第129話 断

 3Jが撃たれた。モニター越しにその瞬間を目の当たりにしたトルファンのセキュリティセンターは、悲壮な沈黙に包まれる。最初に口を開いたのは、ドラクル。


「行こう」

「だめだ」


 ジュピトル・ジュピトリスは即座に却下した。しかしドラクルも引かず、感情的な声を上げる。


「どうして、放っておくのか!」

「そうだ!」


 それは断固とした決意。


「イ=ルグ=ルは必ずここに来る。僕らはそれに備えなければならない」


 梃子てこでも動かないとはこの事。いまジュピトルを動かせる力は、この世のどこにもない。さしものドラクルも、口を閉じるしかなかった。



 ジュピトルを心配げに振り返るナーギニーの隣に、水色の髪のローラが立った。管制卓の端に、どこから持ってきたのか、コーヒーのカップを置く。


「少し休憩しましょう」

「え、ええ」


 するとローラは小さな声で、こうたずねた。


「私の事、覚えてる?」


 ナーギニーは一瞬戸惑ったが、すぐに意味を理解した。


「……忘れた事はありません。ナーガも同じです」


 そう小さな声で話す。


「ありがとう。忘れてる人も居るんだけどね」


 ローラはくすりと笑うと、もう一つのコーヒーカップをナーガのところに運んで行った。



 イ=ルグ=ルの横っ腹に穴が空いた瞬間に走っていなければ、心臓を射貫いぬかれていた事だろう。空中をピンボールのように弾かれたビームは、かなり減衰していたとは言え、3Jの左肩を消し炭にするには十分な出力だった。


 おそらくはビームを屈折させるための見えない何かを、イ=ルグ=ルが作ったのだ。ダラニ・ダラがクリアの前に置いた障壁と同様な物を、背後から3Jを撃つために。何故後ろから撃ったのか。それはダラニ・ダラが3Jの前にも障壁を置いていたからだ。単純かつ合理的な理由である。


 すべてを見通す『宇宙の目』。3Jがパンドラのビーム砲を使う事を、イ=ルグ=ルは待ち構えていたに違いない。もし勝ちを焦って最大出力で砲撃させていれば、いまごろ一巻の終わりであった。


「3J!」


 クリアの顔が覆い被さる。なるほど、自分はいま倒れているのだな、と3Jは思い至った。


「傷口は焼けている……死にはしない……はずだ」


 断言はできなかった。脳内麻薬が分泌されているのだろう、痛みの感覚がない。ああそうか、左脚と右目を失ったときもこんな感じだったな、3Jはそんな事を思い出していた。


 ぐつぐつぐつ。何かが煮えるような音。それがイ=ルグ=ルの声だと皆が気付くには、数秒かかった。目も鼻も耳もない、もちろん口などない、全体を黒いイトミミズで覆われた不気味な塊が、全身を震わせて笑っていた。


――愚かなり、人間


 イ=ルグ=ルの思念が頭に流れ込んでくる。


――己の毒で傷つき倒れる、まさに自業自得


「何を、待っている」


 3Jは上半身を起こそうともがいた。


「だめ! いまは動かないで!」


 しかしクリアの声には耳を貸さない。右腕でクリアにしがみつき、何とか起き上がろうとする。


「これが、おまえの、目的の、はずがない」


 3Jの左腕が、ボトリと落ちた。


――さかしらな人の子よ、もはやそなたらの力はイ=ルグ=ルには及ばぬ


 3Jはようやく上半身を起こし、イ=ルグ=ルをにらみつけた。


「おまえ、また逃げる気か」


――さあてな、その利口な頭で考えてみれば良かろう


 逃げるなら何故さっさと逃げない。やはり何かを待っているのだ。だが何を。そもそも逃げると言っても、いったいどこに逃げる。宇宙の彼方に去るというのか。それはない。この執念深い憎悪の塊が、地球を放置してどこかに行くなど有り得ない。かと言って、また地球の核へと逃げ込んだところで、すぐに見つかる。ならどこに。そのとき、3Jの脳裏に、あの言葉が浮かんだ。


