平和への祈り

松尾模糊

第1話

――まことに偉大な人間の統治のもとでは、ペンは剣よりも強し。見よ、魔法使いの杖を! それ自体は何の役に立たん、無だ! 魔法使いの魔法はそのそれを自在に操る手から繰り出されるのだ。帝王(カエサル)の力を奪い、これを追い払い、騒がしい大地を息の根を止める魔法は! だから剣を捨てよ。そんなものがなくとも国家は救われる!――『リシュリューあるいは謀略(Richelieu; Or the Conspiracy)』エドワード・ブルワー=リットン(1839年)


 スマートフォンやタブレット端末の普及と地球温暖化防止の為に世界から紙がなくなって幾年月が経過した。今世界で紙を持つことは国際規約に反しているが、世界的に緑化推進された森の奥地では、文明と交流を絶った魔族が魔法草からできる特殊な紙に、彼らが代々伝承して来たと言われる魔法ペンで呪文を記すと魔法が発動すると言われている。アークはその魔族を調査するために、彼らの目撃情報を精査し信憑性の高い情報から現地取材を行っている。


 アークは振動する電子デバイスをポケットから取り出し、それが電話であることを確認する。右耳に付けたピアス型のイヤホンのスイッチを入れて同期し、二つ折りになった液晶画面をスワイプして電話に出る。

 「マッドか? どうした?」

 「ちょっと気になるデータを送った。MAPも添付してる。長い調査になりそうだから、ホテルも手配しといた」

 「何だって? この前も10日も熱帯雨林の中で巨大ヒルと闘いながら結局むだ足だったじゃないか」

 「まあ、そう言うなよ。今度は可能性が高そうだからさ」

 「……その台詞はもう聞き飽きたよ」

アークは溜め息混じりに答え、二つ折りの液晶を開き画面に映る地図を眺めた。何てことだ、赤い点は砂漠地帯のど真ん中に点滅していた。

 「こんなとこで死ぬのはご免こうむりたいね」

 「大丈夫……たぶん」

 「たぶんって、何だよ」


 飛行機で砂漠地帯の都市に着くと、焼けつく暑さがアークの気分を再び下げる。ホテルで荷物を下ろし、携帯用エアクラフトを背負って砂漠に向かった。逆噴射が地面の砂を舞い上げ、エリマキトカゲが上半身を起こして走り去る。その小さな足跡も風が搔き消した。マッドの話では、この砂漠で夜になると度々光源が空高く現れては消えるという報告が数多く寄せられていると言う。

 「空飛ぶ光源……ね」独り言ちして、アークは砂漠を歩き始めた。雲ひとつない青空の下に広がる流砂に覆われた広陵はアークが以前、世界紙博物館で閲覧した“絵葉書”なる写真の貼り付けられた手紙のように平面的に見えた。こんもりと丘のように盛り上がった砂地を足を取られながらゆっくりと登ると、数キロ下った先にオアシスに面した小さな街が見えた。アークは眼鏡型デバイスを起動し、右端に付いたダイヤルを回しレンズの度合いを調整して街の様子を探った。真四角の粘土を固めたような建物がいくつか並んでいるが人気は無い。オアシスにはヤシの木の下に芝生が茂り、中央に湖があり水も澄んでいるようだ。アークはここで情報を得ようとエアクラフトのスイッチを入れて飛んだ。湖の傍に着地し、肩からエアクラフトを降ろして湖の水を手で掬い飲んだ。美味い。夢中になって三口、四口飲んでいると視線を感じ、バッと顔を上げたアークは辺りを見回したが誰もいない。ふとエアクラフトが無くなっていることに気づく。しまった! エアクラフトを持つ小さな影が走り去るのを見つけて急いで追いかける。

