夢から醒めてしまわないように

大森

第1話

 目が覚めると僕は、見渡す限り土色の世界にいた。背後には石で作られたアーチがあって、その先は見える限りずっと、赤茶色の大地が続いていた。左右はやはり赤茶色の壁がそり立っていて、どうにも上ることは出来そうに無いと思えた。

 

 目の前には、ところどころ壁がひび割れた建物があった。どことなく、僕の通っていた小学校に似ていた。

 

 僕は仕方なく、傍にあったバッグを背負って、その建物の入り口に近付く。壁はボロボロで今にも崩壊しそうな雰囲気があったが、扉だけはいやに奇麗だった。恐る恐る扉を開けると、錆びた鉄のこすれる嫌な音が校舎に反響していた。


 建物の中は外見とは裏腹に非常に清潔そうな、温かい雰囲気を感じる作りだった。しかし、何故か人の声が全く聞こえてこないことに気がついた僕は、さっさと出口を探して帰ろうと思い立った。

 後ろを振り向くと、僕が入ってきた扉は跡形もなく消え去っていた。大きくため息を一つついてから、僕は廊下を右に向かって歩き始めた。


 突き当たったところに、古びたエレベーターがあった。ボタンが光っていて、まだ使えるようだった。

 他に道は無いので、僕はエレベーターを呼ぶことにした。とにかく、早くこの場から立ち去りたかった。

 

 チーンと間抜けな音を出して、エレベーターの扉が重々しく開く。中には、爽やかそうな印象を受ける銀髪の男性が一人乗っていた。制服を着ているから、きっとこの学校の生徒か何かに違いない。少なくとも僕よりは何か事情を知っているはずだと思った。


「あの、すみません」

 僕は彼を見上げる。

「あの、変な質問かもしれませんけれど、ここは一体どこなんでしょうか?」

 彼は僕をまじまじと見つめて、あぁ、と何か合点がいったように微笑んだ。

「ここがどこか、ですか。それは私も解りかねるのです。少なくとも、ここが何なのかを詳しく知っているのは、きっとあなたの方でしょう」

 その言葉に、僕は冷や汗をかいた。

「こんな所に見覚えはないし、僕には解らないよ。せめて、この建物が何なのかくらいは教えてくれないか……解っていたら、だけども」

「ふむ……そうですね。あなたはこの建物を何だと思いましたか?」

「僕の通っていた学校に似ていたから、てっきり学校かと思っていたけれど……」

「なるほど、学校ですか! ではきっと、この建物は学校ですよ。あなたが言うのだから間違いありません」

 僕はなんだか、その問答に馬鹿にされているような感がして、右足を小刻みに動かし始めた。直後、がたんと大きな音がして僕は衝撃に襲われた。

「いけませんね、このエレベーターも古いものですから、多分止まってしまったようです」

 銀髪のその一言に、僕はぎょっとした。

「そんなのんきに言ってる場合かよ、早く助けを呼ばないと」

「その心配には及びませんよ。今回はここでオシマイのようです。ほら、あなたも感じているでしょう。エレベーターを支えていた、古びたロープが切れていくのを」

 その一言を聞いた瞬間、僕は、僕の乗っているエレベーターを俯瞰していた。既にロープは首の皮一枚繋がっている状況だった。

 

 僕は息をのみ、顔が青ざめる。視点はいつの間にか、元の視点に戻っていた。

「いや、これはなおさら早く助け呼ばないと!」

 なるべくエレベーターに衝撃を与えないように、慎重に動く。銀髪の男は、この状況でも余裕を失わずにいた。

「大丈夫です。もう助けを呼んだところで、助からないのは確定しています」

「あんた生き延びたくねえのかよ!」

「面白いことを言いますね。私たちが生きるか、死ぬかはあなたが決めることで、私が決めることじゃあ無いんですよ。あ、もうロープ切れますよ。準備は良いですか」

 その態度に僕は髪の毛が逆立つような感覚を覚えた。一歩、彼の方に足を踏み出した瞬間、大きな音とともに体が軽くなる感覚に襲われた。永遠に続くとも思われたその感覚は、轟音とともに終わり、僕の視界は暗くなった。














