナは顔を上げ、腹を庇うように押さえて僅かに後ずさりした。

 そんな彼女の態度に気分を害した様子も見せず。

 魔王は玉座から立ち上がり、演説しながらパーピュラシナの前へと歩み寄る。


「モニカとサラハヴァに施した〈洗礼〉と〈祝福〉――其れと同じだ。我が眷属となれば、お前の傷は全て癒え、止まり掛かっている胎児の心臓もまた力強く動き出す。無論、他の者共も同様だ。痛み、病、負傷。眼球が潰れていようが、四肢が欠けていようが、例外は無い。全て治してやるとも。―――さあ、選ぶがいい。そのまま胎の仔諸共に死ぬか。それとも、吾輩の手を取るかだ」


 告げて、魔王はパーピュラシナの前に手を差し伸べた。


 これは悪魔のささやきだ。

 これは悪魔の取引だ。


 頷けば、後戻りできなくなる。食屍鬼グール首領家の娘であるモニカに続き自分までもが魔王の眷属となったなら、この場の食屍鬼グール全てが後に続く。そうなれば、魔王の下で永遠に戦い続けなければならない。


 あまりにも険しい運命だ。


 易々と呑めるものであはない。


 けれど――ああ、けれど。


「……お願い、します」


 パーピュラシナは、魔王の手に縋りついた。


 悪魔の甘言だということは分かっていた。それでも拒むことはできなかった。


 産みたい。


 母として、当然の思い。愛する人との子を成したのだ。お腹の子も愛しているのだ。会いたい。顔を見たい。無事に産んで、抱き締めたい。こんなに残酷な世界だけれど――生まれてきてありがとうと、そう言いたい。


「お願いします―――! 私はこの子を産みたい! だからどうか、どうかこの子を助けてください! 私達食屍鬼グールをお救いください!」


 涙を流して懇願する。

 犯された恥辱も、夫を殺された怒りも。全てを棚上げして、それだけをこいねがった。


 完全に、私情に流されての決断だ。


 だが、それを誰が咎められるだろう。少なくとも、この場で異を唱える者はいなかった。全ての食屍鬼グールが、沈黙という形でパーピュラシナの決定を肯定し、尊重している。


 対する魔王の反応は、無だ。

 嗤うことも、蔑むことも、憐れむこともしない。


 ただ、淡々と―――


「承諾した」


 ―――Diddle Diddle, Diddle Diddle


 祝福の鐘が、遠くまで鳴り響いた。

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