「……永劫の輪にて待て」


 イ=ルグ=ルの笑い声が止まった。


「ケレケレ、居るか」

「ここに居るぞ」


 3Jのすぐ隣に、杖を手にしたおかっぱ頭が立っていた。3Jは右手で杖を受け取り、地面に突き立てる。


「目と耳はすでに来た。ならば、イ=ルグ=ルは世界を閉じられるはずだな」

「うむ、その通りだ」


「閉じるとは、何を閉じる。地球をか」

「それも可能だ」


「具体的に何をする」

「まあ簡単に言ってしまえば、意図的に小さな並行世界を作る訳だ。そこに地球を丸ごと放り込めば、地球を閉じる事が出来る」


「ではもし、その並行世界にイ=ルグ=ル自身を放り込めば、どうなる」


 ケレケレは意表を突かれた顔で、一瞬言葉を失った。


「……それは考えた事がなかったな。しかし、理屈としては可能なはずだ。もしそうなれば、もはや誰もイ=ルグ=ルには手出しが出来なくなる」


「永劫に、だな」

「そうだ、永劫に、だ」


 3Jは杖に力を込め、立ち上がった。寄り添うクリアが支える。左肩に痛みが戻り、そのおかげで意識が鮮明になった。


「逃がしはしない」


 その一つしかない目が、強くイ=ルグ=ルをにらみつける。


「おまえはここで滅びる」


――人の子よ


 イ=ルグ=ルの言葉には感嘆が込められていた。


――恐るべき人の子よ。ただ一つの正解に至った事を、驚きと共に賞賛しよう


――その通り、イ=ルグ=ルはこれより異界に籠もる


――もはや外の世界からイ=ルグ=ルに触れる事は叶わぬ


――そしてイ=ルグ=ルが血を欲したときにだけ、その扉は開くのだ


――地球は永劫の虜囚として、イ=ルグ=ルに仕える事になる


――これはもはや変えられぬ未来


「変えられぬ未来などない」


 3Jは毅然と告げた。


「おまえに許される未来もない」


 ぐつぐつぐつ、イ=ルグ=ルは再び笑った。


――時は来た。二度と会う事もあるまい。さらばだ人の子よ


「逃がすな!」


 しかし3Jの声と共に、イ=ルグ=ルの体は潰れた。ダラニ・ダラの作りだした見えない壁に囲まれて、その圧力にこれまで抗っていた力が突如失われ、小さくしぼんでしまったのだ。


「何だい、こりゃ」


 ダラニ・ダラが3Jを振り返る。


「どういう事だ」


 手応えを失ったガルアムも視線を寄せた。


「……コアを飛ばしたな」


 3Jの言葉にリキキマが目を剥く。


「あの核だけ逃げたってのか。並行世界へか」

「いや、おそらくはトルファンだ」


 3Jはダラニ・ダラを見つめる。


「俺をトルファンに連れて行け」


 だが、呆気ないほどあっさりと、それは断られた。


「お断りだね」

「ダラニ・ダラ」


「怖い顔したってダメさ。おまえは脳みそ担当だ。これから何が起こって、アタシたちが何をしなきゃならないのか、それをお話し。動くのはこっちでやるからね」


 リキキマが鼻先で笑った。


「もうテメエは邪魔なんだよ。さっさと喋るだけ喋れ。それともここまで来て、情に流されろってか?」


 ウッドマン・ジャックはうなずくと、パイプを一口くゆらせた。


「ま、こればっかりは仕方ないね」


 ガルアムが促す。


「さあ、指示を出せ3J。人類を救うための指示を。我らはそれに従おう」


 数秒の黙考の後、3Jは口を開いた。



 日が沈んだばかりのエリア・トルファン上空に、白い小さな点が現れた。始終空を見上げていなければ、誰も気付かないほどの小さな点。けれど次の瞬間、否が応でも気付かれる事になる。白い点の真下にいた人々の体が突然粒子へと分解されたかと思うと、空に向かって吸い込まれて行ったからだ。



「動体検知! トルファンの上空に何か居ます!」


 ナーガの声と同じくして、カメラはズームアップ、白くて丸い、なのに立体感も影もない奇妙な物が映し出された。


「点……いや、板かな」


 ドラクルが眉を寄せる。


「イ=ルグ=ル、じゃろうのう」


 ムサシの声には緊張感があった。しかし二人に答える事なく、ジュピトルは早口で指示を繰り出す。


「近接地域に警報と避難誘導開始、攻撃ドローン展開、巡航ミサイルはどうなってる」

「エージャンとアラビアからのドローンが、間もなく射程距離に入ります」


 ナーギニーの声に、モニターを見つめたままうなずく。


「射程に入り次第、全弾発射」


 だがそこに。


「お待ち!」


 振り仰げば、高いセキュリティセンターの天井から、巨大な老婆の顔が逆さまにぶら下がっていた。


「ドローンは全部反転させな! これ以上近付けるんじゃないよ!」

「ダラニ・ダラ、いったいどういう」


「説明は後だよ! いまは急いで……」


 ジュピトルの問いに魔人が答える時間はなかった。ナーギニーの慌てた声が響く。


「ドローン全機、反応が消えました! ……あ、いえ、反応が、反応があります。全機、すべてのドローンが、トルファン上空に集まっています!」


 そのときイ=ルグ=ルの思念が、世界に向けて放たれた。


――時は来た

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