俺氏、後輩に負けてルールを強制される。マジ悔しい

まほろば

この借りは、いつか返す。というか、今すぐに!

 ――西暦2135年、6月1日。午後0時35分。

 東京都、新昴区しんすばるくに新しくできた国立大学・三葉さんよう大学の六号館で、俺は高校時代からの後輩である早坂美来はやさかみくと昼食を取っていた。

 今日の俺の昼飯は、鯖の味噌煮定食。早坂の昼飯は、鯛の西京焼き定食。どちらも350円と懐の寂しい大学生には優しい値段で、ご飯とお味噌汁はお代わり自由だ。そして何より、魚が美味い。漁港が近くにあるお陰で、新鮮な魚が届けられているからなのだそうだ。


 俺はその恩恵を存分に受けているというわけなのだが、生憎と今日は食べづらいこと、この上ない。

 なぜなら、俺は隣に座る美来と手をつなぎながら食事をしている、からだ。

 流石に、茶碗や皿を持つ時は手をほどくのだが、それ以外はずっと手を繋いでいる。周囲の視線が痛いし、とても恥ずかしい。

 俺は何度も止めようと、そもそもの元凶である美来に視線で訴えてみているのだが、本人はそれはもうご満悦といった表情で辺りに満面の笑顔を振りまいている。

 美来の顔があまりにも幸せそうなのだから、俺は先ほどから口を開きかけてはまた噤む、といった無駄な行為を何度も繰り返す羽目になっている。


 そもそも、なぜ俺がこんなバカップルみたいな真似をしているのか。

 原因は、今から数時間前まで遡る。




 同年、同日。午前7時23分。

 大学に向かうべく、借りているマンションから出て駅へと向かってた時のことだ。

 俺の左耳に装着されている、つい最近発売されたばかりの携帯端末・《コペルニクス》のメールボックスに、1件の着信が入った。

 視線を動かしてメールボックスを開けば、網膜に内容が直接投影される。発信者は、美来からだった。


 『先輩、ゲームをしましょう♪』


 メールには、一言そう書かれていた。

 ……なんだそりゃ? 俺がそう思うのも、なんら不思議な事ではない、はずだ。だって、大学に行っている最中、しかも朝からゲームをしようだなんて、コイツの生活はどうなっているんだ、と正直疑った。

 それに確か、早坂は1限目から授業があったはずである。

 なので、俺は大きなあくびをしながら、音声入力で返信の内容を打ち込んだ。


 『しない』

 『ゲームの内容は、しりとりです』


 と、思ったら、即座に次のメールが来た。

 ……このタイミング、俺の返信は見ていないな。俺に拒否権はないんですかそうですか、このやろう、一発叩いてやろうかな?

 そう思いながら《コペルニクス》を外そうとすると、次々とメールが届いた。

 


 『ルールその① 駅名縛り』

 『ルールその② 大学の校門をくぐった時、ひらがなの《あ》行の駅を言った方が負け』

 『ルールその③ 敗者は今日一日、敗者と手を繋いで過ごさなければならない』


 俺は《コペルニクス》を地面に叩きつけたくなるのを懸命に堪え、即座に返信を送る。


 『おい、しないって言っただろう』

 『先輩に拒否権はありませーん♪』


 早坂の返信には、動画も添付されていた。

 開いてみると、パジャマ姿であっかんべーをしながら笑う早坂の姿が。恐らく、《コペルニクス》を机の上に置いて、撮影したのだろうと思われる。

 余りの可愛らしさに緩みそうになる頬を必死に抑えながら、俺は早坂に通話を掛けた。


 《――あっ、つとむ先輩! おはようございまーす。メール、見ました?》

 《見た見た。ついでに、お前の動画も見た》

 《あ、そっちも見たんですね。現役女子大生のパジャマ姿なんて、滅多に見られるものじゃないんですから、堪能してくださいよー?》


 左耳からは、早坂の弾んだ声と共に、カチャカチャという高い音が聞こえてくる。一瞬遅れて、水を流す音も。

 どうやら、朝食を食べ終わって食器を洗っている最中らしい。


 《お前はもっと恥じらいを持て。せめて着替えろ》

 《うわー、先輩かたいなー。お父さんみたいですよ》


 ぶーぶーと文句を垂れる可愛い後輩に、俺は一言、必殺の言葉を言い放った。


 《そりゃ、父親みたいにもなる。お前のパジャマ、少しはだけてブラジャー見えてるんだから》

 《――え?》


 間の抜けた早坂の声と共に、ガタン、という音が聞こえてきた。水が流れる音はずっと聞こえているから、恐らくはシンクに食器を落としたのだろう。

 実は先ほどの動画。続きがある。動画の撮影モードを終了しようとしたのだろう、《コペルニクス》に近づいてかがんだ瞬間、僅かにはだけた薄桃色のカワイパジャマから、純白の下着が僅かに見えてしまった。

