第十八話 女騎士の敗北 1
―――時を前後して。
訝し気に周りを
当初の目的は、敗走した
しかし、どうにも話が違ってきた。
(これは……)
岩肌が剥き出しの坑道は途絶え、見たことのない構造物が取って代わっている。
自然に出来たとは考えにくい場所だった。優に馬車が五台は行き交える程の広さ。天井が高く、肉眼では目視出来ない。そんな空間が、どこまでも延々と続いている。
壁には、自分達が崇拝する天使にも通じる神秘性を帯びた幾何学模様。そして床には薄っすらと金色に光る蒼い卵が等間隔に配置されている。
神聖。あまりにも、荘厳。
人間であるマジパナの目から見ても、この空間はそのように映った。
(これが、話に聞く迷宮……)
自然と確信していた。そして、それは正しい。
出来たばかりとはいえ、そこは魔物の巣窟。女騎士と
それでもマジパナに恐怖はない。
騎士の矜持と誇りが、彼女を前に進ませる。決して怯まず、注意を怠ることなく。
しかし――それが続いたのは、直に彼と対面する直前までの話だ。
魔王が君臨する玉座の間。
最奥からゆっくりとこちらへ歩み寄る、痩躯の影法師。
漆黒の
(―――ッ! この私が、呑まれている!? 馬鹿な……! しっかりしなさい! 私は第005号砦を預かる騎士の一人、マジパナ! 敵を前にして怖気づくことなどあってはならない……!)
ギリリと強く歯噛みして己を叱咤し、渇を入れる。
無理やりにでも不敵な表情を作り、マジパナはあえて挑発的に嘲笑った。
「魔王。魔物の王様ですか。貴方のような
「随分と口数が多い。勇ましいのは善いことだが、無様を晒すのは感心出来んな。震えているぞ」
「…………ッ!」
挑発を挑発で返され、マジパナの端整な顔が歪む。
震える指先を固く握り締める。骨が浮き出る程に。逆上した彼女は、怒りに任せて抜剣する。あえて自分の中の恐怖心に見て見ぬ振りをして、騎士としての己を振るい立たせる。
「―――お前達は待機していなさい」
背後の
剣を構えて突撃する女騎士と相対して、しかし魔王は悠然と佇んだままだった。武器を取り出すことすらしない。無手のまま立っている。
マジパナの剣の間合いまで、あと五歩。
「魔王様―――!」
見物客の
あともう少しで剣が届く。
その土壇場で、遂に魔王が動いた。彼は緩慢に、左手の手袋を外す。白い布地の下から黒い手が覗く。
(獲った―――!)
勝利を確信した女騎士が、魔王の首に刃を振るう。
必殺の斬撃。しかしそれは甲高い金属音を散らして、実に呆気なく弾き返されてしまった。
「な―――」
驚愕し、瞠目する。
それは人の手ではなかった。
手袋に納まる大きさでもなかった。
王冠の装飾が施された、黒い鋼の掌。その五指は鉤爪になっている。分厚くも細長く伸びる刃金は、剃刀よりも尚鋭い。
魔王は泰然と構えたままで、外した手袋を胸ポケットに収めた。
そのすかした態度が気に入らない。
「―――! このォ……ッ!」
激情に任せ、マジパナは連続して斬り掛かる。
今の彼女は明らかに冷静さを欠いている状態だ。それでも振るわれる剣技は見事の一言に尽き、いずれもが必殺と称するに値するものだった。特に連続した刺突技は一撃一撃が俊敏で、苛烈で、それでいて鉄塊を叩き付けるかの如く重い。まさに剛鷹の名に相応しい戦いぶりだった。
しかし、届かない。
魔王は左手一本で、女騎士の猛攻を苦もなく
剣戟を重ねること十、二十。
既に勝負の
「この程度か」
鉄仮面の隙間から、溜息にも似た陰鬱な声が漏れる。
同時に、防御に徹していた魔王の動きが変わった。彼はマジパナの剣を左手で受け止め、刀身を掴む。そして握り締めた。
―――バキン
剣が砕ける。
「な……―――が、ふっ!?」
マジパナは驚愕に眼を見開く。
魔王はそんな彼女の頬を右手で張り、更に腹に蹴りを叩き込んだ。
腹部を覆う鎧が砕け、腹腔に爪先が突き刺さる。鍛えられた女騎士の身体がくの字に折れ曲がり、上へと大きく弧を描いて遥か後方にまで吹き飛ばされた。
マジパナは碌に受け身を取ることも出来ず、無様に床を転がった。
壁際で停止し、吐瀉物をぶちまける。
胃液を吐き出し、吐き尽くした後。マジパナはその場に呆然と座り込んだまま動かなかった。否、動けないのだ。
なにが起こったの分からなかった。決して認められなかった。
自分は何者か。
第005号砦領主が副官。
女だてらに剣一本で伸し上がり、偉大なる教皇猊下から直々に剛鷹の名を賜ったエリートだ。その実力は本物であり、騎士として確かな実績があった。
その自分が何故、無様にも地面に這いつくばっているのか。
相手を侮り、必殺の『魔剣』を繰り出す機会を自ずから逸したとはいえ。こんなのはおかしい。有り得ない―――
「終わりか?」
「……ッ! まだです! まだ私は負けていないッ!」
碧い瞳に烈火の炎を灯し、マジパナは叫ぶ。
彼女は跪いたままの姿勢で両手の指を組み合わせ、祈りを捧げた。
「―――――Sancte Angelus, defende nos in proelio!」
その瞬間、奇跡が起きた。
天使が顕現する。
姿形はゲヴランツが使役していたものと全く同じ。腕と頭を持たない人型。
蒼褪めた輝きを放つ鋼鉄の像。
色は滅紫。
背中に翼を持ち、頭上に
選ばれた人間にのみ使役することを許された、この世界の最大の武力。
その召喚であった。
「あの女、天使を喚びやがった……! 魔王様! 気を付けてください!」
背後から浴びせられるモニカの声援に、魔王は応えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます