第二十五話 聖なる都

 城塞都市・聖都。


 白い石と煉瓦で形作られた清廉な街並みと、それをぐるりと囲う高く堅牢な壁。その中で最も巨大な建物が中央にある大聖堂だ。

 大聖堂は複数の棟が身を寄せ合った造りをしており、それ自体が城である。その頂きは文字通り天まで届くほどに高い。シンボルである巨大な鐘楼は、真に〈太陽〉の許まで伸びているのだ。


 天使と〈太陽〉を信奉するこの世界の人間にとって、大聖堂は聖域である。


 そこに設えられた、あまりにも広大な礼拝堂で――ひとりの女が天啓を得た。


「―――――」


 白金の長い睫毛に縁取られた大きな眼が、ゆっくりと開かれる。


 彼女の視界にまず映り込んだのは、この礼拝堂の最奥に設置された宗教的象徴の像。太陽を頂いた天使の彫像だ。その後ろには、神聖にして荘厳な印象の豪奢なステンドグラスがある。


 丁度、彼女は像の足元に跪き、祈りを捧げていた所だった。


 彼女の名はバーム・クルーヘルン。


 その名は文字通り世界中に周知されているが、実際に口にする者は少ない。そして彼女と実際に口を利くことが出来る者は更に極少数だった。


 聖母。

 白騎士。

 教皇ハイプリエステス猊下。

〈太陽〉の管理者。

 正義を体現する剣と天秤の乙女。


 バームには、他にも様々な呼び名がある。


 一人の女が背負うにしては、あまりにも大仰な名ばかりだ。

 服装もまた同様。穢れなき真っ白い装束は、これ以上ないというほど上等な仕立ての代物だ。

 

 ゆったりとした造りの清廉な法衣を身に纏い、頭巾で包まれた頭に冠を頂き、手にはそれぞれ儀礼用の天秤と刃のない剣を携えている。

 そして首には聖職者の証――天使を象った、純銀製の首飾りを下げていた。

 平民であれば袖を通すことはおろか、目にする機会すらない装いと祭具。そして両手に嵌めた白金鋼の篭手。それ等が意味するのは、彼女がこの聖都における最高権力者であるという純然たる事実であった。


 この世界のあらゆる人間、あらゆる天使が彼女の配下なのだ。


「……また、戦いが始まってしまうのですね」


 大きな瞳を物憂げに伏せ、如何にも痛まし気に、バームは呟く。


 彼女は何よりも争いを嫌悪している。あらゆる諍いが、この世からなくなればいいと切に願っているのだ。

 出来ることなら、食屍鬼グールを始めとする闇の眷属ナイトウォーカー達とも争いたくはない。戦わずに済めばいいと思っている。彼等にはと、慈しみに満ちた心でそう願っていた。


 そんな彼女にとって、先の天啓は、決して朗報と呼べるものではなかった。


 この世界に突如として出現した迷宮。


 迷宮には魔物がいて、それ等を統べる魔王がいる。バームは天使からの啓示によって、その実在と所在をったのだ。


 識ったからには、動かねばならない。


「―――もし。どなたか、宜しいでしょうか」


 バームの背後――ずらりと並ぶ会衆席。百人以上の礼拝者が同時に腰を掛けることの出来る、多数の長椅子の群れ。広々としたその空間には、バームと共に祈ることを許された数名の修道士がいた。


 白衣の修道士の一人が、しずしずと立ち上がる。


「はい、教皇猊下」


「ああ、その声は、モーン。貴方ですね。貴方はいつも一番に応えて下さるのですね。ありがとうございます。―――赤騎士様と黒騎士様を、ここへ、お呼びして頂けるでしょうか」


