第十夜 雨上がりの月の話

 狭い路地ろじから大きな通りにさしかかると、小雨こさめが降り出した。

 空は明るかったが、全体的に灰色っぽく、太陽はどこにも見当たらない。

 私は傘を持っていなかったので、どうしたものかと思案しながら歩いているうちに、街角の方の空き地にたどり着いた。

 そこには、大きなはいバスがごろりと転がっていた。


 横倒しになった廃バスは、かなり長く放置されていたらしく、あちこちが錆びだらけだった。それでも、中はわりにあたたかく、雨宿りをする分には何の問題もないように思えた。

 小雨はなかなかやまなかった。静かで、耳を澄まさないと、雨の音は聞き取れないほどだった。そのかすかな音を聞くともなしに聞いているうちに、何だかとても眠たくなってきた。


 うつらうつらとしていると、私の後ろの座席の方から鳴り出した音で目が覚めた。

 虫の羽音はおとのような感じだが、ところどころで金属のきしむような音がする。

 座席の影になってる場所を覗いて見ると、汚れた機械のようなものから始終、音が鳴ったりきしんだりしていた。

 見ようによっては、必死に起き上がろうとしてるようにも見える。

 何となく気の毒にも思えたので、起き上がるのを手伝ってやることにした。機体は意外に軽く、つっかえてる所を外してやると、急に活発に動き出した。しかし、こちらに危害を加える様子はなかったので、大分人に慣れているもののような印象を受けた。

「……アリガトウゴザイマス。長イ間、動ケナクテ困ッテオリマシタ」

「喋れるのか」

 私がそう言うと、機体からまた虫の羽音のような音が鳴り始めた。

「解析シテマス。解析シテマス。アナタトハ、ドウヤラ初メテ、オ会イスル方ノヨウデスネ。ハジメマシテ」

「はじめまして」

「ドウシテコンナ所ニイラッシャルノデスカ?」

 それはこちらが訊きたい質問だが。

「雨宿りをしてたんだ」

「雨宿リデスカ。現在、雨ガ降ッテオリマス。コノ地帯デ完全ニヤムニハ、アト三時間ホド掛カルデショウ」

 気象予報の出来る機体とはまた珍しい。

「君はところで、こんなところで何をしてたんだ?」

「……」

 急に機体が沈黙した。いぶかしげに、しばらく待っていると、

「……アナタニ、オタズネシタイコトガアリマス。天国トハ、一体ドコニアルノデショウカ?」

「天国?」

 何を言い出すかと思えば、やたらと形而上的けいじじょうてきな質問が飛んできた。

「……昔、私ノゴ主人様ガ言イマシタ。天国トハ、空ノ高イ場所、オ月様ト呼バレル衛星ノ辺リニ存在スルノダト。私ニハ、ヨク理解デキナイノデス」

「天国か……」

 私にもよくわからなかった。


 それから雨がやむまで、私たちは会話をし続けた。

 彼を所有していた人間はどうなったのか、いま人類はどうなっているのか、これから私は何をしようとしているのか。私にはよくわからないことばかりだ。

 雨に洗われたような明るい満月が、雲間から現れた。

「私はもう行くが、君はどうする?」

「私ハ……ドウシタラヨイデショウ?」

「君のしたいようにすればいい。ついて来たいと言うなら連れてってやる」

 機械はためらいがちに、廃バスから降りて、私の後について来た。

「ヨロシクオ願イシマス」

 私たちは、満月の光に照らされながら一緒に歩いた。

 

「ところで、君の名前は何て言うんだ?」

 彼から例の解析音が鳴り出した。

「私ノ名前ハ……ノイド1号デス」

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