第127話 曲率の計算

 大地の鳴動が止まる。世界に静寂が戻って来た。まだ体が揺れている気がするが、これもじきに治まるだろう。


「噴火の様子は」


 ジュピトル・ジュピトリスの声に、ナーギニーが答える。


「エリア・バレーのキリマンジャロが噴火中。その他、観測衛星で確認できる噴火は世界で十三箇所になります」


 さすがに一度始まった噴火は、そう簡単に終息しない。様子を見るしかないか。


「エリア・バレーの住民には、可能な限り西側に逃げるよう誘導して」

「バレーは津波の影響を受けなかったので、例の人食いがまだたくさん残っていますが」


 振り返るナーギニーに、ジュピトルは一瞬考え込む顔を見せた。


「……バレーの巡航ミサイルの数は」

「ドローン発射型が十七発残っています」


「すべてドローンに積んで、すぐに発進。エリア内の空爆に使う」

「了解しました。自動攻撃をセットします」


「いや、僕が撃つ。照準とトリガーをこっちに回して」


 その場にいた一同が目を丸くして見つめているのを素知らぬ顔で、ジュピトルはナーガに顔を向けた。


「月の様子は」

「まだ消えたままです」


「わかった。バレー以外の巡航ミサイルを発射準備」

「了解。ドローンは発進させますか」


「ミサイルを搭載次第、全ドローンはトルファンに向けて移動開始」


 ムサシがジュピトルの顔をのぞき込んだ。


「ふむ。イ=ルグ=ルはヤマトに降りるかも知れんが、良いのか」

「ヤマトまで届く巡航ミサイルはない」


 ジュピトルは正面のモニターを見つめながら言った。


「それは3Jもわかってる。だから向こうは任せるしかない」

「ま、あっちには魔人が揃っとるしの。心配するのもおかしいか」


 ムサシがうなずく。そこにナーギニーが再び振り返った。


「エリア・バレーのドローン、全機発進しました。照準とトリガー、回します」


 ジュピトルの手元のモニターに監視衛星の映像が浮かぶ。逃げ惑う人々と、それを追う人食いの群れ。モニターの下にある物理スイッチが赤く点灯する。指で触れて、止まった。


「押さないのかい」


 ドラクルの声にも振り返らない。モニターの中では子供が倒れた。押し寄せる人食いたち。もう間に合わない、かに見えた。だが人食いの群れが、次々に倒れて行く。銃を手にした集団が子供の元に駆け寄り、抱え上げて逃げ出した。それを確認してから、ジュピトルはゆっくりとトリガーボタンを押し込んだ。



 神人の左半身が操る黄金の帯が、ダラニ・ダラに近付いた。だが二箇所で直角に曲がったかと思うと、見当違いの方向に伸びて行く。帯は途中で気付いたかのように再びダラニ・ダラに進路を向けるが、また二箇所直角に折れて、明後日の方向へと伸びた。さすがに空間をねじ曲げられては、思うような攻撃は出来ない。黄金の帯はスルスルと縮んで行く。


 もっとも空間をねじ曲げるのはダラニ・ダラの専売特許ではない。三叉の槍の姿で神人の左足首を狙うリキキマに対し、相手も空間をねじ曲げて対応した。空間が曲がれば光も曲がる。つまり見えている場所には居ないのだ。これはリキキマにとっては手の打ちようがなかった。


「おい、ダラニ・ダラ!」

「そんな何でもかんでも、こっちに頼るんじゃないよ」


 実際いまのダラニ・ダラは、月と地球の引力を行き来させながら、イ=ルグ=ルの攻撃を防いでいるのだ。もうそんなに余裕はない。結界を無効化さえすれば、イ=ルグ=ルは結界を解くものだとばかり考えていたのに、一向にそんな気配を見せない。体力勝負になれば、こちらが不利だ。さてどうする。


 悩むダラニ・ダラの耳に聞こえてきたのは、3Jの声。


「ダラニ・ダラ、聞こえているな。返事は要らん」


 そしてこう告げる。


「パンドラを飛ばせ」

「ああもう、どいつもこいつも!」


 ダラニ・ダラが両手を振り上げると、上空に巨大な白い直方体が浮かんだ。現れると同時にパンドラは、イ=ルグ=ルに向かってビーム砲を撃つ。ただし紙に穴を空けるが如き、か細いビームを。当然のようにビームは曲がった。


 空間が曲げられているからと言って、そこに敵が存在していない訳ではない。光が曲がるのなら、その曲率を逆算すれば相手の居場所は推定できる。そのために必要な計算は、機械の得意とするところ。算出は一瞬。


 パンドラは最大出力のビームを放った。下には無限の空間、地面はない。遠慮は無用。たとえ光を曲げる能力を持とうと、光の速度で対応出来る訳でもなく。何も存在しないはずの空間を通過したビームは、火花を上げて神人の左半身を削り取る。だがやはり左足首は外された。いや、もっとわかりやすく言うのなら、もはや腕と脚しか残っていない。


