第32話 竜人をさがして(第一部完)

ひとしきり流れ落ちるに任せ、ジョサイアの涙はようやく止まった。複雑だった話がひと段落すると、意識外にあったものが途端に気になってくる。

口で咥えて運んだ影響で、ジョサイアの全身は湿ったままだ。

「とりあえず、どこかで綺麗にして着替えんと風邪引くわ」

彼の鞄に入っていた替えの服は運良く濡れていない。手慣れた様子で小枝を集めて焚き木を組み、沐浴をしに川へ向かうのを見送った。

絵本や口伝で知った冒険譚の中には邪竜が火を吹く場面が散見されたが、マーリャが何度息を吐いても単なる風にしかならなかった。

黒竜がどのような特徴を持っているのか、今後は少しずつ学ぶ必要があるだろう。

身体を洗い終えて着替えたジョサイアが倒木に腰かけ、火にあたって暖を取るのを背後からしばらく眺めた。

「吾(わ)のこの姿は、もう、どうにもならんのかな」

身体が変わった理由も事情も把握したが、違和感はなくならない。マーリャの自己意識はあくまで人間のままだった。

「元に戻りたいのかい?」

ジョサイアが振り返る。

「ずっと人やったけ、そっちのが性に合っとう。無理やち理解はしとっても、しんどいわ」

人気のない山や洞窟に隠れ住み、野生動物じみた生活を送らなければならないかと思うと気が重い。

心情を察したジョサイアは立ち上がってマーリャの側へ寄ると、安定を得るため地面に下ろしてあるマーリャの手ーー鋭利な爪が揃った竜の前脚の状態を確かめるように、ごく軽く触れてみせた。

鱗が覆っているせいか、感覚が少し鈍い。

「……元と似た姿になら、なれるかもしれないよ」

手を離し、可能性は低いけれど、と前置きをしてから口を開く。

「君の今の身体は、人間一人分の血肉を強引に竜の形へ変換させたものだ。容貌はヴェアトに似ていても、性質は竜人(ドラゴニュート)に近い。彼らの助力を得て、造形を模倣すればいい」

「竜人?」

「半身に鱗を持つ亜人種だよ。実際に接触したことはないけれど、隣国のピュタータという山にも住んでいるらしい。共通語を解し、翼がない代わりに二足で俊敏に走ると聞いている」

異種族、亜人種と一言で示しても、その基準は曖昧だ。

自分たちと似通った特徴を持つ存在を知った人間(ヒューマン)は、独自の価値観でそれらを呼び分けた。

エルフやドワーフなど、ある程度人間と住処が重複し人間との混血が生じるほど近い種は『異種族』。姿かたちに似た部分があっても生態に著しい隔りがあり、子も発生しない種は『亜人種』とされている。

ゴブリンなど人間に害をもたらす敵対者が多い亜人種をまとめて魔物と扱う向きもあるが、目撃例の少ない竜人が敵か味方かは、実際に遭遇してみなければ分からなかった。

「幸か不幸か、ここは国境からそう遠くない。確かめに行くなら、僕も同行させてくれないかな。盾くらいにはなると思うから」

さりげない気遣いを込めた言い回しや控えめな表情には、過去の体験を語っていた時のような苦々しさはない。

容易に人里へ出られなくなったマーリャにとって護衛がついてくれるのは都合が良かったが、簡単に頷こうとはしなかった。

「何十年も人のために働いてんやろ? 吾(わ)のことも、責任感じてんかもしれんけど……気にせんとおってもええんやない?」

「いや。僕は、ずっと僕のためだけに生きてきた。ヴェアトが好きだったのも、竜になりたいと願ったのも全部自分の意思だよ。今だって、個人的に君を助けたいだけさ」 

無理強いはしないし、断ればこのまま立ち去る。

あっさりとそう言ってのける態度の裏に何か含みがあっても、マーリャにはまだ察しきれない。

人の精神を持つ嵌合体(キメラ)ではなく『ヴェアトの遺児』だからこそ、庇護対象と判断されている気もする。

優しいようでいて、一個人として捉えていない残酷な見方だ。

それでも、マーリャは義父のような立場のジョサイアを今一度信用しようと思った。

「自分を投げ出したり、人をどうにかせんなら、ええよ」

竜の身体である限り生みの親にも親しんだ友人たちにも、もう会えない。

どうしようもない孤独を理解し、良くも悪くも変わらぬ態度を貫いてくれる存在は時が経つほど貴重になっていくーーいや、損得はもはや重視すべきではない。

彼が味方に回ってくれるなら、自分もまた彼の味方でいる。それだけのことだ。

ひどく単純な答えが、すとんとマーリャの胸に落ちてきた。

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