第116話 結界
数十人の水色の髪の少女に取り囲まれながら、宙に浮かぶ三枚の円盤が、互いを追いかけるように回転している。それこそがイ=ルグ=ルの本当の姿だと3Jは言った。ウッドマン・ジャックが焦った口調で問い質す。
「ど、どういう事なのだね。思念結晶はイ=ルグ=ルが作った物のはずなのだけれど」
「さあな」
3Jは興味なさそうに答えた。
「卵が先かニワトリが先かは知らん。だがイ=ルグ=ルは思念結晶を作り、同時に思念結晶がイ=ルグ=ルを形作っている。そういうものならば仕方あるまい」
「仕方ないって、それでいいのか」
そうたずねたのはドラクル。彼もまた納得の行かない顔をしている。
「俺は学者ではないのでな。正しい解答に興味はない」
3Jは感情のこもらぬ、抑揚のない声で言った。
そこに声がした。しかし耳には聞こえない。頭の中に直接届く、低い声。それは恐怖を呼び起こすほどに。
「深淵をのぞかんとする人の子よ。罪深く愚かな子供よ」
心拍数が上がる。喉が渇き、額に汗が滴る。誰もが恐怖に叫び出したくなる自分を必死で抑えている中、3Jは杖で床を叩くと、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「良かろう。問うならば答えてやる」
頭の中に声が響く。
「不遜なる者よ。そなたは何を知る。何を理解する」
「何も知ってなどいない。何も理解などしていないし、する気もない。ただおまえの力が思念結晶を回転させ、回転する思念結晶の生み出す力場の中に、おまえの思念が存在するのだろうと推測しているだけだ」
イ=ルグ=ルはしばし沈黙した。図星だったのだろうか。そしてこう言う。
「……我が力は、そなたたちの精神に手をかけている。握り潰すは
「ならば何故そうしない。まさか余裕のつもりか」
「神として、慈悲を与えてやっても良い」
「それは寛大だな。無能極まる寛大さだが」
「何故そうまでして死にたがる」
「それは質問か。答えて欲しいか、間抜けが」
その瞬間、周囲を包む暗黒。光も影も何も見えず、己の呼吸音すら聞こえない無の世界。上も下もわからない闇の中、どれほどの時間漂っていたのだろう。何日か、いや何年かも知れない。気の遠くなるような孤独の果てに、はるか遠くに見えてきた光。
黄金の輝きから、頭の中に声が届く。
――すべては終わった
――ジュピトル・ジュピトリスは死に、人類は滅び去った
――愚かな選択が、惑星を一つ滅ぼした
――大いなる宇宙意思への反抗など、無意味だというのに
――そなたは罪を償わねばならない
――あらゆる罪を背負い、永劫の闇に閉ざされた時間を一人行くのだ
――もはやそなたに付き従う者も、手を差し伸べる者もない
――無限の孤独と恐怖の中で、己の朽ち果てる様を見つめるがいい
光は消えた。
それからまたどれだけ時間が経ったろう。いつしか手足の指先の感覚がなくなってしまった。その領域は徐々に広がる。いずれ心臓に達するに違いない。そうなれば、そう、そのときにやっと、この無間の絶望から、すべての罪から解放されるのだ!
「それで」
3Jは口を開いた。
「これは何のアトラクションだ」
消え失せる暗黒。そこは暗闇の世界でも何でもない、世界政府の大統領執務室。3Jは左側のジュピトルに目をやった。
「何秒だ」
「五秒」
間髪入れずに返答がある。3Jは舌打ちをした。
「長いな」
その目の前では三枚の思念結晶が回転し、脳の内側に声を響かせる。
「何故だ。そなたの心には恐怖がないのか」
「恐怖はある。おまえでは理解出来ないだけだ」
「どうして理解出来ない」
「暗闇しか見た事のないおまえに、光が作る影の意味などわかってたまるか」
イ=ルグ=ルの声は、何かに怯えるかのように震えた。
「人の子よ。そなたはいったい何を知っている」
「おまえの事など知る気はない」
明確な拒絶。まるで託宣を下すかの如き。
何かが弾けた。いや、違う。それは叫び。イ=ルグ=ルの、悲鳴にも似た絶叫だった。室内に満ちる黒い思念波。頭の中に溢れる狂気。しかし3Jの正気は揺るがない。
「ガルアム」
刹那、すべてを浄化する強大な白い思念波が、あらゆる闇を押し流す。三枚の思念結晶は、回転速度を上げて
確かにそう考えた。けれど。
3Jは沈黙した。
己の頭の中の思考が、いったいどこまで自分の物なのか。3Jはジュピトルを横目で見た。当惑している。沈黙している3Jに戸惑った顔を向けていた。そうだ、鏡だ。もし自分がジュピトルの立場なら、こんな顔をしたかも知れない。
白い思念波が埋め尽くす空間。圧倒的に有利な状況。もはや勝利は目前に見える。だが。
自分ならどうする。
圧倒的に不利な状況に追い詰められたとき、自分なら、ただ叫び声を上げて絶望に震えるのか。いいや、そんなはずはない。
「ダラニ・ダラ」
3Jは静かに決断した。
「全員を撤退させろ」
「撤退だぁ?」
ダラニ・ダラは愕然とする。
「何考えてるんだ、ここまでイ=ルグ=ルを追い詰めたんだよ、気でも狂ったのかい」
他の中庭の魔人たちも、これには仰天した。
「野郎、どういうつもりだ」
リキキマは怒り心頭だ。思念波を送り続けるガルアムには、困惑の表情が浮かぶ。
「どうする。撤退するのか」
「兄者がそう言ってるんだ。他に方法はない」
ズマは平然と言った。ジンライもうなずく。
「賛成だ」
「おめーらイエスマンじゃ話になんねえんだよ!」
不満げにリキキマが怒鳴った、そのとき。
天が
「なんじゃ」
振り仰いだムサシの目に映ったのは、夜空に浮かぶ、赤黒い光を放つ正五角形。その周囲に、赤い縁取りの六角形が並んだかと思うと、あっという間に空は五角形と六角形によって、ドーム状に覆われた。
「これは……やられたかも知れんぞ」
ケレケレが呆気に取られた顔でそう言った。
「ジュピトル様!」
窓の外を見て、ナーギニーが叫ぶ。ジュピトルは三枚の思念結晶を見つめた。
「空間を閉鎖したのか」
「否」
イ=ルグ=ルの低い声が脳内に響く。
「結界によって空間を切り離した。もはや魔人の力をもってしても出る事は叶わぬ」
3Jはつぶやいた。
「ベル」
しかしパンドラからの返答はない。
「無駄だ。あの機械も手出しは出来ない」
イ=ルグ=ルの声は嗤う。3Jはウッドマン・ジャックを見た。口に出さなくともわかる。さらと連絡がつくかと言いたいのだ。ジャックは首を振った。
「イ=ルグ=ルは無敵である。イ=ルグ=ルは無欠であり、無謬であり、無限である。必要な量の人間の血はすでに手に入れた。敗北などあり得ないのだ」
頭の中に響く声がどんどん大きくなる。
「最初から、これが狙いか」
平然と問う3Jに、イ=ルグ=ルは応えた。
「面白い。デルファイの3J、そなたは本当に面白い。その一つ目に何が見えているのか、興味は止まない。だが、そなたは余りにも神を冒涜し過ぎた。残念だ。本当に残念だ」
「しつこいようだが言っておく」
3Jも応えた。
「おまえはすでに神ではない」
「哀れよな」
三枚の思念結晶が黄金に輝いた。光の圧力が天井を突き破り、壁を打ち砕く。やがてそれは形を結ぶ。人に似た姿に。巨大な黄金の神人として。
魔人たちは見上げた。三階建ての世界政府庁舎の高さを超えて中庭を見下ろす神人の身長は、ガルアムの二倍ほどある。ならば二十メートル前後か。過去に現れた神人と比較しても特大であった。
リキキマは瞬時に大きな斧に姿を変えた。
「ガルアム、使え!」
その柄を握ると、ガルアムは跳んだ。庁舎の屋上に音もなく降り立ったものの、黄金の神人の出現によりボロボロに亀裂の入った屋上は、獣王の体重を支えられない。崩れ行く足下に、けれど視線は逸らさなかった。
神人は顔を向けた。目と口はないが、鼻と耳はある。唸りと共に片腕を振り上げた首筋に向かって、ガルアムはまた跳んだ。
振り下ろされる腕をかわして、黄金の神人の
「またキリがないヤツじゃねえか」
斧からリキキマの声がした。
「単純な体力勝負では負けるぞ。どうする」
ガルアムの視線は下へ向かった。明かりもすべて消えた、世界政府庁舎の残骸の前に立つ一本足の人影。マントを
「何が見える」
一呼吸置いてローラが答える。
「神人の左足首辺りで空間が折り畳まれている」
「ダラニ・ダラ」
「聞こえてるよ!」
垂直な壁面にへばりつくように、八本の脚が広がっている。魔女ダラニ・ダラは素早く両手で印を結ぶと、ガルアムに叫んだ。
「こっちは何とかする。構わないからぶった切りな!」
獣王の体は地面と平行に、滑るように跳ぶ。右手の斧が、黄金の光を反射していた。
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