第130話 黒炎
完全な状態とは言えない現在のイ=ルグ=ルの能力には、物理的な限界値がある。故にその限界より内側に対象が、すなわち巡航ミサイルを搭載したドローンが、すべて到達するまでは時間を稼ぐ必要があった。
だが時は来た。エリア・トルファンに向かうドローンのすべてが、イ=ルグ=ルの能力が作用する域内に入った。よってトルファンに己の身を移し、空間圧縮で全ドローンを一箇所に集めた。あとは巡航ミサイルを全部、一斉に、同時に爆発させるだけ。その衝撃が異空間を生じさせる切っ掛けとなる。
本来の完全な状態であれば、人間の力などに頼る必要はない。イ=ルグ=ル自身の能力だけで異空間を開き、そして閉じられた事だろう。だがいまは選り好みをして良い状況ではなかった。使える物なら何でも使わねばならないところまで追い詰められている。
避難する人々の波に逆らうように、ウッドマン・ジャックは降り立った。トルファン上空の白い点を振り仰ぐ。
「ぬほほほほっ、さすがにあの高さまで伸びる木はないのだね」
そして小さくため息をついて、両手を水平に上げた。
両脚から無数の根が生え出し、地面に食い込む。
上半身に無数のこぶが出来たかと思うと、爆発的な勢いで、枝が伸びて行く。
枝から伸びた気根が地面に降りると太く硬くなり、枝を支えた。
ジャックの体から伸びて広がった枝は、人々の頭を越え、パラボラアンテナのように、直径数百メートルに及んだ。
「ま、こんな最後も悪くないとは思うのだけれど」
そのとき、空が光った。
百を超える数の巡航ミサイルが、一斉に爆発した。高圧の熱風が地上を焼く。ジャックの広げた枝がそれを受け止めなければ、無数の命が蒸発していた事だろう。
トルファンの空に立ち上るキノコ雲。リキキマを翼として空を飛ぶガルアムが、その只中に突っ込んで行く。高温の上昇気流に
「あれか」
「何が起きてる」
ジュピトル・ジュピトリスの問う声に、ダラニ・ダラは答えた。
「イ=ルグ=ルが並行世界の入り口を開いたのさ。ミサイルの爆発を利用してね」
「何のために」
「逃げて隠れるためだよ」
「どうすれば閉じられる」
「いや、そこまでは知らんわな」
ジュピトルは数秒考え込むと、ナーガに声をかけた。
「武器庫には何が残ってる」
「そうですね、銃器類は何もありません。すべて持ち出されました」
人食いに対抗するために、人々に武器庫を開放したためだ。
「あ、装填済みのミサイルポッドが三基残っています」
人食いにミサイルは、たいして役に立たなかったからだろう。ジュピトルはうなずくと、こう言った。
「それを確保しておいて」
「了解しました」
ダラニ・ダラは不審げな顔で見つめる。
「何をする気だい」
「何をすればいいのかは、まだわからない。ただ可能性は見逃したくないからね」
そう言って微笑むジュピトルに、ダラニ・ダラは一瞬呆れたような顔を見せると、横目でドラクルを見た。
「血は水よりも濃いってヤツかね」
「ボクには、ちょっと付いて行けないかな」
夜の王は苦笑した。
オーストラリア大陸のエリア・エインガナでは、クリアに支えられて3Jが立ち尽くしている。
「ねえ3J、座りましょう」
「いや」
クリアに首を振ると、3Jは遠くを見た。クリアもその視線を追う。街の照明はほとんどが破壊され、暗闇が大半を覆っている。だが幾つか僅かに残った明かりの中を、人影が三つ近付いて来た。
「あれえ? どした兄者」
脳天気な声を上げながら駆け寄って来たのは、ズマである。イ=ルグ=ルが消えた事を察知して戻って来たのだ。
「何だよ、今度は腕なくしたのか?」
「ああ、傷が一つ増えた」
「おいらとお揃いじゃねえか」
ズマの後に続く銀色のサイボーグが小さく笑った。
「さしもの3Jも冷や汗をかいたようだな」
「どちらかと言えば
感情のこもらぬ抑揚のない声で、3Jは淡々と話す。
「ズマ」
3Jは小さな獣人を見つめた。ズマはニッと歯を見せる。
「あいよ」
「おまえは俺の盾になれ」
「いいぜ」
次いでジンライに向き直る。
「ジンライ」
「うむ」
「おまえは俺の剣になれ」
「承知した」
そしてクリアに顔を向ける。
「クリア」
「えっ」
「俺の足になってくれ。頼む」
「……はい」
クリアは顔を真っ赤にして、静かにうつむいた。
「で、これからどうするのだ」
ジンライの問いに、3Jはうなずく。
「時を待つ」
「時を待つ?」
「そうだ。『そのとき』が来るのを待つ」
すると、少し離れた場所に立っていたハイムが、突然ティーポットを取り出した。