 目が覚めると僕は、見渡す限り土色の世界にいた。背後には石で作られたアーチがあって、その先は見える限りずっと、赤茶色の大地が続いていた。左右はやはり赤茶色の壁がそり立っていて、どうにも上ることは出来そうに無いと思えた。

 

 目の前には、ところどころ壁がひび割れた建物があった。どことなく、僕の通っていた小学校に似ていた。

 校庭と思わしき、その建物の前の広場では、十代半ばくらいに見える少年少女たちが机を取り囲み、何か作業をしているように思えた。


 少年少女たちの背に隠れ、彼らが何をしているのかまでは僕から確認出来なかった。僕は恐る恐る、その集団に向かう。近付くにつれ、食欲をそそる匂いを感じて、また寸胴鍋を見ることも出来た。どうやら料理をしているようだった。


 僕が近付くことに気がついた少女が一人、

「小山くんも早く手伝ってよ!」

 と笑顔で僕を呼び寄せる。その声の主に近付いた僕は、彼女が僕の小学生の頃の同級生だと言うことを思い出した。輪郭はぼやけていて、顔を認識は出来なかったのだが、何故か彼女が僕の同級生であるということだけは明確に意識出来た。背格好が小学生の頃と変わっていなかったのが、僕に奇妙な感覚を植え付けた。


 彼女は包丁を握りしめ、野菜を切っているところだった。

「食事を作らないといけないから、小山くんにも手伝ってもらわないと人手が足りなくて」

 彼女の言葉に僕はしたがい、机に向かう。

「じゃあ、小山くんはこっちの準備をお願いね」

 彼女はそう言いながら、どこから取り出したのか、僕に肉を投げ渡してくる。隣では、見知らぬ男の子が鍋をかき混ぜていた。良い香りではあったが、僕にはそれが何を作っているのかはついに解らなかった。


 僕は、まるでプロの料理人になったかのように、手際よく与えられた肉を切り分けていく。

「切り終わったよ」

 僕は隣の彼女に声をかける。彼女は僕を振り返り、満面の笑みを返す。この殺風景の世界には似つかわしくない、ヒマワリのような笑顔だった。

「よし、じゃあ後は最後の仕上げをしてオシマイだね!」

 その「オシマイ」の一言を聞いた時、僕は得も言われぬ恐怖感を覚えた。ここにいたら死ぬ。咄嗟にそう判断してしまう不気味さが、その言葉にはこもっていた。

 慌てて後ずさりをするも、鍋をかき混ぜていた男の子に後ろから羽交い締めにされた。彼は、少年のような体躯からは考えられないほどの怪力で、僕の動きを完全に封じていた。

「逃げちゃだめだよぉ。料理が完成しなかったら、みんなが困っちゃうじゃん」

 彼女は右手に持った包丁をうっとりと眺めながら、僕に一歩一歩近付いてくる。僕は必死に抵抗したが、どうにも抜け出すことは出来そうに無かった。

「まてまてまて! 何する気だよ! とりあえず包丁を置いてくれ!」

「だって包丁無かったら料理出来ないじゃん。小山くん、そんなことも解らないの」

 先ほどまでの笑顔はどこに消えたのか、彼女は能面のように表情が消えた顔で、僕を見上げてくる。

「ちょっと痛いかもしれないけれど、大丈夫。小山くんはきちんとやれるから」

 彼女は、僕の左手にそっと包丁を寄せる。

「じゃあ、始めるよぉ」

 左手に激痛が走った。親指と人差し指の付け根が、パックリと熟れたザクロのように裂けていた。僕は叫び声をあげながら暴れるが、やはり男の子の羽交い締めから逃れられる気はしなかった。


