第十七話 邂逅の時、来たれり
暗い坑道の中を奥へと進む。
この中に太陽光は届かない。モニカはゴーグルを外し、鼻を擦って血を拭う。
人間であれば明かりを必要とする闇。しかし
等間隔に配置された蒼い卵が道標だ。
卵はほんのりと青白く輝いている。太陽の光に近いが、印象は真逆だ。むしろ心地よいものとしてモニカの目に映った。
「……なんなんだ、これ」
思わずひとりごちる。
道案内のように配置された卵も謎だが、それ以上に不可解なのは坑道の空気だった。
呼吸の度に体が楽になる。傷の痛みが和らぎ、全身に活力が漲った。鼻血は元より、斬傷の出血も止まっている。
その効果は相棒の巨狼にも表れている。
出血は止まり、体温も戻ってきている。静かにではあるが、呼吸も再開していた。
「…………?」
不意に、目の前の行く手を卵が遮った。
壁を造るように、横一列に並んでいる。
右手側は空いている。
モニカはそちらへ目を向ける。すると、やや行き過ぎた場所に横穴があることに気付いた。どうやら壁の凹凸の影で見落としたらしい。
その横穴の壁際には、やはり蒼い卵が列を作って並んでいる。
(気付かなかった……)
引き返し、横穴を進む。
それから程なくして、モニカは驚愕に目を見張ることとなった。
「なんだ、これ……!?」
辺りをきょろきょろと見回しながら、モニカは愕然と呟く。
先程までは如何にも洞窟といった風情の穴だった。木枠で固められ四角く舗装されてはいたが、それだけだ。
しかし、これは―――
「―――遺跡?」
直感した印象を、そのまま口にする。
蒼褪めた色の壁。黒みがかった色の石造りの土台部分があり、その上には、神秘的な幾何学模様が描かれた平らな壁面がある。天井は高く、
壁は石の土台部分も含め、全てが均一にならされている。不格好な凹凸が一切ない。磨き上げられた大理石のようだった。
如何にも人工物である。
しかし、この世界の人間の技術では、こんなものは造れない。
故にモニカは『遺跡』と表現した。
かつて
蒼い卵が指す道を進む。
そして――遂に、モニカはそこに辿り着いた。
現れたのは分厚い壁だった。
モニカは取り憑かれたような動きで、目の前の壁に触れる。すると壁は幾つかのパーツに分かれて割れ、天井と地面に吸い込まれた。
壁は扉だったのだ。
扉の先へ、モニカは足を踏み入れる。
そこは異常に広い空間だった。
鉱山の下にあるとは思えないほど広大な、四角い広間。もしかしたら空間が歪んでいるのかもしれない。
その最奥。
扉から伸びる細長い蒼いカーペットの先。そこに、玉座があった。
闇が凝縮したような漆黒の玉座。背凭れと座板には、ビロードの上等なクッションが誂えられている。王が腰掛けるに相応しい椅子だ。
そしてその背後。
玉座の後ろの壁は、頭よりも高い位置の部分が四角くくり抜かれている。そこに巨大な卵が設置されていた。青白い卵はほんのりと輝いている。黒い台座に固定されたソレには、王冠を意匠とした装飾が施されていた。
―――そして。
この空間――迷宮の主に間違いない存在が、そこにいる。
尊大に足を組み、玉座に腰掛けた男。
異常に背の高い男だった。肘掛けに頬杖を突いた姿勢のまま動かない、彫像のような姿。
彼は洒脱な黒い礼服を身に纏い、鴉を思わせる漆黒のコートを羽織っている。頭には王冠の意匠が施されたシルクハットを被り、そして顔面を側頭部まで覆う鉄の仮面で覆い隠していた。
その仮面は黒く、鳥の顔の形をしていた。
眼部は青黒い色の丸いレンズが嵌め込まれており、目線が分からない。そして口がある位置には、長い
両の手には上質な絹の白い手袋。
甲には
神聖。あまりにも、荘厳。
ソレが一体何なのか、モニカの
―――王。
知らず知らずの内に、モニカは無意識に彼の許へと歩き出した。
近付いても黒い男は動かない。仮面の下の表情は窺い知れないままだ。
モニカは玉座からやや離れた位置で止まり、床に両膝を突いた。
鎖を外し、巨狼を床に下ろす。そして戦輪を捧げるように目の前に置き、両手を組んで恭しく祈りを捧げた。
相棒の狼もまた、黒い男に服従の意志を見せる。
そこへ―――
ずかずかと、場を弁えない無礼な足音が近付いてくる。
先程の騎士の女と
「―――……なるほど。ここが迷宮ですか。道案内感謝します、蛮族のお姫様」
「てめぇ……!」
不躾にも玉座の間へ踏み込む女騎士と、八体の
そこに冷や水を浴びせる声が――滔々と、モニカ達の背後から投げられる。
「―――――退け」
言葉の意味や、誰の声か確認するよりも前に、体が動いていた。
モニカと狼は、それぞれ左右に飛び退いてカーペットから降り、片膝を突く。それを確認してから、玉座に座っていた黒い男がゆるりと立ち上がった。
異常なほどの長身痩躯。影法師の如き男が、ゆっくりと壇上から降りてくる。
腰下まで伸びる長い黒髪が、歩く度に揺れて棚引く。闇を凝縮したような漆黒の
その不気味なまでの荘厳さと圧倒的な存在感に、モニカはおろかマジパナですら動けなかった。瞠目し、黒い男の一挙手一投足に目を離せない。身動ぎの一つすらできず、今度は彼女達が彫像になる。
「よくぞ来た。お前達がこの迷宮の、最初の来訪者だ。歓迎しよう」
大型の弦楽器のような、低くもよく通る声音。仮面の下から聞こえる声は、紛れもなく人語である。
「……貴方、何者」
気圧されながらも、マジパナはそれだけは口にすることが出来た。
黒い男は答える。
抑揚を欠いた、文字をそのまま吐くような陰鬱な声で。
「吾輩は――魔王。
迷宮の主にして、この世全ての魔なる物を統べる唯一人の王である」
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