嘘と微熱の暗殺者
瀬塩屋 螢
myrule yourrules ourrules
差し出されたのは、一輪の青いバラ。
私は、
とは言え、ルールはルールだ。
短いため息を漏らし、私は黒髪の彼の瞳と同じ色のバラに、手を掛けた。ルカは私の手ごとバラを掴んで、少しだけ目を細めて笑って見せる。
「言ったろ。俺も一度決めたら
ここで初めて会った時と変わらない、温かい手をした彼は
――7日前――
暗殺者は、決してターゲットに怪しまれてはいけない。
闇に紛れるように、ひっそりと。それが叩き込まれたルール。
そのはずだった。
「お嬢さんが何者なのか知らないが、ここでのルールは守ってもらわなきゃ」
あまつさえ、ターゲットと一緒にロンドを踊るなど断じてありえない!
なのに、気が付いたときには彼。ミーラ・ルカシュオンのペースだった。今更、振りほどいて警戒されるわけにもいかず、彼の手から逃れようとするのをやめた。
平静を装って、辺りを包む軽快な音楽に身を預ける。
「なんの事かしら?」
「とぼけるなって、俺を狙いに来たんだろ。殺し屋さん」
「……」
「沈黙は是なり。だぜ」
そっと踊りながら、舞踏の輪から抜け出た。彼にリードされるまま、カーテンの奥の個室に連れ込まれる。
分厚いカーテンに阻まれ、舞踏会の賑わいと、音楽が遠のく。
暗殺するには格好のチャンス。
頭では分かっているのに、何故だか手が彼から離れない。まだ、バレた動揺が続いているんだ。感じたことのない胸の早鐘をそういう事にする。
「……どうして、分かったの」
「社交の場での立ち居振る舞いは完璧だが、パルファムの香りがしない」
一体どういうつもりなのか。私の正体に気付いているのに、彼は無防備にも私の耳の傍まで顔を近付ける。素肌に触れそうな距離。
「じ、人工的な匂いは嫌いなの」
「じゃあ、これは?」
オレンジ色の豆電球に照らされ、針型の
「……何が目的?」
「惚れた女を口説くのに理由はいらないだろ」
「とぼけないで」
やっとの思いで彼を突き飛ばして、距離を取る。
「本気さ」
爽やかで、嫌味のない笑顔。とてもじゃないが、裏社会の新興マフィアの頭とは思えない。
ましてや、命を狙われる人間だとも。
「どうかしてるわ」
「マフィアの
「言ってられるのも今の内よ」
睨んで見せるがまるで効果がなく、余裕ぶった微笑みに打ち返される。
「明日も会えるだろ」
「貴方が、生きていればねッ」
もう一度伸ばされた手を振り払って、精一杯の強がりで答える。彼の熱が、全身を伝うより早くカーテンを抜け出す。クロークに預けたローブを回収するのも忘れ、夜の街へ飛び出すのだった。
失敗するのは、相手の事を完璧に把握できていないから。
ミーラの暗殺の
ミーラ・ルカシュオン。若くして、新興マフィア“チェーロファミリー”の頭を務める。武闘派で、昔は帝国軍の小隊長まで上り詰めていた。マフィアにしては義賊的で、むしろ非人道的なマフィアやテログループを潰す事数回。同業者潰しの異名を誇る。人望は厚い。
調べれば調べるほどに、あの風貌と
「来てくれないかと思ったよ」
「自分の言葉には最大限、責任をもって生きるようにしているつもり」
「カッコいいね」
口笛を吹いて、彼は今日も私をダンスに誘う。優しく触れたその手をたぐり寄せ、彼のスーツを掴む。
「今日は、何回俺を殺そうとしたの?」
「8回かしら」
そっと始まったバイオリンの旋律に身をゆだねる。
「なかなかしつこく狙われてるんだな」
「嫌だったかしら」
「まさか、美人に命を狙われているんだ。光栄だよ」
「よかった。私、一度決めたら逃がさないの」
「奇遇だね。俺も一度決めたら逃さない
一瞬。彼の青い瞳が強く光った気がした。他の人からは感じられない緊張と高揚。表面的には穏やかに、彼はさらに言葉を続けた。
「ゲームをしないか?」
「ゲーム?」
「そ、俺は君を手に入れたい、君は俺の命を奪いたい。条件は揃ってる」
「ルールは?」
「期限は、10日間。君は今まで通り、俺の命を狙えばいい。ただし昼間だけ。夜は毎日ここで俺と踊ってほしい」
「それまでに私は貴方を殺せたら勝ちなのね」
彼がひとりで行動するのは、この舞踏会の間だけ。このゲームを受るのは、チャンスをふいにするのと同意だ。が、私が傍にいる以上他人にターゲットを奪われる不安はない。