 「待てー!」

小さな影はエアクラフトを上空に放り投げた。エアクラフトに目を向けるとそれをキャッチした、新たな小さな影が街の建物の上を駆けていく。懸命に追うアークを嘲笑うかのように小さな影は建物のどこかへ消えた。ゼエゼエと肩で息をしながら、両膝に手を付いているアークに「大丈夫ですか?」と声を掛ける者があった。アークは顔を上げて声の主を見た。艶やかな長い黒髪に浅黒い健康的な肌、切り揃えられた前髪の下の目はキリっと長くどこか聡明な印象を与える。薄い唇は桃色に輝き、その下にわずかに覗く歯は白い。アークは「だ、大丈夫です」とドギマギしながら応え、威厳を保とうと背筋を伸ばして腰辺りに手を当てた。

 「すみません。きっとウチの子たちが悪さしたのでしょう?」

 「あ、ちょっと、持ち物を盗られまして……」

子持ちだったのか。とても見えないな……驚きの表情を見せないように曖昧に笑いながらアークは頭をボリボリと掻いた。

 「そうでしたか……本当に申し訳ありません。すぐに取り返しますので、どうぞ家にいらして下さい」

女性の招きを受け、アークは彼女の家へと上がった。四角い粘土質の壁に囲まれた家の中は天井が高いためか、意外に広く感じた。

 「タクー! いるんでしょう? 出て来なさい!」

先程の淑やかさからは想像できない程大きな声で女性が叫んだ。屋内をぐるりととぐろを巻くように壁際に設置された階段の上の木製の扉がギギギと開き、いがぐり頭の少年が顔を出した。さらに「持って来なさい」と女性が言うと、エアクラフトをを引きずりながらゆっくりと階段を下りてきた。アークはエアクラフトを裏返したりしながら、壊れていないかチェックした。パシッと女性に頭をはたかれた少年は「ごめんなさい……」とアークから目を逸らして謝った。

 「旅の人ですか?」

お詫びにとお茶を勧められ、アークは家の中央、囲炉裏の前に引いてある絨毯の上に座った。女性は名をユキと言った。アークは陶器の丸いコップに入れられたハーブティーを啜った。爽やかなミントのような香りが鼻を抜けた。

 「いえ、この辺りで怪奇現象が起きていると報告を受けて調査に来たんです」

 「カイキゲンショウ?」タクが不思議そうに頭を傾けた。

 「夜な夜な謎の光源がこの辺りの空に浮かぶと聞いています」

 「……ああ。花火のことですか?」

 「ご存知なんですか!?」

ユキは二〇〇年程前に伝わる伝説を話してくれた。

――この砂漠地帯はかつて宗教対立と石油利権によって多くの人々の命が奪われました。大国の後ろ盾で一部の人間が多くの民を虐げる悪政が長く続き、自身にダイナマイトを巻き付けて戦車などに突っ込む自爆テロで過激派は対抗していたそうです。ある時、国境を越えて恋をした男が国境の向こうに住む女性にその想いを伝えるために紙筒に仕込んだ色とりどりの火薬を夜空に打ち上げて文字のように見せる計画を立てたんです。しかし、警備隊に見つかって自爆テロと勘違いされて撃ち殺されて……花火が上がって「愛している永遠に」という文字が夜空に浮かんだ時に女性は彼の死を知らず喜んだそうです。でも、彼の死を知らされた彼女は自殺してしまった。それで、彼らの死を悼むと共に平和への祈りを込めてこの辺りではこの時期に花火を上げるようになったんです――

 「花火って何ですか?」

 「知らないんですか?」

ユキは驚いた表情でアークを見た。見た方が早いと、陽が沈んだ砂漠にアークを連れて行った。ターバンを巻いた男たちが砂の上に紙筒を刺し、導火線にライターで火を付けた。ジリジリと火花を散らしながら導火線が燃え墜ち、筒が爆発すると漆黒の夜空に瞬く星の光を凌駕する色鮮やかな光が散らばった。

 全てが電動化した今、火薬もライターも文明は捨て去っていた。これが……花火か。アークはマッドに電話した。

 「残念だけど、ここには何も無かったよ」

夜空を照らす平和への祈りにアークは目を細めた。

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平和への祈り 松尾模糊 @mokomatsuo1702

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