「あちゃぁ。やっぱり普通の包丁じゃあ骨を一撃で切断するのは難しいね。仕方ないなぁ」

 そういうと、彼女が持っていた包丁は、みるみるうちに厚手の中華包丁へと変化していく。

「これなら多少は楽に骨も切れるよね。じゃあ、どんどんいこう!」

 彼女が包丁を振り下ろすと、また今まで覚えたことのない激痛が僕を襲う。左手の親指は既に感覚を失っていた。

「じゃ、次は人差し指ねぇ」

 返り血で赤く染まった彼女は、にこやかな笑顔を浮かべて僕に語りかける。



 その後も、彼女は僕の指を次々と切断していった。左手が終わると右手へ。あまりの痛みからなのか、気を失うことも出来なかった。

 僕の両手の指を全て切り落とした彼女は、

「頑張ったねぇ。今ご褒美あげるからね」

 と涙と血と汗でぐちゃぐちゃになった僕の顔を優しく撫でてくる。

「もう……勘弁してくれ……」

「大丈夫、その痛みももう終わりだよ」

 僕は羽交い締めを解かれて、そのまま前につんのめりになって倒れ込む。彼女が僕の背中に乗っかるのを感じた。

「次は一瞬で終わるからね、安心してね」

 風を切る音が耳元から聞こえた。視界がころころと回転する。最後に僕が見たのは首が無くなった僕の死体だった。


 目が覚めると僕は、見渡す限り土色の世界にいた。背後には石で作られたアーチがあって、その先は見える限りずっと、赤茶色の大地が続いていた。左右はやはり赤茶色の壁がそり立っていて、どうにも上ることは出来そうに無いと思えた。

 

 目の前には、人が一人佇んでいた。下を向いているからか、長い前髪が邪魔をして、僕から顔を窺い知ることは出来なかった。

 着ている制服から、僕が通っていた高校の人間で、女の子なのだろう、と言うことは辛うじて判断出来た。

 

 

 僕は、どうしたものかと判断をつけられずにいた。後ろのアーチをくぐって、この謎に満ちた世界を少しでも見て回るか、彼女に近付くか。どちらも危険な賭けに思えて仕方なかった。



 僕が足りない脳細胞を活動させていると、唐突に僕の足は彼女に向かって歩き出した。僕は必死に足を止めようとするが、僕の意志に反して、足が止まることは無かった。

 まるで、糸で手繰り寄せられているかのように、僕は彼女へと近付いていく。

 その距離が十メートルも離れていないような距離に来た時に、彼女はようやく、顔を上げて僕を真っすぐと見つめてきた。

 僕が、高校生の時に片思いをしていた子だった。僕の記憶よりも髪の毛が大分伸びたようには思えたけれど、間違いなく彼女だった。

 輪郭もぼやけていなかったし、むしろ鮮明に判別出来るくらいだ。

 透き通るような真っ白い肌、さらさらとしながら艶のある黒い髪、少しふっくらとした頬……。何年も昔、僕が恋をしていた彼女のままだった。


「久しぶり。小山くんの夢を叶えに来てあげたよ」

 彼女は僕に笑顔を向けてくる。



「ここが夢の中なんだっていうのは、きっと小山くんも何となく察しがついているよね? 何回も繰り返してるもんね。何度も再生してるもんね」

 彼女は焦点のあっていない目で、口を半開きにしながら宙に言葉を投げかける。

「でね、小山くんの夢なんだからさ。小山くんが夢見ていたことを私が実現してあげようと思って」

 唐突に彼女は、僕に走り寄ってくる。衝撃とともに、彼女は僕に抱き着いた。瞬間、僕は背中に熱いものを感じ倒れ込む。背中に手をやると、手は真っ赤に染まっていた。

 彼女は笑いながら、血の付いたナイフを僕に見せつける。

「小山くん。好きな子に殺されるのが良いって言ってたもんね。こうされるのが夢だったんだよね。夢の中で夢が叶って良かったね? 大丈夫、まだまだたくさん殺してあげるから」


