応援コメント

16. この習慣、いる?いらない?」への応援コメント

  • 入院の時などは最初から「本当に気持ちだから、お返しは考えないで」と言ってお渡ししていますね。私もその辺りの感覚が希薄なので時々お返しをいただいてびっくりしてます。

    作者からの返信

    赤坂さん、コメントをありがとう!

    これを書いた時は、ボクもビックリが大きかった。

    今は、日本の人の気持ちは大事にしたい。
    でも、お返しもらうと、申し訳ない気持ちが起きる。
    両方の気持ちがあります。


  • 編集済

    あくまでも個人的な感覚かもしれませんが、私は「お返し」って「ありがとう」に対する「どういたしまして」なのかなあ、と感じています。

    このエッセイで思い出したのですが。私がアメリカで「よくわからない習慣」と思ったのは「寄付」でした。
    それこそ日本人の「お返し」と同じで(日本人が気持ちを込めて「お返し」するケースが少ないのと同じで)、アメリカでは「寄付」の機会が多すぎて「これ、気持ちなんてこもってない『寄付』だよね? 習慣とか、仕方なくとか、税金対策とか、みたいな?」と感じることが何度かありました(こんなこと書くと、他の日本人の方々から「それは日本でも同じ」と言われるかもしれませんが、あくまでも私の個人的な感覚です)。

    そして、こういう「気持ちがこもっていない」という件について考えながら読んでいたら、最後に出てきたチップの話。それこそ、本来は「ありがとう」の気持ちで渡すべきなのでしょうが、私は「気持ちがこもっていない」チップばかり渡していました。いつも「一種の消費税みたいなもの」という感覚でチップを出していました。

    作者からの返信

    烏川さん、ありがとう。
    返信が遅くなってすみません。

    あなたの言うとおり、気持ちがこもっていることが大事だと思います。
    逆に言えば、気持ちが伝われば、物をあげなくてもいいとも思います。

    日本のこういう習慣と意味は理解しているけど、やめたいと思ってもやめられないという人の意見を聞くと、少し考えてしまいました。「気持ち」がないのにやっているということですから。
    でも、形式に従うことで人間関係がうまく行くという事実も否定できないのかもしれません。

    今回ボクのあげた金額がとても少なかったから、よけいにこういうことを考えたと思う。
    高い金額をあげていたら、半分お返しに使っても、その人に残るお金も高いから、こんなに疑問を持たなかったかもしれない。

    次に、寄付のことだけど、寄付も気持ちや意識はいろいろです。
    ボクの個人の意見は、税金は何に使われるかわかりません。寄付は、使ってほしいところに送れます。税金対策と同じになるけど、寄付の方がお金の使い道を自分で選べると思ってる人もいるかもしれない。

    とにかく、どんなことでも、気持ちが大事。これはその通り、心に刻みたいですね。