紙とペンと木洩れ日

道楽もん

第1話 紙とペンと木洩れ日


「ねぇ……大丈夫? 」


「……んっ……」


 見知らぬ少女の声と、辺りに漂う湿った土の匂いに、俺はふと眼を覚ます。


「……気が付いた? 良かったぁ」


「君は……? 俺は一体……痛っ……」


 身体を起こそうとした俺は、全身を襲う激しい痛みに顔を歪める。身に付けたプレートメイルの重みも手伝って、思うように身体を動かす事が出来ない。


「どこか痛いの? 」


 しゃがみながら俺の顔をのぞき見る白いワンピース姿の少女は、あどけない表情で首をかしげる。そんな無邪気な表情を見せる少女から、ゆっくりと辺りに目を移してみる。

 辺りには見渡す限りの緑。地面を這う樹の根がそこら中に張り巡らされており、俺は比較的平らな地面の上に仰向けに寝ていた。ぼんやりとその光景を眺めているうちに、徐々に意識がハッキリとしてくる。


「そうだ……俺は……」


 王命に従い魔王討伐の遠征中。からくも討ち倒した妖術師との戦闘で、部隊は俺を残し全滅……水を求めて迷い込んだ森の中で、激しいダメージに気を失ってしまっていたのだ。


「ねぇ……話、聞いてる? 」


 少女は怒ったように頰を膨らませる。その表情は、故郷に残してきた妻と娘を思い起こさせる。

 返事をしようと口を開くと、酷く喉が渇いていたのを思い出す。


「すまない……近くに、水が飲める場所は……あるかい? 」


 我ながら情けないほど弱々しい声で少女に訊ねると、彼女はパッと笑顔になって勢いよく立ち上がる。


「お水が欲しいの? 任せてっ」


 裸足の少女はそう言うと、近くに射し込む木洩れ日の元へ向かう。おもむろに光の中にかざされた少女の手には、いつの間にか一本のペンが握られていた。


「ふんふふーんっ」


 少女は鼻歌交じりに、軽やかな足取りで樹の根を飛び移りながら俺のそばまで戻って来るなり、そのペンで目の前の地面に大きく丸を描き出す。すると円の内側には見る間にゴポゴポと水が湧きたち、澄んだ水を湛えた泉が現れる。


「……なっ……」


「さぁどうぞ」


 目の前で起こった不思議な光景にあっけにとられる俺に向かって、少女は得意げに手を広げる。


「君は……魔法使いなのかい……? 」


 俺の問いかけに、少女は頰に人差し指を添えて考えるそぶりを見せる。


「う〜ん……ちょっと違うかな。

 ねぇ、早くしないと消えちゃうよ」


 その言葉に俺は慌てて痛む身体を起こし、両手で泉の水を掬って一口飲んでみる。


「……美味い」


 これは美味い、生き返るようだ。俺は夢中になって何度も泉の水を掬い、飲み始める。


「ふぅ……ありがとう。助かったよ」


 一息ついた俺をワンピースの少女は、手を後ろに組んだままニコニコと笑いながら見つめている。やがて地面に描かれた泉が消えると、少女はその場に座り込んで真正面から俺を見つめてくる。


「ねぇ、おじさん。何か、して欲しい事はない? 久し振りの来訪者だから、嬉しくって……」


 ひと心地がついたおかげか、俺はその少女の言葉に一つの疑問が浮かび上がってくる。


「……君は、この森に住んでいるのかい? 一人で? 」


 見た目が十歳くらいのワンピースの少女が、こんな森の中に一人で住んでいるとは考えづらい。しかし、少女はあっけらかんとした表情でうなづく。


「うんっ。そうだよ」


 元気よく答えた少女は、その後少し暗い表情を見せる。


「……でも、魔王の瘴気で森が枯れてきてるの……」


 少女は空を覆う樹の葉を見上げながら、言葉を続ける。


「魔王の影響で、世界中が黒い雲に覆われているでしょう? この森の上空だけは、辛うじてお陽さまが見えているけれど……」


「やはり、この地にも魔王の影響が……俺が何とかしなくては……」


 俺はそう言うと勢い良く立ち上がる。不思議と、先ほどまで全身を襲っていた痛みが消えていることに気がつく。


「何故……痛みが消えているんだ? 」


「おじさん、魔王を倒しに行くの? 」


 ふと目を輝かせて俺を見つめている少女と目が合う。


「……あ、ああ。その為に、長い旅をして来たんだ」


「やっぱりそうなんだ。普通の人は、この森に入れないもんね」


「そうなのかい? 」


「うんっ。さっきの水は命の水、おじさんの体力は回復してるはずだよ」


 今にも踊り出しそうな少女の様子に、俺は頰がゆるむのを感じていた。


「ねぇおじさん、ちょっとしゃがんで? 」


 唐突にかけられた言葉に俺は言われるがまま、少女の目線の高さまでしゃがみこむ。


「……こうかい? 」


 すると少女は先ほど木漏れ日から取り出したペンで、俺の額に何か書き込み始める。次第に、額が熱を帯びた様に熱くなってくるのを感じる。

 少女は書き込み終わると、俺の目を見てニコリと微笑む。


「……これで、仕上げ」


 そう言うと少女は俺の頭を抱え、額に軽く触れる程度のキスをする。


「……えっ……なっ、何だ……力が溢れてくる……」


 にわかに額を中心に沸き起こる力の奔流に、戸惑いの表情を浮かべる俺を少女は目を細めて微笑んでいる。


「……それは太陽の紋章。その力を使って、魔王をやっつけちゃって」


「……君は、何者なんだ? 」


 戸惑う俺が少女に目を向けようとした時、目の前にいるはずの彼女の姿はどこにも無く、代わりに一枚の紙とペンが置かれていた。


「……これは……? 」


「……最後に一つだけ……おじさんの願いを叶えてあげる……」


 何処からか聞こえてくる少女の声に、俺は狐につままれた様な気持ちになっていた。しかし、その紙とペンを手に取った俺は、心の底にある願いをペンに込め、一枚の紙にしたためる。


「……故郷で待つ、妻と娘に……俺が無事だという事を、伝えてくれ……」


 俺が妻と娘に宛てた手紙を書き終えると、その手紙は一羽の白い鳥となり、木洩れ日の射し込む樹々の隙間から空へ向けて羽ばたいていった。

 しばらく白い鳥を見送り空を見上げていた俺は、そっと額に手をあてる。見る事は出来ないが確かな熱を放つ紋章に、あの白いワンピースを着た少女の存在を感じながら、俺は覚悟を決めていた。


「……この恩は必ず返す。待ってろよ……魔王っ」


 俺は決意を新たに神聖な雰囲気を醸す森を抜け、暗雲立ち込める魔王の城へと再び旅路につく。



 その後、幾多の困難を乗り越えて魔王を討ち果たす事になるのだが……それはまたの機会にお話ししよう。

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