 確かに、僕は好きな子から殺したいと思われるくらいに愛されたいと思っていた。それが今、夢の中ではとは言え叶っている現状。だがしかし、そこには喜びも充実感も、何も無かった。ただただ、虚無感だけが僕の心に重くのしかかっていた。


「殺されたいんじゃ、なくて……僕は、ただ、それくらいの心持ちで愛されたいんだ……」

 血が減ってきたのか息が苦しくなり、途切れ途切れに言葉を発するのが精一杯だった。


「なんで? 私は君のことをこんなにも愛して、殺意を持ってやってあげているのに。何が不満だっていうの?」

 彼女は僕に馬乗りになって、胸元にナイフを突き立て続けながら僕に語りかけてくる。

 血しぶきが僕の顔に降り注ぎ、世界を真っ赤に染めてゆく。僕にはもう、指を動かすことすら出来なかった。










「起きてよ、小山くん。まだ終わりじゃないよ」

 目が覚めると、そこには彼女が立っていた。笑顔で僕にナイフを向けていた。

「まだまだ、もっといっぱい、何度でもやってあげるから、安心してね。嬉しいよね。私に殺されるんだもんね。あんなに好きだった私に殺されるなんて、冥利に尽きるよね」

 僕の顔は恐怖に歪んでいたと思う。

 

 彼女は少しずつ、僕に近付いてくる。僕は逃げようと振り返るが、そこに彼女は立っていた。

「無駄だよ。夢なんだからさ。ここではなんでもありなんだよ。小山くんがどう思おうと、小山くんが思った通りに、起きるまで殺され続ける世界なんだよ」

 そう言いながらにじり寄ってくる彼女に、僕は気圧される。


 じりじりと後ろに下がる僕の頭では、彼女の言葉が反芻していた。

「小山くんが思った通りに……」そうだ、ここが夢の世界ならば、夢の中の登場人物だけではなくて、僕にもさまざまな超常現象が、僕に考え付く限りで可能なのではないか?


 そう考えた僕は、目を閉じながら武器が欲しいと強く念じる。右手に重みを感じて、ちらとそちらに目をやると、程いい重さの金属バットが握られていた。


 彼女は既に、僕まで数歩という距離まで来ていた。


 僕は一つ大きく息を吐く。それを合図にして、彼女が僕に突進してくる。僕は大きく振りかぶったバットを彼女の頭めがけて振り下ろす。


 手に鈍い感触を覚えるのと同時に、胸に激痛が走り、僕は倒れ込む。薄れていく視界の隅に、彼女が頭から血を流して倒れているのが見えた。



 朦朧とした意識の中で僕は、これで夢から醒めれるかなと考え、意識を手放した。





















 ぼんやりとした意識が思考を邪魔していた。耳元でアラームがけたたましく鳴っているのが聞こえた。彼はもぞもぞ体の向きを変え、携帯を手に取りアラームを止める。


 恐る恐る目を開けると、彼は布団の中にいた。先ほどまでの光景を思い出し身震いする。

 それにしても、いやにリアリティのある夢だった。そう思いながら、彼はタバコをくわえてベランダに出る。

 ベランダに出た彼は、くわえていたタバコを落としてしまった。開いた口が塞がらなかった。

 ベランダはから見える世界は相変わらず赤茶色の土で埋め尽くされていて、空はどこまでも赤黒く染まっていた。




 下を見ると、頭から血や脳漿を流し続ける彼女が、感情のこもっていない目で彼を見つめていた。彼の視線に気付いた彼女は、ケタケタと笑っていた。

 彼には、呆然と立ち尽くしながら、彼女を眺めることしか出来なかった。

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