グレイ・ウェンズデイ

音無 蓮 Ren Otonashi

グレイ・ウェンズデイ

 昔から白黒つかない子だ、とよく言われたものだった。

 どっち付かず、曖昧な答え、曖昧な立ち位置。好きと嫌いの二元論に縛られるのが苦手だった。嫌いな食べ物はないけど、好きな食べ物も特にはない。人間関係においてもそのスタンスは揺るがない。話せる人は少なくない。だって嫌いな人を作らないから。だけど、友達と呼べる人間は少ない。いないかもしれない。腐れ縁なら当てはまる人間を知らなくもないが。

 敵さえいなければ、人間生活はストレスフリーに近づいていくから。ヤマアラシのジレンマってヤツ? 暖を採るために近づくけど、針は痛いから近づきすぎない。痛みなんて、まっぴら御免だ。辛いものは好きだけれど。

 はっきりしないがために他人に勘違いさせることも多かった。そんな自分にモヤモヤしながらも、変える努力をする気もなくなあなあに日々をすり減らす。私は私のグレーな性格に甘えながら一六歳の春まで生きてきた。この言い方だとまるで、更生したように聞こえるな。実のところ私は私を変革することなどとうの昔に諦めているのだ。えばることではないが。

 変わったのは、外界。

 一六歳の春とは、すなわち高校入学である。

 一六歳の春とは、すなわち新たな人間との出会いである。

 月並みでつまらない、新入生なら誰しもが挙げる模範解答。

 きっと、私が彼と出会ったことも、そんな模範解答の一つに過ぎない。

 だけど……だけど。

 彼は危険因子だった。要注意人物だった。最重要項目だった。

 敵視すべき存在であり。

 後々『腐れ縁』となっていく人間だった。

 男の子と呼ぶには成熟していて、男と呼ぶには未熟。ある意味私と同類項のそんな彼は、私にとって初めての友人であり親友になりえたヤツだった。

 腐れ縁の言葉の通り、彼の性根や倫理観は腐れきっていたけど。




※※※




 一学期最終日。教室には私と彼のみが残っていた。夏休み前哨戦と称して打ち上げに出る生徒が多い中、完全下校時刻まで教室で居残るなんて受験生か、パート練習に打ち込む吹奏楽部かその他教室が活動場所の文化部か、私たちのような何もないくせに居残る物好きくらいしかいなかった。割といるのでは? なんてツッコミは野暮だからやめろ。

 日は傾き切って地平線に沈もうとしている。少なくとも私たちのクラスには放課後教室に居残って自主学習に励むガリ勉君はいなかったし、もしいたとしたらさすがに私も居残る場所を変えていただろう。敵を作らないための先手必勝だ。

「夏休みの宿題、一緒にやろう?」

「オマエ優等生。オレ劣等生。話にならない。……やめだやめだこの話」

「勝手にやめるなアホ。先生から君を任された私の身にもなってみろ」

 私の提案に彼は渋々だった。何もかも、彼がまともに勉強をしないのがいけない。入学テストで成績上位者だったのをいいことにノー勉で中間期末に突っ込んで赤点連発させたんだからその罪は重い。

「ったくもう。因果応報なんだよ。これに懲りたらちゃんと勉強するんだよ」

「再試で点数取れればいいだろ? どうせ一回やったテストをもう一回解かされるだけなんだからさ」

「再試がない教科は?」

「手を抜くものと抜かないものの取捨選択くらいはできるわ」

「君のそういうところ狂おしいほど嫌いだよ」

「よく言われる」

 結局、宿題は後でまとめて片付ける派だから、と言い訳をする彼を押し切ってなんとか約束をすることには成功した。だが、次の問題はどこで勉強するかだだった。これがかなりの難問で。

「図書館は遠いし、高校は改修工事で夏休み中は出入り禁止。ツイてない。近くの公民館は予約しないと使えないし、予約費もそこそこ」

「ファミレス、ネカフェ」

「ファミレスはうるさいし、ネカフェはそもそもこの街にない」

「……やっぱり宿題は後回しにしようぜ。オレは忙しいんだよ」

 まずい。このままでは彼に逃げ道を作ってしまう。ニヤニヤしながらこちらの出どころを伺う顔が妙に憎たらしかった。悪くない目鼻立ち。でも、東京近郊の量産型大学生にいずれなりそうな、割とどこでもいるような中の上の顔。

