第126話 ハリボテ

 弾丸は人食いの腕を吹き飛ばす。腹に風穴を開ける。でも人食いの動きは止まらない。しかし人々は発見した。顔面に弾丸を命中させて首から上を吹き飛ばせば、その動きが止まる事を。ただ問題は、狙って当てられるような技術を持つ者が居ない事であった。


「弾だ、弾を持って来い!」


 あちこちからひっきりなしに聞こえる、弾丸を要求する声。それだけ無駄弾を撃ちまくっているという事ではあるのだが、ほぼ全員が未経験者である事を考えれば、やむを得ないと言えるだろう。


「おらおら、どけどけ!」


 威勢の良い声と共に奥から出て来たのは、ミサイルポッドを担いだ男。


「喰らえ化け物!」


 六発の小型ミサイルが一斉に発射され、爆発が人食いの群れをなぎ倒した。だが頭を飛ばされた数人の人食いは動きを止めたものの、大半はまた動き出した。派手な割に効果は小さい。まあ相手は人でも機械でもない。これまたやむを得ないのかも知れない。


「手を止めるな! とにかく撃て!」


 どこからかそんな声が響く。まだ諦めていない、諦めたくない、そんな思いが彼らを動かしていた。



 月の周回軌道を飛ぶ三つの探査機を操り、パンドラは月面をスキャンする。しかし探査機が月の周りを一周するには、約二時間が必要だ。言われてすぐにイ=ルグ=ルの居場所を見つけられる訳ではない。そもそも、本当にイ=ルグ=ルが月に居るかどうかなど、まだわからないのだ。


 だがその疑問はじきに解消された。探査機の一つが消息を絶ったからだ。何の予兆も見せずに、不意に消えた。状況を考えれば、落とされたと見るべきだろう。


 ただちに探査機が消えたポイントから重点的に調べるべく、パンドラはスキャナの角度を調節した。その眼前で――機前と言うべきか――目標が消えた。探査機だけではない。三十八万キロの彼方に浮かぶ直径三千五百キロ弱の鉱物の塊が、最初から何もその場所になかったかのように、突然消え去ってしまった。


「月が消えた!」


 ベルの声が届くと、3Jはダラニ・ダラを見る。


「飛んでくれ」

「任せな!」


 その姿が消えると同時に、ベルに向かってこう命じた。


「ジュピトルに伝えろ。津波に備えろとな」



 海は星に引かれる。地球を覆う海水は、均等な水位で全体を包んでいる訳ではない。海面の高さは時間帯によって高くなったり低くなったりする。これを潮汐ちょうせきと呼び、潮汐を起こす力を潮汐力と呼ぶ。


 潮汐力を生むのは三つの力、つまり遠心力、太陽の引力、そして月の引力である。これらが作用し合う事で、潮位の干満が起こる。この三つのうち、一つの力が突然消えたとしたら。


 月に向かい合った面の海水は、月に引かれて盛り上がる。そのとき地球の裏側でも、遠心力によって海面水位は上がっている。つまりそれ以外の部分の海では水位が下がる訳だが、もし月の引力がなくなった場合、海水には均等な水位になろうとする作用が働く。


 すなわち、水位が低かった場所に、大量の海水が押し寄せる事になる。


 突然月が消えたのなら、水位の上昇も突然に。



「津波が来ます! 高い場所に逃げてください!」


 ジュピトルの声はすべてのエリアに響いた。どこにどの程度の津波が来るかなど、算出している場合ではないと考えたのだ。結果として、その判断は正しかった。


 唸りを上げて鳴動する大地。巨大な衛星を失って、地球が歪んだ。地面が波のように揺れ、火山は列をなして噴火する。月の消失による潮位の変化とは別に、地殻変動による津波まで発生し、陸地の内へと襲いかかった。



 宇宙空間を漂うダラニ・ダラの目の前に、赤い五角形が並んでいた。パンドラのセンサーには見えない広大な壁。だが魔人の目には捉えられる。イ=ルグ=ルの結界である。



 地震の続く中、3Jの耳元にダラニ・ダラの声が届いた。


「結界だよ。イ=ルグ=ルのヤツ、地球と月の間に結界を張りやがった」


 3Jは即答する。


「裏側に回り込め」

「裏側だぁ? んなこと言われてもねえ」


 困惑する魔女の声に、3Jは容赦なく畳み掛けるようにこう言った。


「いかにイ=ルグ=ルの力が強大でも、この短時間で月を完全に覆い尽くす結界が張れるとは思えん。そもそも張る必要もない。月の引力さえ断てば事が済む以上、その結界はハリボテだ。必ず裏に回り込める」


「ハズレだったら承知しないからね」


 そう言うと、ダラニ・ダラの声は途切れた。地震はなおも続いている。



 津波は沿岸部から内陸深くにまで達した。ジュピトルの言葉に従って高台や高層階に逃げた者は助かり、逃げなかった者たち――人食い、そして無数の死体たち――は、ことごとく波に飲まれ、海の中へと引きずり込まれて行った。


