第十三話 生きる為に

 山の狼翁シャイフル・ディウブ


 それは食屍鬼グール達をまとめる長の称号。端的に言うならば『王』だ。

 彼の者は齢にして六百を超える大賢者であり、一騎当千の武勇を誇る最強の戦士。現存する食屍鬼グールの中で最も魔の血を濃くする、偉大なる指導者。それがモニカの父だった。


 モニカは姉と幾つか他愛のない言葉を交わし、ゆっくりと休むよう告げてから、その場を後にする。


 布を垂れ下げただけの簡素な玄関を潜り、モニカは大きな目を伏せがちにして、背後を振り返る。


 そこあるのは、家と呼べるほど大した代物ではない。


 酷く見窄みすぼらしい、急拵えのだ。しかし全体から見ればそれでも住居としてはまだマシな方であり、布を張っただけの狭い寝床を拵えるのが精一杯だった。

 これが今の食屍鬼グールの隠れ里だ。

 より正確には、緊急時の備えとして用意しておいた避難所である。元々住んでいた里は人間の襲撃を受けたため、放棄せざるを得なかった。


 辺りには、意気消沈した食屍鬼グール達が座り込んでいる。


 ここにいるのは非戦闘員である幼い子供と、手足や眼のいずれか――あるいは、その全てを欠損した負傷兵だけだった。


 当然、この場所には里として最低限の設備しかない。

 蓄えは既に底を尽きかけている。性急に行動しなければならなかった。


(そうだ。あたしがやるんだ! やらなきゃいけないんだ……! 姉さんに、皆に! 少しでも多くの食い物を食べさせてやるんだ!)


 琥珀色の瞳に闘志を灯す。


 鬼気迫る荒い足取りで、モニカが歩き出した。


 そんな彼女に寄り添う影が一つ。


 狼だ。随分と大型で、獅子ほどの体躯を有する。食屍鬼グールが使役する狼の中でも一際大きい個体だった。

 食屍鬼グールは狼を友として狩猟を行い、戦場を生き抜く。この青白い毛並みの巨狼はモニカの戦友であり、同時に家族でもあった。幼い時分より寝食を共にしてきた間柄で、誰よりも信頼できる相棒でもある。


 狼は首を伸ばし、鼻先を寄せた。そして親し気にモニカの顔をぺろぺろと舐め回す。


「お、おい! こら!」


 突然の暴挙に抗議するが、当の狼は素知らぬ風に顔を背けて身を引くだけだった。悪戯っぽい態度の相棒にやや毒気を抜かれながらも、モニカの表情は未だ硬いままだった。


「……行こう、サラハヴァ」


 隣を歩く狼の毛皮を撫で、モニカは告げる。


 巨狼は無言で主に従った。


 途中で倉庫に立ち寄り、装備を整える。


 女の食屍鬼グールは人間とそう大差のない姿をしている。そのため、扱う武器や防具は自然と似通った形になった。むしろ人間の道具を奪ってそのまま使うことができる分、現代の食屍鬼グールは男よりも女の方が強いと評されがちである。


 無論、例外はあるのだが。


 モニカは黙々と戦支度をする。


 身軽さを重視した革製の鎧を身に着け、フード付きの黒い外套を羽織る。


 そして最も扱いに慣れた武器――鉄製の巨大な戦輪を手にした。


 人間から奪った得物で、直径はモニカの上半身程の大きさ。輪の外側が刃になっており、内側には十字型の持ち手。その中央には回転する金具があり、そこから長い鎖が伸びている。

 モニカは戦輪の鎖を、腰の金具に取り付けた。そして背中に背負い、歩き出す。


 倉庫から出ると、二人の食屍鬼グールに出迎えられた。


「お前達……」


 戦で負傷した食屍鬼グールだ。

 一人は利き手を失っており、もう一人は人間から受けた拷問によって両目をくり抜かれている。


「あたしを止めようってのか?」


 自然とモニカの表情が険しくなる。しかし、予想に反して二人の食屍鬼グールは頭を振った。

 構造上の問題から、男の食屍鬼グールは人間のように言葉を話すことができない。それ故に、眼差しや表情の細かな変化、そして手話によって同種間でコミュニケーションを取る。