何より、その自信が気に入らない。
「そのゲームのるわ」
「お気に召していただけたようで何より、ところで……」
音楽と音楽の小休憩。少しだけフロアが賑やかになり、彼はまた囁く声を私の耳元に寄せる。
「君の名前を教えてくれないか?」
「私の名前……?」
「“君”じゃ味気ないだろ。嘘でも構わないから、さぁ教えて」
「ニフル」
久しく使っていなかった名前を口にする。言ってから少し後悔。
偽名なんていくつも持っているのに、どうして。それだけもう彼にほだされてしまったのだろうか。
「ニフル。俺はミーラ・ルカシュオン。って知ってるよな」
「ミーラ」
「ルカでいいよ」
「ルカはいつもこうなの?」
「違うよ。ニフルだけ、本当に俺は君を手に入れたいんだ」
まるで、本物の貴族みたいに、ルカが私の手を
次の日も。その次の日も。他の依頼をこなしながら、私はルカの暗殺と夜のダンスを続けていた。
決して。怠けているわけでも、本気で無い訳でもないが、彼は手ごわい。
「最近、始終狙ってない?」
「えぇ、その通りよ」
「そんなに俺のモノになるの嫌なの?」
「それとこれとは話が別」
これは、そう言うゲームだ。それに依頼を遂行しないのは、暗殺者としてやってはいけない。引き受けた以上、最大限を発揮する。それは誰が相手だろうと変えないと決めているのだ。
「ニフルのそういう所、ますます好きになるね」
「……」
他の人間なら冗談で流せるところだが、ルカはいたって真面目な顔で言うものだから反応に困る。ここは強引にでも話を断ち切る方が得策か。
「これありがとう」
「どういたしまして、よく似合ってるよ」
示したのは、私のドレスの胸元に付いた赤い宝石が埋め込まれたブローチだ。この舞踏会のパートナーを示すブローチらしい。
これをつけて以後、他の男性が寄り付かなくなったので、効果は抜群のようだ。
「他の人のをもらったりなんかしちゃ、ダメだからね」
「誰も寄り付かないの知ってるでしょ」
それでなくとも、日頃から生きている人間より死体と接する方が多いって言うのに。ルカはおかしなことを言う。
戯れの様に、冗談の様にこうして時間は過ぎていった。
そして、ゲーム開始から5日後。
すっかり板についてしまった令嬢スタイルでロビーへ行くと、黒服のスタッフに止められた。
「ミーラ・ルカシュオン様のパートナー様でございますね」
「えっ、えぇ。そうだけれども」
「こちらにお越しください」
いつもの扉とは違う、枠に象牙の装飾が施された、扉の前に立たされる。なんだか、嫌な予感がする。逃げるチャンスを窺うが、下手に手を打って、会場に二度と足を踏み込めなくなるのは避けたい。
ロビーの雑音が、いつもより大きく聞こえたその時。
扉が開いた。
扉を開けた黒服が促すまま、私は会場の視線を一身に浴びて入場した。目の前には、いつもと変わらないルカの姿。それだけで、ほっとするような。この状況を作りだした犯人として断罪てやりたいような。
少しだけ長いドラムロールが流れて、穏やかなクラシックに変わる。
「今宵も舞踏会にお集まりいただき、感謝いたします。久しく我らが舞踏会のブローチでの求婚者が途絶えておりましたが、今夜ミーラ・ルカシュオンの求婚が正式に認められたことをルールに
マイクを持った黒服の言葉を、頭の中で何度もかみ砕く。
要するに、このブローチはただのブローチではなく。
「求婚の合図ってわけ」
「ルカ」
「5日間そのブローチを付けた女性は、男の求婚を受け入れたとして舞踏会で正式に認められるんだ」
「そんなこと一言も言わなかったじゃない」
「言ったら、ゲームの終了の前にゲームが終わるって気付かれるだろ」
会場に広がった熱波に水を差さない程度にルカを問い詰めるが、飄々とかわされてしまう。
「終わりにしようぜ」
彼は、一輪の青いバラを私へ向けた。
「言ったろ。俺も一度決めたら
彼の微笑みの裏には、計算高いマフィアの頭の顔が隠れているに違いない。
嘘と微熱の暗殺者 瀬塩屋 螢 @AMAHOSIAME0731
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます