第124話 星空の下、森の上

 波立つように枝葉が揺れる。いかに密集しているとは言え、木々の天辺しか足場のない空間を、ガルアムの巨体は風の速度で飛ぶように駆けた。振りかざす黒い三叉の槍。


 黄金の神人が右腕を振るうと、森は一瞬で火の海に沈んだ。しかし吹き上がる炎を切り裂き、ガルアムは槍を神人に突き立てる。左の胸、人間なら心臓の位置。だがそこは急所ではなかった。神人の放つ防御無視のカウンターパンチが、ガルアムの顎にヒットする。


 跳ね飛ばされた獣王の体を、下から伸びてきた新たな木々が、グローブのようにキャッチした。それを足場に高く跳ぶガルアム。敵の頭頂部を狙う位置。その眼前に、突如広がる黄金の帯。きらめく粒子で出来たその帯状の塊は、ガルアムを飲み込まんと迫り来る。


 しかしガルアムの姿は消えた。ダラニ・ダラが空間圧縮で離れた位置に飛ばしたのだ。それを読んでいたかのように帯は追って来る。さらに飛ばす。ついさっきまでガルアムの居た場所は黄金の輝きに飲み込まれ、木も草も炎も土も消え去り、えぐり取られた。


 龍の如く空をうねる黄金の帯。触れる物はすべて無へと帰す。魔人の肉体といえど無事には済むまい。それでも無限に延長できるわけではないようで、ある程度の距離を取ると追って来なくなる。とは言え実際のところ、その間合いに踏み込まずには戦えないのだ。


「まったく、タチの悪いビックリ箱だ」


 腹立たしげにつぶやくガルアムに、黒い槍の姿のリキキマが言う。


「二手に別れるか」

「迂闊な戦力の分散は相手を楽にさせるだけだ」


「けど、間合いに入れないんじゃ仕方ねえだろ」


 そのとき、黄金の帯が激しく反応した。慌てたように神人の頭の上に渦を巻く。天空より振り下ろされる鉄槌。エリア・ヤマトの外から発射されたのであろう、数十発の弾道ミサイルが真上から襲いかかった。しかしミサイルは黄金の帯に触れた端から消えて行く。すべては瞬く間に塵と化した。


 だがその『瞬く間』は、ダラニ・ダラがガルアムを飛ばすのに十分な時間。神人の顎の下すぐ、ごく至近距離に表れた獣王は、黒い三叉の槍で敵の顔面の中央を貫いた。


 ピシリ。硬い音がした。


 亀裂が走る。顔に突き刺さった槍から上下に、一直線に、体の中心線を通って両断する形で。神人は左右半分に割れた。


 と同時に、黄金の帯がガルアムに襲いかかった。ダラニ・ダラの気付くのがもう一瞬遅ければ、その体は分子のレベルまでバラバラにされたに違いない。


 間合いの外に姿を現したガルアムに、神人の右半身が迫った。もちろん黄金の帯を連れて。


「また二分割かよクソ野郎!」


 そんなリキキマの悪罵に相手が怯むはずもなく、ガルアムたちは全速力で後退するしかなかった。


 やがてその場に残された神人の左半身は、音もなく姿を消した。



 ヌ=ルマナは見た。自分の右腕が、銀色のサイボーグに斬り飛ばされるのを。その次には、返す刀で首がはねられるであろう事まで見通した。けれど、そうはならなかった。サイボーグの向こう側に突如出現した黄金の神人の左半身が、腕を振るったからだ。


 神人の左拳を、サイボーグは背中で受けた。跳ね飛ばされ、落下し、土煙を上げてバウンドしながら転がる。


「イ=ルグ=ル!」


 歓喜の表情で迎えるヌ=ルマナに、神人は左手を伸ばした。そこに。


 瓦礫の中から飛び出し、襲いかかり噛み付いたのは、右腕を失った小さな獣人。だが巨大な手は地面に叩き付けられる。めり込み埋まる獣人の体。もはや抗う者も居なくなった星空の下、黄金の神人はヌ=ルマナをそっとつかんだ。


「良かった、ようやくこれで」


 微笑んだ『宇宙の目』は、次に見開かれ、血の涙を流す事になる。


「ぐおああああぁっ!」


 神人の左手は、ギリギリとヌ=ルマナを握り潰した。潰しながら同化して行く。あたかも深い泥沼に沈み飲み込まれるかのように、ヌ=ルマナの姿は拳の中に消え去った。


 そして、黄金の神人の顔に、真っ赤な目が生まれた。


 その目が足下を見る。


「……んの……ヤロ」


 獣人が立ち上がろうとしていた。


 神人の目が横に動く。


「……貴様は、動くな」


 サイボーグが先に立ち上がった。四本の腕のうち、二本がダラリと垂れ下がっている。


「うっせえよ、ポンコツ」


 ボロボロの姿で獣人は笑った。


「その格好でよく言う」


 サイボーグも笑った。


 神人は静かに、しかし怒りを込めて絶望の左手を振り上げた。


 そのとき。


「深淵の風!」


 鋭い声とともに、世界が凍り付いた。けれどそこに神人は居ない。一瞬で上空高くに転移したイ=ルグ=ルは、さらに転移し、姿を消した。


 クリアは当惑した顔で後ろを振り返る。闇の中から聞こえるのは、感情のこもらぬ、抑揚のない声。


「構わん」


 3Jは淡々と言い切った。


「どうせ戻ってくる事になる」



「弾道ミサイルの第二弾、発射準備」


 ジュピトル・ジュピトリスの声が響く、エリア・アマゾンのセキュリティセンター。正面のメインモニターには、衛星からの映像。ガルアムを追う黄金の神人の右半身が映っている。周囲の小型モニターには各エリアの行政府が映し出されているはずなのだが、人の姿はない。皆すでに避難済みなのだ。


