第20話 さて、もうちょい引っ張れるかなー
◇
さて、もうちょい引っ張れるかなー、なんて思ってはいたんですが、限界っぽいので。
折々では触れましたが、ここであえて断言するならば、「春夏秋冬殺人事件」当時閉鎖された
僕は除く。
C.H.K.さんが潜在的な人殺しだということも、未来的な犯罪者だということもおそらく今更説明することじゃありませんけれど、一応今更の情報のすり合わせという物は必要ですからね。
人気お笑い芸人の勘違いコントじゃありませんから、事前情報の差異で話が食い違うのは側から見れば愉快かもしれませんが、本人たちからすれば笑えません。
ですから、もしかするとほんの少し億劫な会話になるかもしれませんが少しだけ付き合ってください。
万が一とはいえ、僕が「C.H.K.の人に会った」という話を「ははあ、なるほど日本放送局の下請け職員が受信料の回収に来たんだな」と勘違いされても困りますしね。
C.H.K.――つまりCan Not Help Killing.
中学校の英語の時間だったか、社会の時間だったか忘れましたが、この英訳を「人殺しは救えない」だなんて誤訳してしまい怒られたことはよく覚えています――まあ今思い返してもそれが間違いだとも思いませんけどね。
当時の僕は狙い澄ましたかのようにそれしかない誤訳をしたものです。
そんな救えない誤訳は置いておいても、正しくは「人は人を殺さずにはいられない」、だそうです。
所謂cannot help doing構文という奴ですかね、「○○せずにはいられない」って奴。
「人は人を殺さずにはいられない」などと言ってしまえば、なるほど哲学的な思想だとか教訓めいた意味を内包する言葉のように聞こえますが、しかしそれは貴方も知っての通りこの言葉にそんな深い意味はないんですよ。
Can Not Help Killingが指し示すことなんてただの「先天的強迫性殺人障害」です。
引き続いて英語のお勉強的に言えば「the rich」が裕福ではなく、裕福な人を指し示すのと同じようなものなのかもしれません。
多分違いますね。
しかし、それは置いておいても「Can Not Help Killing」が指し示すのもまた、やっぱり「人を殺さずにはいられないこと」ではなく「人を殺さずにはいられない人々」なんです。
「いかにも」なそれっぽい正式名称の方の略称も確かありますけれど、世間一般的に通用されるのは先の英文の頭文字を取って「C.H.K.」――CANじゃなくNOTの方をとればステキな略称だったのになんて日本人なら誰しも一度は思ったことがありますよね。
そのNH、じゃなかったC.H.K.の罹患者――依存者なんて言い方の方が正しいかもしれませんが――そのC.H.K.患者は先述の通り、「人を殺さずにはいられません」――と言えば、ただのやばい集団のように聞こえますが、しかし彼らはそう常日頃から殺人衝動を振りまいている訳ではないんです。
その辺が僕が昔読んだラノベに出てきた殺人衝動が抑えきれないキャラと違うとも、似てるとも言えるんですけれど――少なくともそのキャラ達と違いC.H.K.患者が日常生活を送る上でその殺意が何か不都合を生じさせるということは無いと思います。
人生のどこかで訪れる、その一回以外は。
――彼らは殺人衝動があると言っても常日頃からそれを撒き散らしている訳ではありません。
ただ、突発的に、衝動的に、前兆もなく、脈絡もなく人生で一度だけ日常を非日常に変えてしまうんです――他ならぬ自分自身の手によって。
手にかけるのは家族か、友人か、恋人か、赤の他人か、仇敵か、はたまた悪の大魔王か、そこまでは誰にも――本人にさえもわかりませんけどね。
人間ってものは普通に生きていれば非日常を体験することくらい一度や二度はあるでしょうし、こと非日常さに関して一家言を持っている僕に言わせて貰えば何も起きない日常が今日も明日も明後日もこれまでもこれからもずっと続くと信じている方がよっぽど非現実的ですよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます