第125話 最大の防御

 迫り来る人食いの群れ。逃げる人々は疲れていた。イ=ルグ=ルによる自我破壊攻撃で、多くが足を止めた。何とか耐え切った人々に出来たのは、彼らを見捨ててただ逃げる事だけ。しかし、どこへ逃げればいいのだろうか。いつまで逃げればいいのだろうか。恐怖と疲労が絶望を招き、立ち止まりそうになったとき。


 街角の広報掲示板から、防犯カメラに付随するスピーカーから、聞こえてきたのは、もはや懐かしいあの声。


「全世界のセキュリティ施設を、すべて開放しました」


 逃げたのではなかったのか。イ=ルグ=ルと取引をしたのではなかったのか。まだ手を伸ばしてくれるというのか。


「武器を手にしてください。戦ってください。イ=ルグ=ルは人の血をエネルギーとする化け物です。皆さんが死なない限り、いずれ間違いなく倒れます。負けないでください。生き残ってください。明日は必ずやって来ます」


 ジュピトル・ジュピトリスの声を背に、人々の足は速まった。セキュリティだ、セキュリティを探せ。武器だ、武器を手に入れろ! 生き残るんだ!



「いまのは吸血鬼差別だと思うけどねえ」


 つぶやく夜の王にジュピトルは小さな微笑みを返す。


「全エリア、照準セット完了です」


 ナーガの声が響き、ジュピトルの声が応じた。


「発射」



 黄金の帯は、神人の全身を包み込むように巻き付いている。フグの毒が自身を害さないのと同じく、黄金の帯も神人の体には害をなさないらしい。これで左足首を狙うガルアムは手が出せない。だが帯の内側にはリキキマのくさびがある。その同化能力に賭けるしかないか。ガルアムがそう思ったとき。


 天より振り下ろされる閃光の鉄槌。


 パンドラのビーム砲撃が、真上から神人を貫いた。対物質には無敵な黄金の帯も、高出力のビームには耐えられない。だが頭頂部より全身を貫通したビームは、左足首を外れた。『宇宙の目』はビームの軌道も砲撃のタイミングも、すべて見通しているのだ。いまのイ=ルグ=ルにはそれを避けて足首の位置を動かす程度、容易であるに違いない。いや、左半身は、と付け加えるべきか。


 と、イ=ルグ=ルの足下の森がざわめいた。木々が物凄い勢いで伸びて行く。そしてイ=ルグ=ルの周囲に一定の距離をおいて卵形を作り、その姿を覆い隠した。



「あぁ? 何だいこりゃ」


 ダラニ・ダラがウッドマン・ジャックをにらみつける。ジャックはパイプを一口くゆらせると、呆れたように笑った。


「ぬほほほほっ、これは我が輩ではないのだね」

「イ=ルグ=ルか」


 3Jの言葉にうなずくと、ジャックはひとつため息をついた。


「森の一部が、我が輩のコントロールを受け付けないのだけれど。さすがと言うか、まさかと言うか」

「しかし、あんなもんで何する気なんだろうね」


 忌々しげなダラニ・ダラに答える事なく、3Jはパンドラのインターフェースを呼び出した。


「ベル」

「はいな」


「三割で撃て」

「了解!」


 出力三十パーセントで天上より放たれた閃光は、木々が作るまゆを貫通し、燃やした。その炎をめがけて飛来する弾道ミサイル。一瞬で繭を破壊、爆風が木々を砕き大地をえぐる。ダラニ・ダラが『壁』を作らなければ、3Jたちも巻き込まれて消し飛んでいただろう。


 赤々と燃える森に立ち上るキノコ雲。炎に照らされながら3Jは再びパンドラを呼んだ。


「ベル」

「はいはい」


 耳元に聞こえる、鈴を転がすような声。


「トルファンを呼び出せ」

「ちょっと待ってね……はい、つながった」


「3J? そっちは無事?」


 ジュピトルの声がする。


「問題はない。弾道ミサイルはまだあるのか」

「いまの攻撃で撃ち尽くした。あとは長距離巡航ミサイルがあるけど」


「ならばいい。攻撃の準備をしろ」

「でもイ=ルグ=ルが居ないよね」


 そう、炎の中にイ=ルグ=ルの姿はなかった。もし、あの木の繭の中にイ=ルグ=ルが居たなら、出力三十パーセントのビームでは貫通しなかったろう。弾道ミサイルの威力も黄金の帯で打ち消され、これほどの破壊には至らなかったはずだ。


「ヤツはいつどこに現れてもおかしくない。注意を怠るな」

「了解。そっちも気をつけて」


 ジュピトルはそう言うと通信を切った。3Jは空を見上げた。


 森が動いている。ウッドマン・ジャックの能力によって炎の下から持ち上がってきた無数の木々や草が、延焼を食い止めているのだ。そんな気配を暗闇に感じながら、3Jは心の中でつぶやいた。さて、困ったときの神頼みだ。


「ジャック、さらを呼び出せ」



 クリアはズマの右腕を傷口にくっつけた。獣人の回復力なら、それだけで元通りになるはずだ。だが、手を離すと右腕は落ちてしまう。もう一度しっかりくっつけるが、やはり腕は落ちる。