「それでは、そのときまでお茶に致しましょうか」
ズマは思わずツッコんだ。
「いままでどこに持ってたんだよ、そんなもん」
ごうごうと風が鳴る。キノコ雲の頂上付近に開いた、虹色に輝く異世界への入り口から、猛烈な風が吹き出している。それはリキキマの翼ですら前に進めないほどの、圧倒的風圧。ガルアムは風の流れから一旦離脱すると急上昇し、キノコ雲を見下ろす位置から落下速度を加えたスピードで、再度入り口へと突っ込んだ。
空気の壁を切り裂き、虹色の穴の中へと全身を投じた途端、吹く風は止んだ。勢い余って受け身を取ってしまったが、床や地面の感覚はない。上も下も虹色に輝く空間。その一角に、白い光が漂っていた。光の中に浮くのは、三枚の半透明の円盤。立ち上がったガルアムは慎重に近付く。
「リキキマ」
「おうよ」
少女の姿に戻ったリキキマは、右手を振った。手の先から、黒い物が湧き出る。最初は霧のように、やがて形をなしながら膨らみ伸びて行く。そして空間の入り口から外に向かって大きく突き出ると、元の姿を取り戻して固まった。
巨大な天秤。かつてエリア・レイクスに現れ、リキキマに同化されたそれが、いまは二つの世界をつなぐ架け橋となる。
黒い大天秤を背に、ガルアムは立ち止まった。足下に浮かぶ思念結晶。イ=ルグ=ルの思念が漏れ出していた。
――力は使い果たした
弱々しいその思念波に、もはや往事の面影はない。
――倒したくば、倒せば良い
ガルアムは拳を振り上げた。
――それが可能ならばな
「!」
ガルアムは後ろに飛び退く。一瞬遅れて虹色の空間が裂け、足下から黒い炎が上がる。燃え盛り巨大な人型となった。その黒い炎から感じる気配はまさに。
「イ=ルグ=ルだと!」
――少し違う
思念結晶から漏れる声は
――これは、生まれたばかりのこの世界におけるイ=ルグ=ル
人型の黒い炎は、無造作に腕を振り回した。
――より正確に言うならば、いずれイ=ルグ=ルになるはずだった存在
頭部に伸びた黒い腕をガルアムはかわした。だが触れてもいないのに、顔に火傷が出来る。
――まだ意思もない、凶暴で純粋な力
さらに伸びた炎の腕は、空間を埋め尽くす大天秤に触れた。触れた部分はあっという間に蒸発し、穴が空く。
――それに方向性を与えた
「ガルアム!」
リキキマが剣の姿になり、ガルアムが柄を握った。
――おまえたちを殺すには、丁度良かろう
襲いかかる炎の腕を、ガルアムは斬った。しかし手応えがまるでない。それどころか周囲を取り囲まれてしまった。溶岩の熱にすら耐える獣王の皮膚が、ジリジリと焦げて行く。その足下に突然、丸く空間が開いた。音もなく落ちるガルアムとリキキマ。
キノコ雲を仰ぎ見る低空に開いた丸い空間から、ガルアムとリキキマを引っ張り出したのはダラニ・ダラ。
「熱ちちちちっ!」
魔女は慌てて手を振って息を吹きかける。リキキマは再び翼となり、ガルアムの体を持ち上げた。
「すまん、助かった」
青息吐息の獣王に、ダラニ・ダラは怒ったような顔を向ける。
「何だいこの熱さは。マグマ風呂にでも入ってたのかい」
「そんな可愛いものでは……」
ガルアムが言い終わらないうちに、上空が燃えた。黒い炎が渦を巻きながら天を覆って行く。熱さに顔を歪めながらダラニ・ダラがつぶやいた。
「追って来やがったね」
「これ、どうするよ」
そう言うリキキマの声に、ダラニ・ダラは苦虫を噛み潰したような顔を見せた。
「どうもこうもあるかい。想定外の事態だ、困ったときの何とやらだよ」
空いっぱいの黒い炎に夜が切れ目を入れ始めた。それはいつしか人の形になって行く。と思うと、突然風の音がして、人型は小さくなった。身長二メートルほどの燃え盛る人の似姿。その背には翼があった。六枚の翼が。
舞い降りる黒い
「ひとまず逃げるよ!」
「あ、おい!」
ダラニ・ダラはガルアムとリキキマを連れて、空間圧縮で姿を消した。
残された熾天使はしばし途方に暮れていたかに見えたが、不意に顔を空に向けた。するとその胸から、二本の腕が飛び出す。そしてもう一つの顔が現れ、肩が、胸が、腹が腰が脚が、絞り出されるように現れた。
二人目の燃える人影も、背中に六枚の翼を広げている。二人の暗黒の熾天使は言葉を交す事もなく、顔を見合わせるでもなく、別の方向を向いている。一人は姿を消した。おそらくはダラニ・ダラを追ったのだ。残った一人は宙を舞い、進んだ。朱雀塔の方向へと。
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