紙とペンと不運人間

吾妻燕

紙とペンと不運人間

 薬寺幸太郎は生まれながらにして不運体質だった。

 出産時に母親が死亡、父親も後追い自殺をしたので意地悪な親戚に育てられる羽目になったとか、そもそも血縁者が全員他界して天涯孤独の身だとか、そういうタイプの不運ではない。幸太郎の不運は「ツイてないね、ドンマイ!」と肩を叩かれ、励まされるレベルのものだ。因みに記念すべき最初の不運は、臍の緒が首に巻きついたまま産道を通過したことである。

 まるで息をするように、幸太郎には小さな不運が舞い込んできた。

 幼少期から気に入っているフクロウの縫いぐるみは毎回ベッドから転がり落ちているし、外に出れば犬に吠えられ三輪車に轢かれた。川の堤防上に設けられた道を歩いていたら、ロードバイクでサイクリング中の御一行様と接触しそうになった。間一髪で避けたら足下の小石に躓いて堤防を転がり落ちる災難に襲われた。堤防の造りが芝生に覆われた緩やかな坂道で、落ちた先も開けた野原だったことが正に不幸中の幸いだった。

 大手スーパーマーケットを訪れたら、万引きの現場に遭遇することもあった。目撃者の存在を察知した犯人に、犯行の濡れ衣を着せられることも間々あった。コンビニでは強盗に遭い、銀行強盗に巻き込まれた時は人質に抜擢された。

 過去最大の不運は、繁華街にて鉛玉が腕を掠めた事件だ。銃刀法のおかげで拳銃とは無縁の日本国に住みながら、まさか撃たれる日がくるなんて!

 とはいっても、幸太郎が狙撃のターゲットになったわけではない。すぐ側で突発的に発生したヤクザ同士の抗争が原因だった。拳銃の扱いに不慣れな構成員が放った、たった一発の弾丸が、幸太郎の二の腕の肉を抉ったのである。流石の幸太郎も、搬送先の救急病院で泣いた。不運には慣れていても撃たれる痛みは初体験だったのだ。もしも日本が銃社会であれば、「これもまた日常」と笑顔を浮かべられたかもしれないけれど。

 息子の不運体質に、健康器具メーカーの営業マンである父と専業主婦の母は、度々盛大に狼狽えた。これまで数多の神社で厄祓いをし、厄除けの札やお守りまで買い揃えた。なのに、命に別状はないとはいえ、遂には拳銃沙汰にも巻き込まれてしまった。嗚呼、うちの息子は絶対に呪われているんだ! それか死神に愛されているのだ間違いない!

 両親は顔を真っ青にしたが、幸太郎自身は不運体質を「オイシイ」と思っていた。

 確かに不運遭遇率は異常なほど高い。けれど、不思議なことに大きな怪我を負ったことはなかった。大抵の場合、痣や擦り傷で済むのだ。流血して数針縫うほうが珍しい。

 割と本気で「死ななきゃ安い」と考えていた。だから、自分の不運話を活用しなければ勿体ないのではと思い、ではどうするべきか頭を悩ませた。

 そうして行き着いたのが、ブログである。

 幸太郎は自分が体験した不運の数々をスマホのメモアプリや、ほぼ日手帳に記録した。そして読みやすさに配慮しながら面白可笑しく文章化し、ブログで公開した。最初は碌な反応を得られなかった。得られたとしても「嘘乙w」など、全く信じてもらえていないコメントばかりだった。しかし『ヤクザの流れ弾に当たった件について』の記事に関しては、多くのネットユーザーが興味を示してくれた。「一般市民が一名、被害に遭った」と報じられていたのも、アクセス数の上昇に一役買ったのだろう。

 他人の不幸も不運も、蜜の味である。薬事幸太郎もとい厄丸不幸二郎は『アンラッキーブロガー』の愛称を手に入れ、『厄丸の不幸日誌』が稼ぐ広告収入額は父親の月収とほぼ同程度となった。齢二十二の夏のことだった。


