第五夜 光を盗まれた月の話

 夏の夜更けのことだった。

 僕が旅先から疲れて帰って来てみると、ちょうど玄関前で巡回中のお月様から職務質問を受けた。

「私の光を盗んだ人がいるので、こうしてひとりひとり訊いて回ってるのですが、何かご存知のことがあればご連絡ください」

 それだけ言ってお月様は帰っていった。

 僕は家の中に入ると鍵を閉め、カーテンの隙間などがないか確認をし、ふところから丸いコインのようなものをこっそりと取り出した。暗闇の中でそれは実に美しく黄金色こがねいろに輝いた。

 いま、月の光は、僕の手元にある。


 神社の境内けいだいを流れる川の水を手にすくって、月影を映すだけで月光を盗むことが出来る。初めに人から聞いた時は半信半疑だったが、やってみたら案外簡単だった。

 しかし、どこの神社でもうまく行くとは限らない。ちゃんと月をご神体しんたいに祭ってる神社でないと、光は中途半端にしか盗めないのだ。

 その条件を満たす神社を精査せいさしたところ、辺鄙へんぴな離島にあることが判明したので、数日をかけてそこまで行って来た。

 神社は鬱蒼うっそうと茂った森の中にあり、周囲にはほとんど人家がなく、いかにも月の光を盗むのにうってつけだと思われた。

 その日は雲ひとつない快晴だった。

 夜中になるのを待ってこっそりと境内に忍び込み、川の水を手で掬って、その水のおもてに、月影を映した。

 あっという間に月の光は水の中に吸い込まれ、凝縮ぎょうしゅくして一枚のコインのような形になった。きらきらと光るその物体は、おもわずため息をつくほど美しかった。この世に、こんな美しいものがあることが、しばらく信じられないほどだった。


 月の光は実に豊かな用途ようとがある。

 水に照らせばいい香りのお酒が出来るし、小麦粉に混ぜれば美味しいパンが出来る。ベートーベンの楽譜にかざしてみれば、ピアノが無くてもベートーベンの音楽が聞こえてくる。

 ある日、月光のお酒にしたたか酔っ払い、月光をふところに入れたまま外出すると、街灯の辺りで青白い顔をしたお月様とバッタリ会ってしまった。

「どうです?月光は見つかりましたか?」

「全然ダメです。新聞やテレビは真面目に聞いてくれないし、警察は初めから相手にしてくれません。月に人権はないよ、と笑われました。光らない自分にいったい何の価値があるというのでしょう」

 気の毒だったが、月光を返すわけには行かない。適当な慰めの言葉を掛けて、そのまま家に帰って来ると、懐に入れていたはずの月光がどこにも見当たらない。

 街灯の辺りで落としたことを思い出し、あわてて駆けつけたが、結局見つけることは出来なかった。

 絶望的な気持ちで道をとぼとぼ歩きながら、ふと見上げると、煌々こうこうと輝くお月様が、夜空の頂上で嬉しそうに微笑ほほえんでいた。

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