寄り添いの探偵と消えたアップルパイ

うたう

寄り添いの探偵と消えたアップルパイ

 ルールは守るべきだと君は言うがね、それは間違いだよ。いや、正解ではないと言うべきかな。人を思いやる気持ちがあれば、人は人としてのルールを破ることはない。他者の財貨を盗んだり奪ったりするのは、自分さえよければいいと考えている輩であるし、人を殺めるのも同様の輩だ。つまり、人は思いやりを忘れなければ、ルールを守ろうと心がけなくても、自然とルールの内側で生活を営んでいるものなのだよ。

 しかしだ、時に他者のことを思って、ルールの外側へ行くことがある。たとえば、飢えに苦しむ甥っ子のためにパンを盗んだジャン・ヴァルジャンがそうであったように。

 そうしたケースはね、意外に少なくないのだよ。だから私の師匠モウミー・ケイシーは寄り添いの探偵であろうとしたのだ。私も師匠を倣って、ただ人の犯した罪を暴き立てるだけの存在にはなりたくないと思っている。事件の背景や犯罪者の心情を理解することが、第二第三の事件を未然に防ぐことにもなる。そう信じている。私はね、君にもそういう男であって欲しいと思っているのだよ。

 さて、君の恋人フィオナ嬢の作ったアップルパイが私を介して君に届けられるまでの間に、スターゲイジーパイにすり替えられてしまった“事件”についてだが、これにも何らかの事情があったものだと考えられるね。

 ルール、ルールうるさいな。いいから聞きたまえ。

 私はね、腹が減ってアップルパイをくすねたのではないのだよ。いいかね、たとえば、君がアップルパイを届ける道すがら、飢えた子供と出会ったとしよう。君の手には届けるように頼まれたアップルパイがある。そして目の前には今にも死にそうな飢えた子供だ。君ならどうする?

 そうだろう。そうだろう。私もそう思って、アップルパイを与えたのだ。つまり、私は君の代理でアップルパイを施したに過ぎない。しかし、アップルパイを盗んだ咎で君が私を警察に突き出すというのであれば、私はそれを甘んじて受けようと思う。その結果、ジャン・ヴァルジャンのように十九年もの間、獄に繋がれることになろうとも致し方のないことだ。

 警察に突き出したりはしない? ああ、友よ! 許してくれるのか。

 私は寄り添いの探偵たらんと心掛けているが、君は寄り添いのミステリー作家になるといい。うむ、私にも意味はわからんが、こういうのは響きが大事なのだ。

 では次に、君の指摘した私の髭にパイくずが付いていた件だ。まずは君の成長を好ましく思うと述べておこう。たいした洞察力だ。私の助手を務めるようになって――なに? 助手になった覚えはない? いや、君は私の助手だよ。世間もそう認識している。おい、頭を抱えるな。

 とにかく、パイくずのことだ。君は私の髭についたパイくずを見た瞬間にこう思ったのだろう。私がフィオナ嬢の作ったアップルパイを食べたのだと。間違ってはいない。が正しくもない。毒味と言うと君は気分を害するだろうから、味見と言い換えてもいいが、私は長いこと料理人をやってきたからね、自分の舌で確かめてからでないと、食べ物は提供できないのだよ。うむ、なかなかのアップルパイだったよ。素人が作ったにしてはよくできていた。野良犬もがっつくように食べていたよ。

 うん? ああ、野良犬に与えたのだよ。うむ、子供だ。仔犬だ。

 待て、こうは考えられないだろうか。あの仔犬は、飢えからいつか人を襲ったかもしれん。しかしフィオナ嬢のアップルパイがその危険を遠ざけた。それどころか、人の温かみを知った仔犬は、生涯、人を襲ったりはしないかもしれない。

 君がしたであろう善行を私は代理で行ったに過ぎないのだ。しかしだね、私だって気が咎めぬでもない。だから、こうしてスタゲイジーパイを携えてだな。いや、本来ならばアップルパイを作るべきなんだろうが、時間がなくてな。昨晩の残りのスタゲイジーパイで申し訳ないのだが、これで丸く収めてもらうわけにはいかないだろうか? アップルパイの代わりになるように、せめてもとしっかり砂糖とシナモンは振っておいた。

 味見? いや、してはいないが。

 おい、待て。どこに行く? 警察? さっき突き出さないと言ったではないか。待て、待ちたまえ! 友よ!

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寄り添いの探偵と消えたアップルパイ うたう @kamatakamatari

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