紙とペンと無口な教え子

毒針とがれ

お題『紙とペンと○○』

蔵屋敷くらやしきさんって暗くありませんか?」

 一対一の進路相談が行われている教室で、唐突にクラス委員長の長谷部が言った

「ずっと無口でうつむいてるだけで何を考えてるか分からないし、正直、ああいうタイプの子って私、困ります」

「・・・・・・お前が蔵屋敷のことが苦手なのは分かるけどな、長谷部」

 頭を抱えながら、俺は言う。

「けど、それは進路相談の場で言うことじゃないな。ここで話すべきなのは蔵屋敷のことじゃなく、お前の将来のことだ」

「あの子の存在が私の将来に支障を来しているから今ここで相談しているんです」

 長谷部は100%自分が正しいという態度を崩さなかった。

「だいたい、担任なんだから公坂先生の方から何かテコ入れをするべきなんじゃないですか? もっと周囲と打ち解けるように説得してくださいよ」

 うーむ。

 自分の指導能力を責められると返事に困ってしまう俺だった。

「このままじゃクラスの運営に支障が出ます。何を話しかけてもろくに返事をしないし、今日なんて誰が蔵屋敷さんとペアになるかってだけで体育の時間が半分つぶれたんですよ? 半分っ!」 

 蔵屋敷こもる。

 それは、我がクラスが誇る異端児だった。

 教室の隅っこの方に生息し、長い前髪で表情を隠しながら静か~に授業を受けている・・・・・・のだが、ノートを取るペンの音は人一倍大きく、ひとたび皆が無言になれば教室はたちまち彼女の筆記音に支配されてしまう。

 別に成績は良くないのだけど。

 ともかく、その異様さが災いして、彼女はあまり周囲と打ち解けられていない。休み時間でさえも無言でノートをカリカリカリカリ取り続ける姿が威圧感となり、他の生徒たちを寄せ付けないのだ。

 たまに交流を試みる人間がいても、ただ黙ってじぃ~っと睨み付けられるばかりで「や、やっぱり何でもないや・・・・・・」と多くの生徒たちが早々にギブアップしてしまう。今のところ、解読まで至った生徒は誰一人としていない。

 言語の通じないの宇宙人のような何か。

 そんな存在が自分が委員長を務めるクラスにいることが耐えがたいのだろう。

「・・・・・・お前が困ってるのは分かった」

 今にも噴火しそうな十代との接し方は未だに手探りで、まるでマインスイーパのゲームをやっているような気持ちになる。いっそ、黙り込んだ方が利口だという場面なんてしょっちゅうだ。

 だけど、それはいけない。

 教師は何かを言わなければならない。

「蔵屋敷のことは俺の方で何とか頑張ってみる。だから、お前は自分の将来のことを考えろ」

「・・・・・・はい」

 長谷部が納得していないのは明らかだった。大人特有の、ある種の逃げを感じ取ってのかもしれない。

 一応、十数分は進路相談らしいこともした。けれど、長谷部にとって有益な時間になったかは甚だ怪しかった。

「今日はありがとうございました。それでは、失礼します」

 心のこもっていない定型句を述べて、長谷部は教室から去って行く。

 あー、どうしたらよかったかねぇ。

 誰もいない教室で一人ため息をついてみる。地雷を踏んだかもしれない。でも、どうやったら避けられたのか見当も付かない。

 けれど、落ち込んでいる暇はあまりなかった。すぐに次の進路相談をする生徒がやってくる・・・・・・そう思った矢先、コンコンと教室の戸がノックされる。

「どうぞ」

 ガラッと教室の戸が開く。

 異様な雰囲気の存在が足を踏み入れてきた。長い前髪で顔を隠した女子生徒だ。骨ごと屈折しているのではないかと思えるほどの丸まった猫背で大事そうにノートを抱えながら、睨み付けるような眼でこちらの様子をうかがっている。

 異端児、蔵屋敷こもる。

「よく来たな。こっちに座れ」

 俺に促されると、蔵屋敷はひたり、ひたりという動作でゆっくりと向かってきた。しっかり十五秒ほどかけて、着席。

 さらに十秒経過。

 お互い、一言もしゃべらず。

 端から見れば非常に気まずい時間であることだろう。俺も最初の頃は会話の糸口を探そうとして焦ったものだ。そして、何を考えているのか分からない蔵屋敷の態度に圧倒されて、何度もギブアップしてきた。