 事前の取り決めによって、声紋認証で、すなわちジュピトルの声ですべてのエリアの攻撃システムが作動するため、行政府や軍に人間が居なくてもミサイルは撃てる。ただしシステムは先読みをしない。指示通りに動き、指示がなければ動かない。指示なしに動くシステムなど危険過ぎるのだから当たり前だが、さすがになめらかな連携とは行かなかった。


 各エリアから次々届く、準備完了のサイン。


「全エリア、発射準備完了です」


 ナーガの声にジュピトルはうなずいた。


「照準を固定。自動追尾開始」

「全エリア、照準セット完了です」


 後は「発射」と言えばいいだけ。ジュピトルが小さく息を吸い込んだとき、メインモニターの前の広い空間が、一瞬で黄金の輝きに埋め尽くされた。窮屈そうに膝を折り、首を曲げた黄金の神人の左半身。赤い目がジュピトルをにらみつけ、巨大な手が伸びる。


 その身を貫く黄色い閃光。首の付け根から入って膝へと抜けた。


 ドラクルとプロミスは、ジュピトルたちを連れてテレポート。残されたイ=ルグ=ルは目を見開いた。『宇宙の目』には見えた。上空遙か四百キロを飛ぶ、巨大な白い直方体が。


 馬鹿な、何故。いつの間に。


 混乱するイ=ルグ=ルの頭部を、最大出力のビーム砲撃が襲う。



 エリア・アマゾンの中心に立つ象徴、『賢者の像』は、高熱と衝撃によって、ゆっくりと崩壊して行く。それを遠くから一人で見つめる少年の影。カルロは無言で背中を向けた。



「ダラニ・ダラ、パンドラを戻せ」


 3Jの言葉に、ダラニ・ダラは文句を返す。


「簡単に言うんじゃないよ。あんなデカブツ、どんだけ体力使うと」

「リキキマにこう伝えろ」


「話を聞け、話を!」


 しかし3Jはまるで意に介さずに、こう続けた。


くさびを打ち込め」



 星空の下、森の上。後退するガルアムを追う神人の右半身が、不意に止まった。黄金の帯が頭上に展開し、回転する。と同時に、天空より降り注ぐ弾道ミサイルの雨。金色に輝く傘でそれを防ぐ右半身の隣に、ボロボロに破壊された左半身が姿を現わした。二つの半身は呼応し共鳴する。いま再び一つにならんと。


 だが寄り添う影は重ならなかった。両半身の接合部に、高速で飛来した無数の黒い楔が打ち込まれたからだ。無論、その正体はリキキマである。そして神人の左右の半身に挟まれながら、楔は周囲を同化し始めた。黄金の体が黒く染まり行く。


 イ=ルグ=ルも黙っては居ない。同化し返し、楔を抜き取ろうと抗う。しかしそれは意識がそこに向く事を意味する。黄金の帯は動きを止めた。その隙間を縫って、一発の弾道ミサイルが神人の頭に着弾した。


 轟音に巨体が揺らめき、中心線の黒い領域が拡大する。足下の森から跳び上がった影は、ガルアム。手刀で神人の左足首を狙った。



「間違いないのかね」


 そう言うウッドマン・ジャックに、3Jは視線を返した。


「断言など出来ん。だがヤツは左半身をここから遠ざけようとした。その左半身には頭から膝まで穴を開けた。ならばもう足首しか残っていない。消去法だ」


 しかしそこは世界政府での戦いにおいて、フェイクに使われた場所。それをあり得ない、また騙されているのではないかと考えない3Jに、ジャックは舌を巻いた。


「パンドラをアマゾンに移動しておいたのは、こうなる事を予測していたのだろうか」


 3Jは視線を星空に向ける。


「可能性ならいつも考えている」



「いつ気付いた」


 エリア・トルファンの南の門塔、朱雀塔のセキュリティセンターで、ドラクルはたずねた。ジュピトルは少し困ったような顔で微笑む。


「僕が囮にされた事を?」


 ドラクルがうなずいた。ローラも、プロミスも、ムサシとナーガにナーギニーも、思わず振り返る。


「アマゾンに連れて行かれた時点で理解したよ。そういう意図がないのなら、自分のところに呼び寄せるだろう。3Jの近くに居るのが一番安全だしね。それをあえてエリア・ヤマトから一番遠い、地球の裏側に僕を置いたのだから、それなりの理由があるはずだ」


 ジュピトルの言葉に、ドラクルは呆れたような顔をした。


「腹を立てないのか」

「正直、ちょっとムッとするかな。だけど3Jは君たちを寄越してくれた。それは最大限の善意だと思ってる」


「わかっていたから、ボクらを引き留めたのか」

「そうだね。黙っていたのは悪かったよ。だけどイ=ルグ=ルが相手だから、万全の上に万全を期すしかない」


 ドラクルはため息をつく。


「結局、君も3Jと同じ側の人間な訳だ」

「だと嬉しいんだけどね」


 そう笑ってジュピトルは正面に顔を向けた。


「弾道ミサイル第三弾、発射準備」


 それをプロミスは、眩しそうに見つめていた。

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