 二人の食屍鬼グールは己の意志をモニカに伝えた。


「一緒に行く……って、そんなのダメに決まってるだろ!?」


 自分のことを完全に棚に上げて、モニカは叫んだ。

 しかし二人の食屍鬼グールの意志は硬い。程なくして、根負けしたモニカは二人の随伴を許すことにした。……せざるを得なかった。


「はあ。しょうがない。―――行こう、みんな」


 狼の背中に設えた鞍に跨り、手綱を握る。


 斯くして――三人と一匹が、密やかに出陣した。


 * * *


 食屍鬼グールの外見は男と女で大きく異なる。


 男の食屍鬼グールは半人半獣。端的に表すならば、山羊に似た形の角を有する人型の狼だ。彼等は人間など比較にならないほどの強靭な力を持ち、更に鋭い牙と爪を備える。

 手の構造からして武器を扱うのは難しいが、人間から奪った剣を布などで前腕部に固定することで戦闘の幅を広げていた。


 対して、女の食屍鬼グールの姿はほとんど人間と大差がない。


 美しい女性の容貌。

 それに加えて、褐色の肌と、獣の尻尾。そして獣と人の耳の両方を併せ持つ四つ耳の異形。現代の食屍鬼グールが人間から『亜人』と呼ばれる所以。創造主の失踪後、とある食屍鬼グールが密かに人間と婚姻したが故に顕れた特徴である。


 現代の食屍鬼グールは人間との混血種だ。


 かつて、人間の女と恋に落ちた食屍鬼グールがいた。


 それが山ノ狼翁シャイフル・ディウブの祖先である。

 彼とその子孫は純正なる同種から排斥されたが、しかし現在まで生き残ることができたのは彼等だけだった。

 人間の血を取り込んだが故に、同族から虐げられた彼等。しかし、彼等はだからこそ生き残ることができた。人間の血を取り込んだが故に、人肉以外の食物――コーヒーの実と種子を栄養として分解できる肉体を手に入れ、今日に至るまでの生存を可能としたのである。


 実に皮肉な話だ。


 今まさに――彼等食屍鬼グールがその『愛した人間』に滅ぼされようとしている事実すら含めて、痛烈な皮肉であると言える。


(―――いいや! あたし達は絶対に滅びたりなんかしないッ!)


 両脇に戦友を従え、巨狼の背に跨った褐色の戦乙女は宣誓する。

 針葉樹の森を駆け抜け、麓まで一気に下りる。幸い、他の食屍鬼グールに気取られることはなかった。モニカ達三人は、全速力で人間のを目指す。


 目指すは隠れ里のある第2鉱山山脈の足元――第005号砦の近辺。


 この辺りでは人造人ホムンクルスが単独でうろついているのを何度か見かけたことがある。理由は不明だが、今は都合がいい。

 通常の人間に比べて人造人ホムンクルスの肉は味気なく栄養価も低いが、それでもないよりはマシだ。


 食屍鬼グールは食事に敬意を払う。


 たとえ相手が戦争をしている真っ最中の種族だろうと関係ない。「それはそれ、これはこれ」と分別して、この世の全てに感謝し祈りを捧げてから食らう。

 限られた食物しか口にすることができず、飢えることが多いが故にできた風習だ。信仰と言ってもいい。それに自分達の先祖が人間と添い遂げた逸話があるというのも理由の一つである。食屍鬼グールは人間を敵視する一方で、愛してもいた。


 しかし、当の人間にはがない。


 自分達以外のものは徹底して侮蔑し、掃き捨てることをいとわない。


 他種族は自分達より劣る生物なのだと信じて疑わないのだ。

 彼等は自分達の糧となる植物にも家畜にも、決して敬意を払わない。むしろ自分達の血肉となれたことを光栄に思え――と、そんな馬鹿げたことを真顔で。あまりにも傲慢な排他性。あらゆる意味で、食屍鬼グールとは相容れない存在だ。


 滅ぶべきは奴等だ。滅ぼされるべきは、奴等の方なのだ―――!


 怒りの形相で前方を睨みながら、巨狼に騎乗する食屍鬼グールの少女は鬱蒼と茂る森の中を静かに――それでいて速く、疾く駆け抜けて行く。彼女達を止められる者は、誰一人としてこの世に存在しなかった。

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