 その瞬間、俺の瞳は超画質モードで早坂の下着を捉え、脳内に記録することに成功した。

 いや、マジ可愛い。彼女にしたい。嫁にしたい。今すぐ結婚して、一生を添い遂げたい

 それにしても、だ。撮影した動画の確認もしないとは。これから先が思いやられる。


 《いやいや。先輩、嘘は良くないですよー》

 《……白》

 《っ!?》


 レシーバーの向こうで、息を呑む音が聞こえてきた。


 《高校時代は一切化粧っ気のなかった美来が、ちゃんと女性らしい変化を――》

 《先輩のすけべ! へんたい! おたんこなす! すかたんぽん!》


 そう言うや否や、美来は通話を切ってしまった。

 後に残されたのは、《コペルニクス》から聞こえてくるツー、ツー、という無慈悲な電子音と、駅の直前にある三叉路で呆然と佇む俺の姿。

 カーブミラーに映る俺の顔は、とても、とても不満そうだった。

 ほんと、なぜだ。



 同年、同日。

 駅のホームで電車を待っていると、後ろから誰かに背中をつんつんと指で刺された。

 ついに来たか、と思って後ろを振り向くと、そこには真っ赤になって下を向いている美来の姿が。


 「おはよう、美来。今日は時間ぎりぎりじゃなかったんだな」

 「…………あおもり」


 美来は一切こちらを見ないまま、小さな声でそう言った。

 一瞬、何のことか分からなかったが、さっきのメールのやり取りを思い出し、あのしょうもない勝負が始まったのだと悟る。


 「陸前高田」

 「たかさき」

 「北千住」

 「ゆ……ゆいがはま」

 「松江フォーゲルパーク」


 意外な事に、両者一歩も譲らない展開が続く。ふと、気になって周りを見てみると、ドン引きしている奴、ドン引きしている奴、駅名を必死に調べている奴、ドン引きしている奴が居た。

 あれ、ドン引きしているやつが多いな。ちくしょうめぇ!


 結局、最寄り駅を降りても決着はつかず、勝負は遂に大学の校門前までもつれ込む。


 「やるな、早坂。那須塩原」

 「らんでんさが」

 「が、が、が? ……学園都市、駅!」


 脳裏に閃いた駅の名前が、咄嗟に口から飛び出た。確か、広島だか名古屋にあったはずだ。

 早坂は校門に入る一歩手前で、悔しそうにしている。どうやら、この勝負は引き分けのようだ、と思ったら、早坂はにやりと笑って声高らかに駅名を告げた。


 「しあんばしていりゅうじょう」


 そう言うや否や、早坂は大学側へ飛び込む。確か、勝負の内容は『大学の校門をくぐった時、ひらがなの『あ』行の駅を言った方が負け』。

 ――なんてことだ。このままでは、俺が負けてしまうではないか!

 腕時計を見てみると、時刻は8時23分。このまま時間ぎりぎりまでしりとりを続けるという手もあったが、三葉大学はとても広いうえに、俺は始業の30分前には着席したい性格だ。

 どうやら、目の前で意地の悪い笑みを浮かべてふんぞり返っている後輩コイツは、俺の性格を把握したうえで行動していたらしい。

 結局、俺が負けを認め、ルールに則って罰ゲームを受ける羽目になったのだった。

 マジ悔しい!




 結果、このざまである。どうしてこうなった。

 俺は当の昔に食べ終わって、後は美来の食事が終わるのを待つだけである。腕時計を確認すると、午後0時41分。

 待ちぼうけに2時限目の授業で使った教科書を開いてみるのだが、片手では読みづらい上に汚してしまいそうで、悪戦苦闘した末に教科書を鞄に仕舞った。


 「うわ、たくあん美味しい!」


 隣から、美来のはしゃいだ声が聞こえてくる。その声に比例するように、繋いでいる右手にも力が込められた。

 俺の手より一回りも小さい美来の手は柔らかくて温かくて、だというのに少し力を入れれば壊れてしまいそうな、そんな儚さも持ち合わせていた。

 この年になっても女子と手をつなぐ経験さえない俺は、無性に緊張してしまっていて、手汗をかいているのが分かった。

 ……こいつ、嫌がったりしないんだろうか?

 そう思って少し握る力を緩めると、向こうがさらに強い力で握り返してくる。まるで、絶対に離さないと言っているかのようだった。


 「ふーっ! ご馳走様でした!」

 「……ようやく終わったか」


 それから5分かけて、美来はようやく昼食を食べ終わった。昼休みが始まった頃、食堂には溢れそうなほどに居た学生の数が、今は数えるほどしかいない。

 集団で駄弁る女子の集団か、昨日発売された漫画の話で盛り上がっている男子の群れとか。

 まったく、呑気なもんだ。こっちは可愛い後輩と、こんな大変な目に合っているというのに。


 「せんぱい?」

 「……なんでもない。それよりお前、飯粒ついてんぞ」


 こちらを覗き込む美来の小さな唇に、ほんの一粒だが、白い米粒がくっついていた。

 食べたい。

 瞬間的にそんな衝動が湧き上がって来た俺は、何も考えずに美来の唇に手を伸ばすと、米粒を指でつまんで口に放る。

 その瞬間、美来の顔が紅に染まった。


 「なっ、なんっ!」

 「うん、美味いな」


 立ち上げって絶句する後輩に、俺は平然を装って下から見上げる。

 二の句が継げず、食器もそのままに逃げ出そうとする美来の手を、今度は俺ががっちりつかんだ。

 緩みきった口元を見られない様に手で押さえ、真っ赤になった後輩の姿は、とても面白く、可愛く、愛しく映った。


 「せんぱい! なん、なんですか、いきなり!?」

 「いや、可愛かったから」


 見るからに狼狽している後輩に、俺はを追撃としてお見舞いする。


 「~~っ」


 顔をで覆い、その場で崩れ落ちた後輩に、俺は空いた右手を握りしめ、ずびしっと天に掲げた。

 ――この勝負、勝った! マジ嬉しい!

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俺氏、後輩に負けてルールを強制される。マジ悔しい まほろば @ich5da1huku

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