 幸太郎にとって不運は、日常のルーチンだった。同時に飯のタネでもあった。

 だから道端で一人ぽつんと立っていた少女へ「迷子?」と話しかけた、瞬間。黒のSUVが猛スピードで横付けされても、背後から布袋を被せられて突き飛ばされても、突き飛ばされた先がSUVの車内で抵抗虚しく鳩尾に一撃食らって意識を飛ばしても、目覚めたら見知らぬアパートの一室でも、幸太郎は動揺などしない。寧ろ極めて冷静に状況を判断した。「あ、これ誘拐事件だな」

 誘拐事件は人生で初めての体験だ。幸太郎は不謹慎にもワクワクした。

 一緒に誘拐されたらしい少女に「大丈夫だよ」と微笑みかけてから、性別不明の羊面に「紙とペンをください」と要求する。体の前で手を縛られたのは幸運だが、手元にスマホがなければ不運ネタのメモなど出来やしない。ほぼ日手帳と、最近買ったLAMYの万年筆が入ったトートバッグも行方不明。せめて紙とペンが欲しかった。

 幸太郎の要求に、羊面の誘拐犯は戸惑っていた。が、「『ペンは剣よりも強し』と言いますけどね、僕が紙とペンを持ったところで、アナタのマシンガンには敵いませんよ」と説得すれば納得してくれた。誘拐犯は藁半紙の束と、インクが消えるタイプのペンを一本だけ幸太郎に与えた。本音を言えば黒の他に、赤と青のペンが欲しかった。けれど、文句は肚の底に飲み込んだ。

 誘拐犯に抵抗する気がないのは、嘘ではない。抵抗しても、テーブルの角に小指を打つけて痛みに耐えている隙に、側頭部を殴られて気絶させられるのがオチだ。経験則で分かる。

 誘拐犯は退出する間際に、明らかに機械で変換された声音で「大人シクシテロ」と忠告してくださった。きっと大人しくして、いい子を証明すれば怪我なく解放されるのだろう。幸太郎は忠告通り、静かに事の発端から現在までを記録する作業を始めた。

 暫くすると、二人がけのダイニングテーブルの対面に座っていた少女が「あの」と小さな声を零した。

「あの、お兄さん」

「ん、なあに?」

「あの……謝ります。ごめんなさい」

 幸太郎は何故謝られたのか理解できなかった。「どうして謝るの?」と訊けば、なんと驚いたことに、誘拐事件は元々、狂言なのだと告白するではないか!

「なんで、狂言誘拐なんて……」

「……お父さん達に、構って欲しくて」

 少女曰く、今回の事件は「親の愛情を感じたい」が故に起こした誘拐事件だった。両親はいつも仕事で、構ってくれるのは世話人の女性だけだった。少女は裕福な娘である幸せよりも、親に愛されている幸せを感じたくなった。両親が自分へ目を向けているのか、どうしようもなく知りたくなってしまった。

 だから世話人の女性と手を組んで嘘の誘拐事件を起こし、親の愛を確かめようとした。

「えー……そんなので愛を確かめるって、正気じゃないよ」

 幸太郎は紙の隅に『狂言誘拐』と書き記す。強調するためにグルグルと雑な丸で囲う。

「分かってます。現に、お兄さんを巻き込んじゃったし……それに多分、あの……羊の被り物の人、お手伝いさんじゃないんです」

 少女は震えた声で「美代子さん、顔隠すとか言ってなかったし……マシンガンのことだって一言も……」と続ける。

 これはヤバい。

 幸太郎は経験則で分かった。これは狂言誘拐から、ガチの誘拐事件に変化したのだ。紙とペンなんて要求している場合ではない。呑気に不運を書き出して纏めている場合でもない。

 ペンを握るやや骨張った手が、ガタガタと震えだす。手の震えは興奮から来ているのか。それとも久々の恐怖なのか。幸太郎には判断が付かない。額から流れた汗が一滴、頬と頤を伝って藁半紙に落ちた。


(了)

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紙とペンと不運人間 吾妻燕 @azumakoyomi

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