 しかしパンドラはエネルギーのチャージに時間がかかる。宇宙を漂う神人の左脚に、襲いかかるのは槍の姿をしたリキキマ。その前に立ちはだかる、神人の腕。


「邪魔なんだよ!」


 つかみかかる腕をかいくぐり、リキキマは左足首を目指した。けれどいま、神人の左脚は自らが張った結界に触れた。その瞬間、きらめきを残して消え去るのは神人の腕、脚、そして月と地球の間を引き裂く無数の赤い五角形の連なり。



「月が現れました!」


 エリア・トルファンの朱雀塔、セキュリティセンターに響くナーガの声。それにジュピトルが応じる。


「全エリアの生き残っているカメラをすべて監視。動体検知感度最大。イ=ルグ=ルが来るぞ!」



 それは小さな変化。ちりちりと、何かが焼けるような音がどこかから聞こえ、血生臭さが漂った。だが津波が街をさらったとは言え、水はまだ引いていないし、血を流している者はたくさん居る。だから音も匂いも人々の注意を集めなかった。夜のオーストラリア大陸、エリア・エインガナ。いつの間にか空に月が昇っている。


 銃を手に周囲を警戒する大人たちの間に立ち、一人の子供が空を見上げた。


「あれ……」


 指を差すその先に目をやった大人は数人だけ。しかしその数人が、揃って悲鳴を上げた。月明かりの中、空に浮かぶ黒い塊。その表面には、黒いイトミミズの如き物がウネウネと蠢いている。


 愕然とする人々の頭の中に聞こえる声。


――血だ


 そのあまりに強大な思念波は、受容する能力を持たない者をすら打ちのめした。


――血をよこせ


 頭を押さえ倒れ込む人々に、数本のイトミミズが触手として伸び、体に巻き付いたかと思うと、空高く釣り上げた。そのままイトミミズの群れの中に飲み込む。


「逃げろ!」


 人々は叫びながら、銃を空に撃ちながら、よろめきながら走ろうとする。けれどその足に絡みつくイトミミズが、また幾人かを釣り上げ飲み込んでしまう。


――もっとだ、もっとよこせ



「エリア・エインガナ、何か出ました」


 ナーギニーの声に皆はモニターを注視する。切り替えられたエインガナのカメラが映し出す黒い塊。それはジュピトルの、ムサシの、ナーガとナーギニーの、そしてプロミスの記憶に残る異形。あの夜、夢の世界で見た姿。


「……イ=ルグ=ルだ」


 そうつぶやくと、ジュピトルはナーガに確認した。


「エインガナのドローンは」

「現在エインガナの東方百キロ海上を、長距離爆撃ドローンが飛行中です」


「ただちに反転、巡航ミサイルの照準をイ=ルグ=ルに設定」


 カメラの向こうでは、人々が次々イ=ルグ=ルに飲み込まれて行く。ジュピトルの握りしめる拳が震えた。


「どうする。ボクが行こうか」

「だめだ」


 けれどジュピトルは、ドラクルの申し出を即座に断る。


「君が向こうに飛んだ瞬間、イ=ルグ=ルはここに現れるだろう。それでは意味がないんだ」


 その視線はモニターから動かない。まるでそれが自分に科せられた罰であるかのように。


「照準設定完了しました」


 ナーガの声に、弾けんばかりの勢いでジュピトルは応じた。


「全弾発射」



「3J」


 耳元に、鈴を転がすような声。パンドラの管理インターフェイスである。


「戻ったか」

「イ=ルグ=ルはエインガナに降りたけど、どうする?」


 そのとき、暗い森がザワリと震え、現れる気配。振り返ればダラニ・ダラとリキキマが。


「ママ!」


 駆け寄るクリアに笑顔を見せるダラニ・ダラ。一方リキキマは憤懣やるかたないといった顔だった。


「んの野郎、もう勘弁ならねえ。行くぞ、ダラニ・ダラ」

「どこに行く気だい」


「イ=ルグ=ルの後を追うに決まってんだろうが」

「馬鹿言うんじゃないよ。タクシーだって疲れるんだ。おまえからも何とか言っておくれな、3J」


 しかし3Jはあっさり裏切った。


「いや、リキキマの言う通りだ」

「おまえね」


「ほうら見ろ」


 リキキマの満面の笑顔がムカつく。ダラニ・ダラは3Jをにらみつけたが、相手は真っ直ぐ見つめ返してくる。


「いましかない」


 3Jは言った。


「いま追い詰めるしか、イ=ルグ=ルを倒す方法はない。これが最終決戦だ」


 緊張が走る。ガルアムが、ズマが、ジンライが、ウッドマン・ジャックが、クリアが、リキキマが、ハイムが、ケレケレが、同じ一点を見つめている。


「……で」


 ダラニ・ダラは小さくため息をついた。


「誰を運べばいいんだい」

「全員だ」


「はあ?」


 呆れるダラニ・ダラに、3Jは言い切った。


「パンドラを含めた全員を運べ」

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