第四夜 二つの影と二つの月の話

 古くからの友達が、旅先で異様な出来事に遭遇したというので、彼を連れて、副業で霊媒師れいばいしをやっていた祖父の家を訪ねた。ちょうど春のお彼岸の頃だった。

 三年ぶりに見る祖父はまったく変わっておらず、居間のテーブルでサイダーを飲みながら時代劇を観ていた。

「この時代劇、何?」

「『長崎犯科帳ながさきはんかちょう』」

 全く知らない。

 とりあえず祖父が観終わるまで、『長崎犯科帳』を一緒に観ながら待つことにした。『長崎犯科帳』は、若かりし日の田中邦衛や火野正平やらが出ていて、時代劇にしては型破りなプロットは、それなりに楽しめた。

 ようやく『長崎犯科帳』が終わったので、友達を紹介しつつ、話を始めさせた。


「旅先で、暗くて長い道を歩いていました。道に迷ったのですが、歩いていればどうにかなるだろうと、特に心配せずにいたのです。すると、妙なことに、私の。空を見上げると、恐ろしく大きい満月が、二つも浮かんでいたのです」

「満月が二つ?」

 祖父が訊いた。

「はい。気味が悪くなって、早歩きで歩いていると、いつのまにか両隣に二人の人影が、私を挟み込むように歩いていました」

「その時、月が二つとも雲に隠れたのだね」

「その通りです。よくおわかりで」

「月光が照らさなくなったから、影が人間の姿を取ってしまったのだ」

「そんなことがあるなんて信じられません」

「それからどうなった?」

「人影から逃げるように夜明けまで歩き続けました。空が白み出すと、人影は嘘のように消えてしまいましたが、今でも気持ちが悪くて、夜道を歩けません」

 どうしたらいいでしょう?そう訊かれた祖父は、黙って台所からコップと、何かの黄色い粉を持って来た。

「ちょっとした逆療法だが、まあその程度ならこれが一番だろう」

 そう言って祖父は、友達の前のコップに、自分が飲んでいたサイダーを注ぎ始めた。そして、黄色の粉をひとつかみコップに放り込むと、サイダーから無数の細かな気泡が激しく立ち、しばらくすると元に戻った。

「何を入れたんですか?」

 私が訊いたが、祖父は答えなかった。

「これをひと息に飲み干しなさい。大丈夫。体に悪いものは一切入ってないから」

 友達はおそるおそるコップに口をつけ、ためらいがちではあったが、何とか全部飲み干した。

「これで大丈夫。少なくとも、もう夜道で影に悩まされることはないよ」

 友達は半信半疑の様子で帰っていったが、今日に至るまで何とも言って来ないので、まあ大丈夫なのだろう。何かあったら、その時はその時だ。

 後日、誰もいないときに祖父にこっそりと聞いたら、あの黄色い粉が、月のカケラを砕いて作った粉だと白状したので、私は肝を冷やした。

「何でそんなものを持ってるんですか?」 

「ちょうどお彼岸で戻ってくる途中に、月がとても綺麗だったから、はじっこをこっそり砕いて貰って来たんだ。大丈夫、誰にもバレてないから」


 祖父が亡くなってから三年目の、春のお彼岸に見た夢である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る