 残った僅かな人食いを狙い撃ちながら、人々は思った。助かるのか、生き残れるのか、と。


 高級そうなスーツの腕をまくり、全身泥だらけになりながら手榴弾を投げる中年の男が、不意に笑顔でつぶやいた。


「まいったな。これはまいった」


 隣でライフルを撃つ、安物のブルゾン姿の青年が、それを聞いてたずねた。


「何がまいったって?」


 すると中年男はこう言った。


「君、『Dの民』って言葉を覚えているかね」


 青年は一瞬呆気に取られたが、じきに苦笑した。


「いまのいままで忘れてたな」


 中年男も楽しげに笑う。


「実は私もなんだよ」


 そしてまた手榴弾を投げた。



 地軸方向に六千キロ。ダラニ・ダラは空間圧縮により一瞬で飛んだ。眼下には赤い五角形の連なる壁の端が広がり、その向こう側には太陽光を遮断された闇がある。しかし魔人の目はその中に見出した。ほのかに白い巨大な球形を。


「こりゃホントにハリボテだね」


 壁を越え、闇に飛び込んだダラニ・ダラが、月面へと降り立つ。無音の着地。音の一切存在しない、静寂の世界。しかし大地が震え、砂が踊っている。地球の引力が存在しなくなったことで、月にも変動が起きていた。


「間に合っておくれよ」


 高速で闇を進むダラニ・ダラの視界に、黄金のきらめきが瞬いた。急いでその方向に飛ぶと、そこで繰り広げられていたのは肉弾戦。黄金の神人の左右半身同士が、互いを殴り合っている。ただし右半身は大半が黒く染まっていたのだが。


「リキキマ!」

おせえんだよ!」


 ダラニ・ダラの思念に呼応するのは、神人の右半身を同化したリキキマ。黄金に輝く左半身を殴りつけようとしてかわされる。


「イ=ルグ=ルの動きを止めろ! さっさとしねえと、月がぶっ飛んじまうぞ!」

「あいよ、任せな!」


 ダラニ・ダラの両手にはリング状に折り曲げられた空間が数十。それを一気に神人の左半身へと投げつけた。しかしそれに対してイ=ルグ=ルは、多数の三角形の空間を湧き出させ、輪状の空間とぶつけて消滅させる。空間同士の干渉し合う光が月面を照らした。


 その光に目でも眩んだのだろうか、一瞬動きを止めた左半身に、黒い右半身の拳がクリーンヒットした。けれど、その右拳を左手がつかむ。瞬間、左手の周囲から黄金の帯が現れ、右腕に巻き付いた。分子レベルにまで分解される右腕。元は神人の右半身であっても、同化されれば関係ないか。


 黄金の帯は、残りもすべて分解しようと右半身に迫る。だが突如それを飲み込む赤い激流。ダラニ・ダラが開いた空間の裂け目から伸びる太陽のプロミネンスの先端が、神人の左半身を結界の壁に押しつけた。


 事実上の超大口径の火粒子砲は、黄金の帯では防げない。この巨大なエネルギーを逃がすためには結界を破壊するしかあるまい。それがダラニ・ダラの読み。一方動きの止まったイ=ルグ=ルに対し、リキキマは同化した右半身ごと三叉の槍へと姿を変えて、炎の中の左足首を狙う。


 どちらに転んでも損はない。ダラニ・ダラはそう考えていた。確かに、どちらかに転ぶのならばそうだろう。


 イ=ルグ=ルの腹の辺りに空間の入り口が開く。それは一気に拡大すると、プロミネンスの炎を飲み込んだ。圧倒的なはずの熱量を喰らい続けてもビクともしない。


 プロミネンスの圧力から解放されたイ=ルグ=ルは、黄金の帯を振り回した。これではリキキマは近寄れない。


「おい、どうなってんだ」

「太陽だね」


 腹立たしげなダラニ・ダラの心象風景が、思念波に乗って伝わってくる。


「プロミネンスを飲み込んでるのは、おそらく太陽の表面さ。イ=ルグ=ルめ、毒をもって毒を制しやがった」

「んじゃ、どうすんだよ」


「決まってんだろう。こうするのさ!」


 ダラニ・ダラが両手を広げると、周囲に中程度の大きさの空間の入り口が、無数に開いて行く。だが、何も出て来ない。一瞬身構えたイ=ルグ=ルは、当惑しているようだ。そしてリキキマも。


「……これ、何やってるんだ」


 不審を感じる思念波に、ダラニ・ダラは応じた。


「結界を迂回すれば太陽の炎だって持って来れるんだ」


 そしてニヤリと笑う。


「なら結界を迂回して、引力を行き来させるくらい訳はない」


 月の振動は止まった。いま、イ=ルグ=ルの結界は無効化されたのだ。

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