 面食いの女にはモテた。口は上手いし。

 その結果が、彼が腐っている要因なんだけど。

「そりゃ、影で三股してるヤツが暇なわけないんだろうけどさ!」

「いや、先日四股になった」

「はー、クズかよ!!」

 浮気がバレて火炙りでもされたら酒の肴にしてやる。まだ未成年だけど。

 彼はどうにも女性から好かれるきらいがあった。天性の女ったらしめ、と胸の内で悪罵を吐く。私と同類項、すなわちどっちつかずの性格が災いして……いや、功を奏してしまって、何人もの彼女をとっかえひっかえしている。中には分かれた後もセフレとして関係を保っている女もいるらしい。敵を作りたくない、けど、仲間のように贔屓することはあまりしない。付き合ってしまえばドライ。だから、破局の数は多い。でも、恨みつらみは避けたい。妥協案のセフレ。

「性病かかって死ね、ヤリチン」

「ちゃんと検査は怠ってないし避妊具はつけてる。安心しろ」

「倫理的に安心できないってバーカ」

 とっくに崩壊しているんだろうけどさ。誰だよ、彼に気持ちいいことの一つや二つを教えこんでしまった阿婆擦れは。

「……で、場所なんだけど、君の家でどう?」

 逸れたレールを元に戻す。日が沈み、橙が色を薄めていく教室を一瞬、珍妙な無音が支配する。雀の大群が隊列を為して、透明な空を駆け抜けていった。碁盤の目状に並んだ机と椅子は整然としていて、その影が刻一刻と角度を変えていく、伸びていく。木目調の床の橙と黒の面積が入れ替わりそうになったとき、彼はにやり、と悪ガキの笑みを浮かべた。ああ、憎たらしくて、幼稚な彼だ。

「それってもしかして」

「思い込みも甚だしいわ、ヤリチン童貞」

 期待を一蹴した。彼のペースに持っていかれたらズルズルと引きずられてあえなくセフレ要員の一人として数えられてしまうのだろう。私はそこまで単純ではない。単純な思考回路になってやらない。

 早速、夏休み初日、すなわち明日から、一緒に宿題をすることになった。

 余談ではあるが、彼の成績は学年で下から五番目——筋金入りのバカの教育係を務める私は、自慢ではないけど学年上位五番目だった。このままでは留年も怪しいらしいという担任の熱弁により私が彼の教育係になってしまったが故の勉強会だ。腐れ縁の彼じゃなくてもきっと引き受けているだろう。敵を作りたくないから。先生の前でいい子ぶるのもグレーな私の処世術だ。

 でも、彼じゃなかったらそこまで乗り気じゃなかっただろう。そんな風に思ってしまうのはきっと彼が『腐れ』縁で似た者同士だったから。

 ああ。親近感なって、いつ芽生えたんだろう。




※※※




 彼の傷を初めて目の当たりにしたのは燃え盛る夏休み初日、八月の二五日、水曜日だった。ボジョレ・ヌーボーよろしく、最高気温が過去の記録を上回ったあの日、私は街外れにある彼の家を訪れていた。

 オンボロアパート、二階の角部屋が彼の部屋だった。一人暮らしをしているというのは聞いていたが、実はまだ一度も来たことはなかった。入るとむわっと蒸し暑さでむせ返りそうになった。靴を脱いで床に踏み入ると、キイキイと軋む音が踵ごしに伝わる。手前に台所や洗面所があって、横開きの仕切り戸を挟んで奥に畳張りの居室が広がっていた。

「ってか避妊具とか隠してよね。セクハラしたいの?」

「別に。昨日は連れ込んでそのまま寝ちゃったからさ」

「……女の匂いがする」

「オマエはヤンデレ気質な彼女か?」

「言ってみたかっただけ」

「どうだか」

 畳の上の敷布団に座り込む。くしゃくしゃの毛布を引っ張ってくるとそれに包まった。悪くない匂いだった。良くも……ないかな。

 そのまま窓の外をぼうっと眺める。生憎の空模様だった。天蓋は、今にもどっと泣き出しそう。灰色の水曜日だった。

「扇風機しかないけどいいか?」

「十分だよ、困ったら自販機で冷たいの買ってくるし」

「冷蔵庫にある飲み物飲んでいいからな。麦茶くらいならある」

 許可を取って冷蔵庫の中身を覗いた。麦茶はあった。というか麦茶しかなかった。ゴミ箱の蓋を開けると丸められたティッシュと使用済み避妊具とコンビニ弁当の容器が詰まっていた。

