小咄「紙とペン」
宮条 優樹
小咄「紙とペン」
「えー、本日は
ご存じない方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれないということで、まず説明させていただきますと。
三題噺というのは、落語の形態の一つであります。
これは
本当なら私のお師匠のような、真打ちだけがやるべきものでございます。
それが今回、何を間違ったか私にお鉢が回ってきてしまいまして。
まあ、そそっかしい方が何やらやらかしてしまったんでしょうね。
私もこんなこと、いや到底できません、他の方にやってもらってくださいと、正直に言やあよかったんでしょうが。
まあ、ね、何しろ、いつもよりちょっとばっかりよかったもんですから、これが。
はい、少々色をつけてもらっていたもんですからね。
こりゃあ、そんなに期待されたんじゃあしょうがない。
私も芸人の端くれですから。期待されてるとなるとその気になっちゃう、お断りするのも申し訳ない、とね。
一肌脱ぐ気になったわけです。
やはりね、人様の期待というのが、目に見えるわかりやすい形で出されますと、私みたいな俗物は簡単にころっとその気になってしまいます。
ですので、もし今日の私の話を聞いて、次はうちにも来てもらおうか、なんて思ってくださった奇特な方がいらっしゃいましたら、ご依頼の際は、その期待をわかりやすい額で示していただけますようにお願いします。
若輩ですので、どこへでも喜んでまいります。
そもそも三題噺というのは、初代の
時代でいうなら、幕末の辺りに盛んに行われていたようです。
さて、その三題噺、お客様からお題を出していただくわけですが、これはそのお客様の好きな単語でいいわけなんですけど、一応、決まり事がございます。
それは、三つのお題がそれぞれ「人物」「品物」「場所」であることなんですね。
有名な三題噺といえば、『
これは
この話のお題は、まず人物に「酔漢」、つまり酔っぱらいですね。
次に品物が「財布」、そして場所が「芝浜」という地名です。
このそれぞれ全く関係性のない単語を組み合わせて即興で作られたのが、落語『芝浜』であります。
私、くわしいでしょう?
まあ、噺家の端くれですからこれくらい……と言いたいところですが、全部これ私の先生の受け売りでございます。
先生は大変な博識でして、私はいつも、ネタに困ったときとかとてもとてもお世話になっているんです。
偉大な先生です。
でも、全然偉そうなところがなくてね、とても気さくで、皆さんでもなにか困ったことがあれば、なんでも親切に答えてくださいますよ。
なので、皆さんもいろいろ教えていただくといいですね。
ウィキ先生といいます、はい。
検索してみてください。
三題噺は、更にこのお題の中の一つをサゲ、つまり話のオチに使わなければいけないという決まり事もあるんですが、まあ、昨今こういう細々した決まりごとにはあまりこだわらず、その場で噺家が話を作る即興性、お客様が話に参加するライブ感を楽しむものとなっているようでございます。
それで、今回はすでにこちらにお題をいただいております。
「紙とペンと〇〇」という。
これね、お仕事いただいている身の上でいうのはなんですが、よくないですね。
ええ、控えめに言ってよくないですね。
三題噺というのは、噺家の実力が試されるものなんですが、同時にお客様のセンスも試される。
いかにセンスのいいお題が出せるか、これがまず、おもしろい話が完成するかどうかの条件になります。
三題噺のお題は、それぞれ関連性のないものがおもしろいですね。
それをいかに一つの話に組み上げるか、というのが肝でありますので。
最初から関連付けができている単語ではおもしろ味が半減してしまいます。
私の先輩で、芸歴も長くて、よく三題噺をやられる人がいるんですけれど、その先輩の得意なお題というのがあるんですね。
それで、お客様もそれを知っているもんだから、ついその得意なお題を出してしまう。
どうも大人は、何か言うとき、つい目の前のものと関連する単語を言ってしまうものらしいですね。
無意識の中の固定観念が邪魔をするといいますか。
その点、子供は何の脈絡もなく、実にうまい具合に無関係な単語を言ってくれます。
発想が柔軟なんでしょうね。
お題がパターン化されてしまいますと、話の方もどうしてもワンパターンになりがちです。
それをおもしろくするのが噺家だろう、と言われてしまうとその通りなんですけどね。
それで今回のお題です。「紙とペンと〇〇」ね。
まず、「紙とペン」というのがいけないですね。
関係性ありまくりですからね。
何なら、「紙とペン」で一つの単語と言っても過言ではない。それくらい関係性が深いですから。
「男と女」「スイカと塩」「政治家と汚職」みたいなものですよね。
そして、三つ目のお題が「〇〇」って……〇〇でなく、これは丸投げって言うと思うんですがね。
いえ、あんまり言うと、話ができない言い訳をお題のせいにしているようで見苦しいですか。
私ら芸人は、お客様第一ですからね。
こうして
しかしながら、なんでも好きな言葉でいいとなると、かえって思い浮かばないもので。
先程言った、固定観念というやつでしょうか。どうにもおもしろ味のない言葉ばかりが浮かんでしまいます。
「紙とペンと学校」で「試験」なんて、おもしろくないですね。
試験、嫌ですねえ。
「紙とペンと印鑑」なんてどうでしょう。
「婚姻届」なーんて、嫌ですよねぇ。結婚は人生の墓場っていいますから。
まだ「離婚届」の方がよさそうですよね、墓場から復活できるんですものね。
「紙とペン」は関係性が深いと言いましたが、もしかすると、最近の人にとってはあまりピン来ないかもしれません。
昨今、文字を手で書く、ということは日常的でなくなっていますので。
手紙からメール、SNSへ。
企業では書類の電子化が推進されていると聞きます。
皆さんのような宇宙人の方々にとってはなおさらでしょう。
皆さんはずいぶんと昔に紙とペンで記録をするという文化から進化されたと聞いておりますので。
正直なところ、ここまで私が話したこともどこまで通じているのか、はなはだ心許ないです。
わからないなりにも、地球には変わった文化があったのだと、多少なりとも理解いただけていれば、私の噺家としても技量も捨てたものではないと思えるのですが。
紙とペンといえば、私の友人に物書きがおります。
物書きというのは、物語を文章で表現することを生業としたもの、ということですが。
その友人は、本当に書くことが好きで、四六時中ノートとペンを持って、いろいろなアイディアを書き留めておりました。
その友人と、ある話をしたことがあるんですね。
無人島に一つだけ持っていけるとしたら何を持っていくか。
他愛もない空想の話なんですが、地球人はよくこういう話で盛り上がったのです。
その友人は、この問題に非常に悩んだんですね。
理由を聞くと、何をおいても、自分の考えを文章に書き留めていける道具が必要だと。
だが、持っていけるものが一つとなると、紙かペンのどちらかしか持っていけない。
どちらかだけでは役に立たないのだから、それでは非常に困ると言うんですね。
まあ、これは本当に他愛のない話です。
皆さまの科学力は、見えない無限の紙に永遠に消えることのないインクでいくらでも思考を記録していけるというような技術を生み出しておられるのですから。
笑い話にもならないお話です。
しかしながら、願わくば、こんな他愛のないことに本気で悩んだ生命体がいることを、皆さまの記録にも残しておいていただければと思います。
この話もいい加減、締めさせていただきましょう。
最後はなぞかけにいたします。
「紙とペン」とかけて、「ハムスターホイール」と解く。
その心は。
好きなだけかけます。
失礼いたしました」
了
小咄「紙とペン」 宮条 優樹 @ym-2015
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