「それは無理だぞ」


 背後から聞こえた声に振り返れば、立っていたのはケレケレ。


「ヌ=ルマナに斬られたのであろう。ならば普通の傷のようには行かん。血が止まっているだけでも驚異的と言える」


 座り込む、というよりは、へたり込んでいたズマが力なく笑った。


「もういいよ、クリア。しゃあねえし」

「だけど」


「腕一本くらいなくったって、何とかなる。ドラクルだって一本腕だし、兄者なんてアレだぜ?」


 そうまで言われては、クリアも返す言葉がない。ズマの右腕を抱えて立ち上がった。その背後に音を立てず降り立つ巨大な影。ガルアムはズマの右腕を見て、すべてを察した。


「……戦士の傷は恥ではない」

「いや、恥とか思ってねえし」


「ならばいい」


 元気そうなズマに、ガルアムは微笑んだ。そして少し離れた場所に立つ、銀色のサイボーグに目をやる。


「ジンライは無事、でもないな」

「拙者の腕はまだ二本動く。潰れた二本も修理すれば治る。問題はない」


 淡々と答えるジンライに、ズマがからかうように声をかけた。


「修理する時間なんかねえぞ」

「イ=ルグ=ルを倒せば、時間など腐るほど出来る」


「それまで生き残れるのかよ」

「貴様よりは楽勝だ」


「うっせえ鉄クズ」

「黙れ子犬」


 喧嘩するほど仲がいいのか、いがみ合う二人。他の三人は呆れたように顔を見合わせた。



「現代は人類の生息域が限定されている」


 エリア・トルファンの朱雀塔にあるセキュリティセンター。ジュピトルの言葉に、ドラクルは首をかしげた。


「だから?」

「昔のように地球の隅々まで人間が暮らしている訳じゃない。つまり、イ=ルグ=ルが隠れる場所は沢山ある」


「まあ、確かにそうだね」

「問題は、イ=ルグ=ルにその気があるかどうか」


「その気って?」


 そうたずねたのはプロミス。ジュピトルはうなずく。


「逃げる気があるのか。隠れるつもりがあるのか」


 水色の髪のローラが口を挟む。


「イ=ルグ=ルは百年ずっと身を隠していたし、魔人との戦いで逃げ出した事もある。逃げる事も隠れる事も不自然じゃない」


「そう、まったく不自然じゃない。でも、だからって逃げて隠れる事を前提にしてはいけない。それは油断だ。そう思えるんだ。3Jが言ったように、どこに現れても不思議はない」


 ジュピトルは正面のモニターを見つめている。ドラクルは面白そうな顔をした。


「いまイ=ルグ=ルはリキキマのせいで一体化できずに居る。有利か不利かで言えば、明らかに不利な状況だ。君も3Jも、それでも逃げないと思うのかい?」

「だから逃げんのじゃろう」


 ムサシの声に、皆は振り返った。壁際に面倒臭そうな顔で寝転んでいる。


「攻撃は最大の防御じゃよ。戦いの基本と言える。それに手負いの獣が凶暴な事は、どこの世界でも共通じゃろう。ワシがイ=ルグ=ルなら、いまこそ攻勢に出るわな」

「だとしたら」


 ジュピトルはまたモニターを見つめてつぶやく。


「いったいどこから攻めてくるんだろう」



 世界中の各セキュリティ施設の中に、人々がなだれ込んだ。どの部屋にも鍵はかかっていない。武器の保管庫に辿り着くのに、それほど時間はかからなかった。


「あったぞ、銃だ」

「配れ! 配れ!」


「おい、あっちの部屋に爆弾とかロケット砲とかあるぞ」

「誰か、銃の使い方知ってるヤツいるか」


「これ見ろ!」


 武器庫内の端末に、銃器の取扱いマニュアルが映し出されていた。


「これなら……使えそうだ」


 そのとき、入り口の方向から悲鳴が響く。


「化け物が来た!」

「銃を持ってるヤツ、行くぞ!」


「や、やれるのか」

「やるしかないんだよ!」


 一糸乱れぬ、などとはお世辞にも決して言えない様子で、バラバラと、ドタドタと、人々は戦場に向かって行く。生き残るのだ。何としても生き残るのだ。そう心で叫びながら。



「居ない?」


 ウッドマン・ジャックの返答に、3Jは珍しく不満げな様子を見せた。だがそんな事を言われても、ジャックだって困る。


「さらはそう言っているのだね。イ=ルグ=ルはいま、この星の上には居ないと」


 3Jは考え込んだ。さらの勘違いではないのか、そう詰め寄られるのではと思っていたジャックだったが、その予想は外れた。3Jはダラニ・ダラへと向き直る。


「リキキマの反応を感じるか」

「それがわかりゃ苦労はしないよ」


 その返事はもっともだった。リキキマとイ=ルグ=ルは一緒に居るのだ。イ=ルグ=ルの居場所がわからないのなら、リキキマの居場所だってわかるはずがない。まして地球の上に居ないとなれば。


「ベル」


 3Jの耳元に、鈴を転がすような声が聞こえる。


「はーい」

「外を探せ」


「……はい? 外って?」

「地球の外だ」


「いやいやいや、それ範囲が広すぎて無理。いくら何でも無理だから。そもそもパンドラの探知範囲は地球の半球が」


 そのとき、3Jは弾かれたように空を見上げた。静謐な冬の星々が広がっている。しかし3Jの求める物は、まだそこにはない。


「そうか、月だ」

「へ?」


「ベル、月面を調べろ。いますぐ、全域だ」

「は、はいっ!」


「ダラニ・ダラ」


 3Jの目の中で、魔女は渋い顔をしている。


「無酸素状態で戦えるのは、アタシとリキキマだけだね」

「行ってくれ」


「簡単に言うんじゃないよ、まったくコイツだけは」


 ダラニ・ダラはそうボヤくと、一つため息をついた。


「まあ、仕方ないかね」

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