「君さ、いったいどんな生活して——…」

 包まっていた毛布を翻して振り返る。畳の敷かれた八畳間に彼のTシャツが脱ぎ捨てられる。開けっ放しにされた冷蔵庫の冷気が足元を擽った。慌てて彼の方から顔を逸らし、冷たい風の出所を塞ぐ。

 別に、彼が突然服を脱ぎ捨てたことに狼狽したわけではない。彼の配慮のなさとかデリカシーのなさは一学期の間に重々理解していた。彼のことだ、どうせ私のことなんか女として見ていないことだろうし。

「…ごめん、お前のことだから特に問題ないだろうって思ってた」

「君の人間性の無さには頭が痛くなるよ。まさか他の女の子が来た時もそんな風にしてるのかい?」

「いや、お前だからだけど、さ」

「だったら尚更デリカシーないね。カケラも、ない。別にいいんだけどさ、論点はそこじゃないし」

 恐る恐る再び彼の方へと身体を向ける。休日だというのに制服だった私の脇腹に冷気と幻肢痛が湧く。痛みも今だけは心地よさと安堵を与えてくれた。

「その、傷跡だらけの胸は、なに?」

 脇腹を抑えながら、全力で訝しげな表情を作ったつもりだった。

 けれど。

「ハハ、同類を見下す目をしてるな。つくづく、悪趣味だ」

 自嘲げなトーンで突き放される。今度は、下腹部が疼いた。股下を、つうと冷や汗のような、しかし汗とは一線を画した体液が垂れ落ちていく。これもまた、きっと幻想だ。デジャヴのようなものだ。妙に生々しい。

「嫌なものを思い出しちゃったよ、もう」

「今度から気を付ける」

「見ちゃったものは取り消せないから。今度なんて、ないでしょ」

 台所で乾かされていたコップ二つ、あとは冷蔵庫から麦茶のポットを持ち出す。畳の上でお茶を注いだ。

「ほら、飲んで」

「オレの持ち物なんだけどな」

 彼は、喉をごくりと鳴らしてコップのお茶を一飲みした。額から滲む汗が首筋を駆け抜けて胸板、そして傷口を滴る。中には新しめの傷もあって、その上を塩気のある雫が流れていくと目をきゅっと苦し気に瞑っていた。

 空になったコップと、一口もつけられていないコップが並んだ。

「一番最近の傷は、これか。昨日、ヤってる最中に爪立てて引っ掻き回されたんだ。相手に傷をつけることで気持ち良くなるらしいからさ。だったらいいかなって」

「訳わかんない」

「わかんなくていいんだろうよ。それが壊れてない証拠なんだからさ」

「さあね。価値観が違うだけで壊れてるかもしれないよ」

「根拠は?」

「私の服装、同類を見下す目」

 包んだ毛布の中に、彼を迎え入れる。頭まで包み込むと敷布団の上に二人だけの世界が広がる。毛布の色が水色だから、一面が水色で至近距離のごくごく小さな世界が。

「傷、舐めていい?」

「気持ち悪い趣味だね」

「セフレ作るよりは壊れてないでしょ」

 舌を傷跡に這わせる。くすぐったそうに声を漏らす彼は見た目より幼く見えた。瘡蓋の味は塩気に鉄が混じったようなものだった。

「オレが一人暮らしをしてるのは、親から逃げるためだ」

 這わせていた舌を止めた。自分の腕は彼の背中を擦っていた。ころころと。下半身が火照っているのに気づく。熱くなった顔を上げる気にはなれなかった。だから、あくまで平静を保ったような口調を続ける。

「……虐待?」

「正解。古い傷はそのときにできたものだ」

 彼はシングルファーザーの家で育った。小学生のころまでは母親がいたらしいが、離婚。それからというものの、父は酒に溺れたらしい。優しかったはずの父親は、ストレスの捌け口として彼の身体を使うようになった。