「承知いたしました。少々お待ちください」


 モーンと呼ばれた修道士は、恭しく頷くと、礼拝堂から出て行く。


 少しの間を置いて、礼拝堂に二人の男がやって来た。


 赤騎士と黒騎士。


 二人はそれぞれ、自らの異名に対応した色の鎧を装備している。肩を並べて歩く彼等の姿は非常に対照的だった。


 赤騎士――名をショカゴラ。


 騎士にしてはやや小柄な体格の青年。年齢は十代の後半と思しい、若い騎士だ。

 出鱈目に短く切られた癖の強い髪は、血を零したような赤色。顔の造形は極めて端整。あどけない印象の童顔だが、しかし悪魔じみた最悪の目付きが可愛らしい印象を払拭している。騎士というよりは、路地裏でたむろしている破落戸ごろつきといった風情だ。

 仕立ての良い白い法衣の上に身に着けているのは、赤金鋼で造られた軽鎧だ。そして腰には二振りの長剣を提げている。


 黒騎士――名をツィトローネン・ヌラーデ。


 こちらは赤騎士とは正反対に、巌の如き筋骨隆々な大男である。身に着けている鎧も黒金鋼で余すことなく全身を覆った重装備だ。ただしその顔立ちには厳めしさの欠片もなく、むしろ爽やかな笑みが良く似合う偉丈夫である。如何にも騎士らしい騎士――そんな男だった。

 腰まで届く長い黒髪を一つに結い、ホーステールにしている。

 武装は左腕に装着された身の丈ほどの大盾。それは鞘を兼ねており、大剣を収納している。


 二人は聖都最強の騎士――聖騎士パラディンである。


 二百人の人間の兵士と、一万からなる人造人ホムンクルスの大軍団。それを指揮するのは〈円卓〉の騎士達。

〈円卓〉とは第001号砦から第010号砦を治める十人の騎士。そして聖都を守護する赤騎士と黒騎士――そこに教皇である白騎士を加えた三人の聖騎士パラディンを指す。

 色の名を持つ聖騎士パラディンの三人を頂点とした騎士団。それが〈円卓〉。この〈太陽のない世界〉における最高戦力だ。


「お呼びでしょうか、教皇猊下」


「…………………………………」


 清涼感のある笑みを浮かべる黒騎士ツィトローネン。対して、赤騎士ショカゴラは如何にも居心地悪そうに仏頂面で黙り込んでいた。


「来てくれてありがとう、赤騎士様、黒騎士様。ご足労、痛み入ります」


 ゆるりと踵を返して二人の方を向くバーム。足元まで届く豊かな白金色の髪が静かに揺れた。

 彼女は弱視だ。

 色素の薄い瞳は、二人の像を薄っすらと捉えることしか出来ない。


 バームはおもむろに前へ出て、ぶすっと顔を逸らしているショカゴラの頬に触れた。


「……怒っているでしょうか、赤騎士様。申し訳御座いません。急にお呼び立てした無礼を、深くお詫びいたします」


「―――ッ! 詫びなんていらねぇよ! アンタ――いや、教皇様は、この聖都で一番偉いんだ。そのアンタが呼んでんだ、地の果てからだって駆けつけるに決まってる。騎士ってのはそういうもんだろ」


「…………赤騎士様。教皇猊下にそのようなお言葉遣いは……」


「あぁッ!? どこが変だったよ! 言ってみろよ!?」


「も、申し訳ございません!」


 礼拝堂にいた修道士がやんわりと咎めると、ショカゴラは怒声を上げて問い質す。

 あまりの剣幕にびっくりした修道士は、凄まじい速度で頭を下げた。


 しかし、その対応は赤騎士のお気に召さなかったようだ。


 彼は更に修道士へ食って掛かる。


「誰が謝れって言ったよ!」


「止さないか、ショカゴラ卿。教皇猊下の御前なんだ、そこまでにしておきなさい。可哀そうだ」


「―――……ッ! 失礼、しました」


 ツィトローネンの言葉にハッとし、途端にショカゴラは借りてきた猫のように大人しくなった。彼は深々とバームに頭を下げる。


 バームは優しく微笑んで、頭を振った。


「良いのです。むしろ私のような者に畏まる必要は、ないのですよ。赤騎士様も、黒騎士様も、それに皆も。どうか、気を楽にしてください」


 寛大な言葉を受けて、黒騎士ツィトローネンは敬服し、修道士達は余計に畏まる。ただ、赤騎士ショカゴラだけが嬉しそうに破顔していた。


「こちらこそお気遣い感謝致します、教皇猊下。―――それで、どのような御用件でしょうか」


「はい。先程、天使様から啓示を賜りました。迷宮の位置が分かりました。第005号砦の近く――第2鉱山山脈の左端にあった、崩落した坑道。迷宮はそこにあります。……見付けたのは剛鷹騎士、マジパナ様でした」


