第十二話 食屍鬼

 現在――〈太陽のない世界〉において、食屍鬼グールは事実上の絶滅危惧種となっていた。


 彼等は誇り高き闇の眷属ナイトウォーカー

 吸血鬼ヴァンパイアと双璧を成す、かつて〈太陽のない世界〉を支配していた者達だ。人間を家畜として扱い、思うままに屠り、喰らってきた。この世界は彼等と――彼等の生みの親である、創造主のものだった。


 しかし、その栄光も今となっては見る影もない。


 全ての始まりは、およそ千年前。


 闇の眷属ナイトウォーカー達の創造主が、忽然こつぜんと世界から姿を消した。


 以降、彼の姿を見た者は一人もいない。


 それから時が流れ、創造主の失踪から五百年後の

 天使達によって、この世界に〈太陽〉がもたらされた。


〈太陽〉が放つ聖なる光は、食屍鬼グールの眼を焼き、吸血鬼ヴァンパイアの体を塵にした。以来、彼等闇の眷属は世界の隅へと追いやられ、細々と生きていく他なくなっている。


 無論、彼等とて、人間と天使による排斥を黙って受け入れてきた訳ではない。


 何度も反撃を試みた。襲い来る敵を、何度も何度も迎撃した。

 しかし〈太陽〉という環境を味方につけ、をも手に入れた人間を相手取るのは、あまりにも不利だった。


〈太陽〉創造から五百年――牙を剥く度に蹴散らされ、爪を研ぐ間すら与えられない。

 戦の度、兵はおろか女子供も皆殺しにされる。

 食屍鬼グールは何度も絶滅の危機に瀕し、その度にどうにか生き延びることを繰り返していた。


 創造主という、最大にして唯一の後ろ盾を失った彼等が何度も敗北を喫したのは、必然だったと言える。


 そして、至る現在―――


 食屍鬼グールは、今度こそ人間の手によって皆殺しにされる――その瀬戸際にまで来ていた。

 しかし依然として、彼等の創造主が帰還する気配はない。


 ―――自分達は見捨てられた。


 ほとんどの闇の眷属ナイトウォーカーは諦観していた。このまま滅ぶことが運命なのだと考える者も少なくなかった。

 しかし――それでも。

 何時か再び創造主がこの世界に現れ、勝利と栄光をもたらしてくれるその日を待ち望み、一途に信仰し続ける者もまた少なからず存在していた。


 食屍鬼グールの少女――モニカもまた、その一人である。


「―――姉さん!」

「モニカ……?」


 鬱蒼と茂る深い森の奥にある、食屍鬼グール達の隠れ里。木で造られた家屋の中へ、血相を変えて飛び込む少女。

 手狭な室内にあるのは簡素な寝台のみ。

 寝台に横たわっていた女が、膨らんだ腹を庇いながら、上体を起こそうともがく。それに対して食屍鬼グールの少女――モニカは、半ば飛び掛かる勢いで駆け寄り、不安定に傾ぐ女の体を支えた。


 そして、矢継ぎ早に言葉を投げる。


「いきなり倒れたって聞いて飛んできたんだ! 大丈夫かよ、姉さん! ―――ああ、なんて酷い顔色だ。真っ青じゃないか。まさか、また飯を食わずにいたのか!?」

「ふふ……ごめんなさい。里の子供達が、お腹を空かせていたみたいだったから……」

「バカ! それで姉さんが飢え死にしたら元も子もないじゃないか! 怪我だってまだ治ってないし、熱だってあるんだから! ちゃんと食わなきゃダメだ!」


 感情を爆発させて怒鳴り散らす。


 モニカの姉――パーピュラシナは妊婦だ。

 栄養を摂らなければ、当人は元より、お腹の子も死んでしまう。


 モニカは腰に着けた小型の背嚢はいのうから食べかけの干し肉を取り出して、パーピュラシナに押し付ける。


「ほら、これ食べて」

「でも、それは貴方のでしょう? それにお肉なんて貴重品、私にはもったいないわ。戦えない私より、貴方が―――」

「いいから!」

「……わかったわ。ありがとう、モニカ」


 眉を困らせて微笑み、パーピュラシナは干し肉を受け取った。

 三口分にも満たない小さな肉片を両手で持ち、齧歯類げっしるいのように、ちびちびと少しずつかじっていく。


 パーピュラシナが『戦えない』のは妊婦だからではない。


 彼女は生まれつき病弱で、身体能力が低かった。戦いに出れば真っ先に殺される。しかしその一方で頭が良く、優しい人柄とも相まって、パーピュラシナは同族の皆から頼りにされることが多かった。

 食屍鬼グールの里のまつりごとは、最早彼女無しでは成り立たない。失っていい人材ではないのだ。

 モニカはそんな姉を心の底から好いていたし、尊敬していた。


 姉が死ぬのを黙って見ているだなんて――そんなこと、モニカにはできない。


 モニカには十人の兄弟がいた。


 その内の八人が既に死亡している。飢餓きがや人間との戦争が原因だ。今生きている兄弟は、モニカとパーピュラシナの二人のみである。


 両親も無事かどうか分からない。


 モニカの父は、食屍鬼グールの首領だった。


 彼は、半月前に人間が仕掛けてきた大規模な討滅戦から家族や一族の皆を逃がすため、自らを囮とし、単騎で敵軍に突撃した。そして数日に渡る激戦の末に捕らえられ、結果――聖都で公開処刑されることが決定したという。


 優れた戦士であった母は、愛した男の身柄を奪い返すため、生き残った仲間のほとんどを連れて出陣してしまった。


 最初は、モニカも母と共に戦いに行くつもりだった。


 しかし当の母はそれを許さず、モニカに里での待機を厳命した。まだ若い娘を死なせたくなかったが故だ。

 それを理解しているモニカの胸中は、悔しさと焦燥感で一杯だ。


 せめて、姉とお腹の子だけは護りたい。

 しかし、それも叶わないかもしれない。


(食い物がぜんぜん足りない……)


 モニカは頭を抱えた。


 食屍鬼グールの主食は人肉だ。体構造の問題から、それ以外のものは消化できない。例外的にコーヒーの実は口にできるが、それも慰め程度にしかならないのが実情だ。

 人間を食わなければ生きていけない。

 今の世情では、人肉など早々手に入るものではない。純正の人間は砦や城塞に篭っていてほとんど外に出てこないし、出て来たとしてもまず間違いなく人造人ホムンクルスの兵隊を伴っている。襲撃するのはリスクが高過ぎた。


 しかし―――


「…………」


 モニカは、無言で姉の様子を盗み見る。


 酷く衰弱している。少量とはいえ肉を口にしたため顔色はマシにはなったが、根本的な解決にはなっていない。そもそも出産自体が命懸けだというのに――今のままでは、仮に無事に産めたとしても、姉は数日と保たず死ぬだろう。


(あたしが、なんとかしなきゃ―――!)


 固く拳を握り締めて、モニカは人知れず決意した。

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