「一人暮らしをするにあたって、オレは母親を頼った。今では再婚してるし子供もいるけど、オレのことも自分の子供として扱ってくれた。お金の援助はそっちからしてもらってる。それだけじゃ足りないからバイトしたりして稼いでるわけだけど」

「お父さんに、連行されたりしないの……?」

「母親が根回ししているから、今のところは。それにどこに住んでるかは父親は知らないよ。教えてない」

「そっか」

 それから私は無言になって、傷を舐めまわし続けた。いつしか無傷の肌にまで侵していた。舌の行く方向は定まらない。ただただ、熱くなっていく頬と胸と目頭と下腹部を誤魔化すように舐める。

 愛でるように。撫でるように。

「あのさ、期待を一蹴した割に前のめりじゃねえか?」

「……う、うるさい。君の身体が悪い」

「よく言われるよ、彼女とかセフレに。守ってあげたくなる、だってさ」

「庇護欲、か。そうではないんだけどなあ」

「じゃあ何?」

「同情、だとちょっと違うな。アレだ、共感」

「虐待ってそんなに珍しくないものなのか、このご時世」

 世知辛くなったものだよ、と憂いを含んだ溜息を吐き出す彼の声色が壮年の爺さんのような儚さを醸し出していた。それがおかしくて、肌を舐めるのをやめて、吹き出してしまった。

 制服のボタンに手をかける。前開きのブレザーは紺色で、毎日毎日皴を整えるのに数十分を費やしている。ネクタイが木々を伝う蛇のように、私の首から解けていった。あっという間に、上はワイシャツだけになった。昨日もアイロンがけを入念にした。別に、本当に、これっぽっちも彼のことを考えて、ではない。彼のことを考えなくても入念じゃないといけない。彼のことを考えていたから、いつもより丁寧に皴を伸ばした……これは嘘ではない。面倒臭い言い回し、面倒臭い女みたいだ。面倒臭い男の前じゃないと、面倒臭い女で居られない、居たくない、というのは果たして論理的ではないだろうけど。

「ワイシャツ、脱がしてよ。他の女の子にも同じようにやってるんでしょ」

「うちの学校の人間には手を出してないけどな」

「じゃあ、うちの学校での初物は私になるかもしれないんだね」

 ボタンをぽつ、ぽつと手際よく外していく。女慣れしているのが目に見えて分かるのがなんとも憎らしい。ワイシャツが前開きになると、彼は私の薄い下着の中に手を滑らせてきた。片手で片手間に外されるブラジャーのホック。彼の指が背を滑った。不意打ちで思わず、背筋が震えて硬直する。

「怖い?」

「今のは不意打ちでしょ。別に怖くない。……慣れてるし」

 ワイシャツを脱いで、シャツをまくる。ブラの紐が無気力に脇の下から垂れさがった。その先にある下腹部はまだランジェリーで覆われている。大事なのはそこじゃなかった。

 太ももと腹に赤く腫れあがった帯状の傷が浮かんでいる。脇腹を掴む手形の傷は私の腹に刻まれた傷の中でも特別目立っていた。家に帰ったら待っているのは明るい家庭なんかじゃなかった。

 そんな日常を受け入れている私は、異常なんだろう。

「父親からの性的虐待。夏休みだというのに制服を着ているのは、どうせ帰宅したらすぐに犯されるから。父親、制服姿と私とするのが特別気に入っててね」

 気持ち悪い性癖だ。口が裂けても父親の前では言えない。痛いのは嫌だ。傷跡が増えるのも嫌だ。

「同じ虐待だから、共感って言葉が合ってるかなって」

「どうして断らないんだよ」

「断れないのは、君も分かっているでしょ。似た者同士なんだからさ」

 ぱっ、ぱっと水しぶきが窓に打ち付けられる音がした。外ではきっと雨雲が猛威を振るっているのだろう。空が泣きじゃくっている。その涙が同情の涙なら、そんな涙はしまってくれよ、っていう嘆きは口にしなかった。野暮だし、無駄な敵を作りたくなかったからだ。空に敵味方を判別する意志なんて当然ないんだけど、生存本能がそうしろと促すんだから仕方ない。

