夢を見るんだ。

 私が七歳まで死というものがどういうことかわかっていなかったのは、兄がなくなって以来十三年間ずっと兄の夢を見ていた。「いつ帰ってくるの?」と聞いたら、寂しげな表情で「きっといつか。」と返された。そのせいか、私は兄が絶対帰ってくると信じて疑わなかった。

 夢、というのは、良くは覚えていないんだ。ぼやーとした霧みたいなのに包まれて遠くから何かを言っている。でもそれは何を言っていたか覚えてないんだ。もしかしたら聞こえていないだけかもしれないけど、最初にいつ帰るか聞いた日以来、兄が何を言っているのかわからない。足は動きにくくて、日に日に少しづつ遠ざかっていく兄をただ口の動きで見ることしかできなかった。

 兄が何を言いたいのかわからないまま十三年が過ぎてしまったのだった。


 まぶしい夕日が私たちを明るく照らした。

 私は、河川敷に座り新学期になってから始めて配布されたプリントをただ眺めていた。

 河川敷では複数名の男子たちが声を出して野球をしている。ずっと前からあるあの少年野球のチームは、いろいろな大会で優勝をし続けているという。今度の日曜日には、50連勝をかけた試合が待っているらしい。

 いつしか、ランニングをしていたお姉さんは幼稚園生くらいの子供と、赤ん坊を抱えて歩くようになり、おじいさんが散歩させていた犬は今では二十代くらいのお姉さんが散歩させていた。

 二人で談笑しながら歩く男子中学生。私の通っていた中学の制服だ。ついこの間まではランドルセルを背負っていた二人が、一気に大人に見えた。

 さっきまで眺めていたプリントを、ため息をつきながらカバンへしまった。進路希望の調査プリントだ。

 昔はあった夢も、今となっては私にはつらい思い出でもあるのだ。だから忘れた。忘れたかった。ほかに何か夢はあるのか?と聞かれたら、なんもないって答えるだろう。

 今日から高校三年生。今までみたいに決められた中学に通い、友達に合わせてそこそこレベルの高い高校についていくこともできないのだ。自分の人生を決める大きな選択を目の当たりにしているからである。

 「ただいま。」

 私はそう呟くと、「おかえり。」と明るい声が返ってきた。

 お母さんは「今日は朔羅の好きなオムライスよ。」と言って笑って見せると、あのときおばちゃんにもらってから大好物だったチョコのお菓子を何本か手渡してきた。

 「ありがとう。」

 そう短く答えると階段を上がり、自室にこもった。

 二つの分けてみつあみにしていた茶色の髪をほどき、癖のついた髪を手で軽くとかしてからベッドに飛び込んだ。

 私は横目で壁にかかっている写真を見た。

 私と大好きだった兄が映っている。

 十三年前の三月、兄は卒業をすることなくこの世を去ってしまった。私との約束も果たすことなく冷たい灰になってしまった。

 もう二度と会えないって気づいた七歳の頃から、心が空っぽになって何も考えられなくなった。何も考えられないままただ兄の背中を追い続け、結局同じ高校に来てしまった。友達がちょうどそこ受けるって言ってたのもあるけどね。

 どうしようもないくらい心にぽっかり穴が開いたような気分だった。これから先もこうして生きていくのだろうか。

 「ごはんよー。」

 一階から母の叫ぶ声が聞こえる。

「はーい。」と返事をするとリビングへとゆっくり歩き始めた。

 今は、今だけ考えよう。

 リビングの扉を開けると暗い廊下に光が差し込んだ。オムライスとミネストローネのいい香りがした。

 その瞬間心が救われたような気分になったのだった。


 がやがやと騒がしい教室のドアを開けた。

 「おっはよー!」

 そういって私に飛びついてきたのは、葛西百合亜という幼稚園の時から仲のいい親友だ。

 ふわふわの腰まである茶色の髪に、くりっとしたきれいな栗色の瞳、150cmしかない身長の彼女は、私の中で一番かわいいに当てはまる女子だと思っている。小動物みたいな動きにしゃべり方、すべてがかわいいと私は思うんだ。凄くモテるけど彼氏がいたことはないいだって。