 だが、今の俺は焦らない。

 静かに呼吸を整える。俺のことじゃないぞ、蔵屋敷がだ。こいつは尋常じゃなく息切れしやすく、猶予を与えてやらないと一言しゃべるのだって難しいのだ。

 蔵屋敷が落ち着いてきた頃を見計らって、俺は言う。

「そのノート、見せてもらっても良いか?」

 蔵屋敷は黙ったままだった。

 そのまま、じぃ~っとこちらを睨み付けてくる。

 この瞬間ばかりは俺も緊張する。その眼光に気圧されたからじゃない、蔵屋敷にとって一番デリケートなことを求めているからだ。

 三十秒ほど経過すると、蔵屋敷が抱えているノートを俺の方に差し出してくる。どうやら意志が固まったらしい。

『学級日誌』

 ノートの表紙には、手書きでそう書かれていた。

 ぱらり、ぱらりとページをめくってみる。その一部を紹介しよう。



 九月五日(金曜:晴れ)


 一限目:数学(久遠寺先生)

 二限目:英語(吉村先生)

 三限目:国語(篠田先生)

 四限目:HR(公坂先生)

 五限目:体育(俵屋先生)

 六限目:社会(木内先生)


 まだ夏休み気分が抜けきらないのか、クラスの皆の授業を受ける態度は気怠げ。国語の時間には相変わらず加藤くんが篠田先生に茶々入れをして教室が爆笑の渦に包まれていた。委員長の長谷部さんは「授業の邪魔をしないで!」とその場では怒って喧嘩していたが、昼休みに友達の本山さんから「困るよねー加藤」と言われると一学期の体育祭での活躍を持ち出して「良いところもあるけどね」とフォローを入れていたので、嫌っているわけではないらしい。体育の時間はバスケットのパスの練習で誰かとペアを組む必要があったのだけど、クラスの誰とも打ち解けていない私が余ってしまい迷惑をかけてしまった。職員室から助っ人で公坂先生が来てくれた。嬉しい。



 ・・・・・・とまあ、こんな感じだ。

 どのページも雪崩のごとき文字文字文字文字で埋め尽くされている。最近は文字だけの日記に飽きたのか、二ページ使って絵日記形式にまでする工夫っぷりだ。これは俺も初めて見た。

 これは正規の学級日誌ではない。

 蔵屋敷が個人的に制作しているクラスの観察ノートである。

 俺がこれの存在を知ったのは、まったくの偶然だった。担任として蔵屋敷と打ち解けるきっかけを探していたときに、うっかり見てしまったのだ。

 どう反応して良いか最初は分からなかった。だが、本人にとってデリケートな部分であることは間違いない。触らぬ神に祟りなしということわざの通り、やり過ごすのが正解・・・・・・そう思ったとき。

 蔵屋敷の眼光が、何かを訴えかけているように見えた。

 言うなれば怯えと期待が入り交じったような複雑な目だった。俺の勘違いだったかもしれないが、それは放っておかれることではなく、何らかのレスポンスを求める人間のそれに見えた。

 だから、言ってしまった。

「面白いな、蔵屋敷のそれ」

 月並みな言葉過ぎて大変申し訳なかったとは今でも思っている。

 だけど、そんな不器用すぎる言葉でも言わないよりは全然マシだったらしく、その日から前にも増して蔵屋敷はカリカリカリカリノートを書き取るようになった・・・・・・いや、私的学級日誌を付けるようになったのだ。

 さらに大きな変化もあった。

 たまに、蔵屋敷が書いた学級日誌を「提出」してくるようになったのだ。

 どうやら人に感想を言われるのが嬉しかったらしい。まるで俺の反応をうかがうように、ノートの随所に小ネタを挟んでくるようになったからだ。

 前の時から追加された内容を一通り見終えたので、ノートを返す。

「蔵屋敷」

「・・・・・・」

「学校、楽しいんだな?」

 蔵屋敷は何も答えなかった。

 ただ黙って、返却されたノートの続きを書いている。



 今日の放課後は公坂先生と進路相談。今のところ私の学級日誌の存在を知る唯一の人間である訳なのだが、それを一読みしただけで私の気持ちを察するという離れ業を・・・・・・



 そういうのは人目のないところで書けよなぁ。

 と、今まさに自分のことが書かれている事実に気恥ずかしくなってしまう。よかった、テンションが高いときの蔵屋敷の筆の乗り方だ。どうやら俺は間違えなかったらしい。

 十代の生徒との接し方は難しいところがあって、未だに正解らしきものは全然見つからない。

 日々の仕事に疲れてすり減っている大人の俺にとって、瑞々しい感性の持ち主である新生代たちは、それこそ文化の違う外国人みたいなものなのだ。

 だけど、目の前でノリノリでノートを書き連ねる蔵屋敷の姿を見ると一つだけ分かる。

 言葉の通じない宇宙人などでは決してない。

 紙とペンを持たせれば、俺の教え子は誰よりも饒舌なのだから。(完)

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