 私は、彼の身体にくっついた。もちろん、シャツとブラを脱いだ後で。

 傷口が歪な感触だ。小太りな父親よりも固く、がっしりした筋肉質な胸に触れる。今だけは、気持ちがいいことに対する自己嫌悪が亡くなるような気がした。無理矢理押し倒されて、性欲処理の器具として用いられる、断れない私はここにはいない。ここにいるのは、グレーに黒を一滴、いいや、二滴、三滴垂らした私だ。どうせ白い体液をかけられるから中和するだろう、というくだらないジョークは場の雰囲気を下げるだけの凶器だろうし、それに中和されるほど濃いものを彼が持っていないかもしれない。日々吐き出していれば薄くなるだろうし……この心配もナンセンスか。

「なんか、勉強する気なくしちゃった。……責任取ってよね」

「論理が飛躍してるよな、それ。単純にそういうこと、したくなっただけなんじゃねえのか?」

「細かいことはどうでもいいんだって」

 私は、彼の胸の内で目を細めた。欠けていた心に黒が沈み込んでくる、そんな気がした。私が彼にとっての黒となれれば、私たちはきっとこれからも似た者同士なんだろう。だけど、そこに中途半端な灰色は必要ない。

「似た者同士の私たちを続けるのは、悪くない提案だと思わない?」

「妙案だな、むしろ」

「ありがと。君ならそう言ってくれると信じてた」

 背中を彼のごつごつした腕が支える。脇腹に宿っていた幻肢痛はこの時を境に和らいでいった。下腹部の疼きだけは抑えきれぬまま、彼の身体が覆いかぶさる。ゆっくりと目を閉じて、私は彼を受け入れることをすんなりと認めていた。自分でも驚くくらいに。




※※※




「あーあ、結局ヤっちゃったよ。マジで、もう……、あー」

 汗だくになって二人で敷布団に転がった。あたりには新しく使用済みになった避妊具と丸められたティッシュが転がっている。汗臭さが部屋に充満していた。外はまだ、雨はまだ、にわかに降っている。灰色の空は薄暗くなっていた。壁に掛けられた時計を見れば午後六時半を回っていた。放心状態ですることもないから天上の染みでも数えよう、として横から覗く視線と目が合った。

「結局、こうなっちゃうんだな。オマエも」

「誰のせいだよ」

「オレのせいかよ」

「男なら責任取ってよね、ったく。……まあ、君が全部いけないわけじゃないんだけどさ」

 元はといえば私が勝手にそういう気分になっちゃったのがいけない。そもそも彼に責任を取ってもらう筋合いはない。じゃあ、なんでわざわざ私は責任を取ってほしいのだろう。

「……奢ってよ、ご飯一回。それで今回はチャラ」

「身勝手すぎるだろ、一回くらいいいけどさ」

「でもって、私は今日、家に帰りたくないのです。わがままになりたい気分なんだよね。なんでかは知らないけど」

「知らないのかよ」

「知らないったら知らない。そういうことにしておいて」

「ああもう、勝手にしろよ。どうせ今日は彼女とかセフレとの約束はないし」

 ふふ、それでよろしい。なーんて呟いたら盛大に呆れたような溜息を吐かれてしまった。無理もない、とは思うけど。

 私は起き上がって、彼の方を向いた。驚いたような目でこちらを見つめてくるのは何故だろうか。

「どうしたの?」

「いや……、今は何でもないってことにしておく」

「なにそれ。変なの」

「いいだろ。それよりほら、早く着替えようぜ。お腹空いただろ?」

 隣で背伸びをしつつ、転がり起きた彼は早口で私をそそのかす。目線は反らすし、その頬はいつもよりも赤みが増している。

 だから、ニヤニヤを抑えつつ。私は。

「うんっ、行こうか」

 彼の手を引っ張った。灰色の空から一条の光が差し込んだ。

 灰色の水曜日は、きっと終わる。

 去り際に私たち二人を灰色から連れ去ってくれるのだろう。

 だからその時は、彼に責任という名の枷を負わせて、繋いだ手を離せないくらい強く握って共に似た者同士で横並びに歩んでみるのも、悪くはない。

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