「へぇ、二文字の奴が見付けたのか。剛鷹ってぇと、確か獣の糞野郎の部下だったな。アイツも大概アレだったが、中々やるじゃねぇか」


 ショカゴラの言う二文字とは、領主の副官達を指す俗称である。


 赤、黒、獣など――〈円卓〉の騎士は、教皇から一文字の二つ名を賜る。対して、領主の副官を務める騎士の称号は決まって二文字だった。それ故に彼女達は二文字と呼ばれることがままあった。


 感心しているのはショカゴラだけでなく、ツィトーロネンも同じだった。


「おお、それはお手柄だ! マジパナ卿といば武勇に優れた方でした。最下級の天使しか召喚できないのが難点でしたが、それを補って余りある剣の才能があった。今回の功績を鑑みれば、我々〈円卓〉への昇格も叶うでしょう」


 我がことのように喜ぶツィトーロネン。


 しかし、バームの表情は沈痛だった。


「……そのことなのですが。どうやら、彼女は、魔物に捕まってしまったようです。深手を負い、召喚なされた天使様も、破壊されました。その時の様子からして、魔物は食屍鬼グールと手を組んだようでした。……あまり言いたくはないのですが。彼女はもう、生きてはいないでしょう」


「なんですって!? そんな……前途の有望な騎士が、呆気なく……」


 瞠目する。ツィトローネンの目元には、涙すら浮かんでいた。


「……女性を殺し、喰らうなど。まさに悪魔の所業だ。やはり食屍鬼グールは生かしてはおけません。それに与する魔物という者達も同様だ。一刻も早く彼等を打ち倒し、マジパナ卿への弔いとしなければ」


「ハッ! あのいけすかねぇ女が死のうが輪姦マワされようが、どうだって構わねぇがな、俺は。……まあ、だからって、あのクソムシ共の勝手が許されていい訳じゃねぇよな。この間の殲滅戦で連中を皆殺しにできなかったのは俺のミスだ。奴等、絶対に生かしてはおかねぇ。ただでは済まさねぇ。手足をぶった斬って、皮剥いで串刺しにして、生きたまま炙ってやる。今度こそ絶滅させてやる」


 表面的な態度は異なれど、二人の騎士の胸のうちは同じだった。


 天使はこの世で絶対の存在であり、彼等から与えられた教義は真理である。

 闇の眷属ナイトウォーカーは人間を害するだけではない。存在そのものが悪、この世に在ること自体が罪なのだ。彼等は人の血や肉を貪る卑しい悪魔。故にこの世界から駆逐しなければならない。それこそが天使に選ばれた人間という種の務めだ。


 何人であろうと、この使命に異を唱えることはできない。


 平和的な解決など誰も望んでいない。そんなことを宣う人間はこの世界にいよう筈がないのだ。誰もが皆、魔なる物の根絶を願っている。


 戦いの前線に立つ騎士などその最たるもの。


 黒騎士ツィトーロネンは、その存在を心の底から軽蔑している。

 赤騎士ショカゴラは、その存在を心の底から嫌い見下している。


「……天使様。どうか、剛鷹騎士、マジパナ様の魂をお救いください。そしてこの闇に閉ざされた世界に、一刻も早く黄金の夜明けが訪れますよう」


 ―――A'men


 白騎士――教皇バームは、ただ悲し気に祈るだけだった。


 命は全て尊いものだ。ただし、魔物と闇の眷属ナイトウォーカーを除いて。

 それが邪悪なるモノの手によって不当に損なわれたり失われたりすることが、ただただ悲しく、怖ろしい。叶うことなら人々に触れることなく、視界にすら入ることなく滅んで欲しい。それが彼女の嘘偽りのない本心だった。

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