 「ほんとに百合亜は朔羅が好きだなあ。」

 呆れたように笑って百合亜を引きはがすのは中学の頃からの友達の紫亞未来は、百合亜とは反対の黒髪ベリーショートで170cm近い高身長だ。

 二人とは三年間ずっとクラスが一緒だ。

 「ねえ。」

 後ろを振り向くとそこにいたのは金髪の髪をまいたギャルっぽい女の人が立って

いた。

 一組の早川美春だ。読モをやっていて細い足と顔がじまんだという。

 「雨宮君呼んでくれる?」

 「うん。」

 私は窓際の席に向かった。

 席の周りに集まる女子たちをかき分け、席までたどり着こうとしたが騒ぎ立てる女子たちを相手じゃなかなかたどり着けない。

 「ちょっとあんたたち。邪魔よ、用があるんだからどきなさいよ。」

 そう百合亜が怒鳴ると一気に女子たちが引いていく。心の中で拍手をしながらようやく雨宮君が見えた。

 「早川さんが呼んでるよ。」

 そう短く伝えた。

 「なんなの如月さん」とひそひそ話す女子たちに、「うっさいよ。」と言って百合亜がにらむとみんな静かになった。

 「ありがと、朔羅さん。」

 そう言ってほほ笑むと、ドアの方へとゆっくり歩いた。

 雨宮楼は昨日転校してきたのだ。黒のサラサラの髪やきれいな黒い大きな瞳、180cmをこえる身長と容姿端麗なうえ性格が非常によろしいらしく、一日で女子の人気を集めた。

 さっきの早川美春も、ひとめぼれしたらしくものすごくアタックをしているらしい。今まで付き合っていた同じ人気読モの彼氏をふって雨宮君に心を寄せているとか。

 周りの女子としてはきっと美春が彼女になってしまうのではないかと思っているのであろう。

 チャイムとともに先生が入ってきた。

 また今日の始まりである。


 私は美術室で一人絵を描いていた。

 今日はみんな部活はないけど、私はどうしても絵が描きたくて居残りをしていた。

 書いていたのはモデルがあるものではない。昔、入院中の兄から聞いた不思議な話を思い出しながら、それをもとに絵を描いていた。

 月の都とか骸の国とか、よくわからないこと言ってたけどそれはとても興味深いもので、今でも鮮明に覚えていた。

 右手ではしらせていた筆を止めてため息をついた。

 胸元で夕日に照らされて青い石のネックレスが光る。

 兄の残したもので、肌身離さず持っていた。

 できた絵をまじまじと見た。

 やっぱり不思議だ。かぐや姫のお話とかに出てきそうだ。

 「きれいな絵だね。」

 そういって顔をのぞかせたのは雨宮楼だった。

 私はびっくりして思わず声を出してしまった。

 「そ、そんなにおどろかないでよ。この絵、何をモデルに描いたの?」

 楼は笑顔のまま私に尋ねた。

 私は答えに迷った。ただ兄の言っていたことをそのまま描いただけだったから、そう答えればいいのになぜか私だけの秘密にしておきたかった。

 「わからない。でも、ある人のよくしてくれたお話かな。」

とだけ答えると、「すごく素敵な絵だね。」とだけ言った。

 私は、そんなことよりここに楼が大好きな方々がいないか心配になった。周りをきょろきょろと見回すと「だれもいないよ。」とにこやかに言われた。

 「もしもさ、願いが三つ叶うとしたら何を望む?」

 楼からの突然の質問にドキッとした。なんでそんなこと聞くのか、私は疑問に思うが深くは考えなかった。三つ、三つも願いが叶うなら何を願う?少し悩んでから

「一つ目は勇気が欲しい。」

 「勇気?」といって首をかしげる楼に

「前に、いじめられていた男の子がいたの。私は何もすることができなくて自殺しちゃったんだ。それから、兄が十三年前に死んじゃったんだけど、その時のこと聞きだす勇気もないんだ。だから、勇気が欲しい。」

 楼は「なるほど。」というと「二つ目は?」と聞いた。

 「二つ目は、兄がね、明日になったら教えてあげるって言ったことがあったの。でも明日が来ることがなくて。何が言いたかったのかとても気になるんだ。」

 楼は「三つめは?」と聞いた。

 「特にないな。」

 その言葉に楼はびっくりしたような表情になった。

 「まあもし叶えるのなら、貧しい国の人たちに食料を渡すとかそれくらいじゃない。」

 楼は「ありがとう、今まで聞いた中でも最高の答えが返ってきたよ。」と言って美術室をあとにした。

 何だったんだ?

 雨宮楼。なんだか不思議な人だ。

 青い石が妖しく光る。これから起こることを予知するように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

また夢で。 真城夢歌 @kaguya_hina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