第115話 本当の姿
「さて、どうしたもんかね」
世界政府庁舎の中庭で、ダラニ・ダラは壁を見つめて腕を組む。その壁の向こう、幾つもの部屋を越えた先にある大統領執務室に、イ=ルグ=ルの気配があった。
胡座をかいて座り込んだガルアムが問う。
「ジャックは何と言っている」
「いまのイ=ルグ=ルに、アタシらと戦う力は残ってないそうだ」
ダラニ・ダラの答に、ケレケレがうなずく。
「確かに、感じる気配は弱々しい」
「しかし、弱々しくともイ=ルグ=ルじゃろうて」
そう言うムサシに、ダラニ・ダラはうなずいた。
「それなんだよ。何を隠してるかわからないからね」
「飛び込んで捕まえちまえばいい」
と、ズマ。ケレケレは微笑む。
「誰が死んでも大勢に影響はない、というのなら、それが一番簡単だが」
「影響に関して言えば、これ以上はない人質じゃからのう」
ムサシも困った顔をした。ダラニ・ダラは一つ、深いため息をつく。
「究極の選択ってヤツさ。イ=ルグ=ルを倒すか、人質を助けるか」
「どっちも、は無理なのか」
焦れるズマに、魔女は首を振った。
「相手が相手だからね。高望みなんてするもんじゃないよ」
口元に手を当て、ムサシは考え込んでいる。
「もし人質を助ける事を優先するなら、どうする」
「空間の閉鎖を解けばいい」
ダラニ・ダラは自嘲的に笑う。
「そうすりゃイ=ルグ=ルは、大手を振って脱出するだろうからね」
「じゃあ、イ=ルグ=ルを殺すなら、どうするんだ」
ズマがたずねた。
「そのときも空間の閉鎖を解くのさ。そして『外』に居るリキキマとジンライを送り込む」
今度は楽しげに笑った。どちらを望んでいるのかは明白である。
「一手間かかる、か」
ガルアムが静かにつぶやく。
「手間がかかれば時間もかかり、成功率も低くなる」
「じゃが、ここでみすみす逃がして良いものか。チャンスがまた来るとは限らんぞ」
ムサシは強攻策を主張したいらしい。これにケレケレが首をかしげた。
「確実に成功するなら犠牲を出しても決行すべきだが、失敗したときに立ち直れないのであれば、リスクが大きすぎるのではないか」
「戦いには勝つか負けるかしかない。リスクヘッジを目的にしてどうする」
ムサシは激しく言い、
「それはある意味理想論だ。現実はそんなシンプルではないだろう」
ケレケレは静かに反論した。
ダラニ・ダラは、やれやれといった顔でこう言った。
「どうする。多数決でも取るかい」
「だったら、一ついいかな」
その声に皆が振り返ると、立っていたのは夜の王、隣には水色の髪の少女。
「アイデアがあるんだけど」
さて、どうしたものか。ウッドマン・ジャックは考えた。現在のイ=ルグ=ルは、おそらくこれまででもっとも弱い。倒すなら間違いなく今である。倒す方法も考えてある。だが3Jが沈黙している。打つ手がないはずはない。なのに、何故。
一本足を投げ出すように椅子に座っている3Jは、何かを考えているように見える。いや、実際考えているのだろう。だが、ここで質問する訳にも行かない。それはイ=ルグ=ルに手の内を明かす事になるのだから。さすがにそこまで間抜けではない、ジャックはそう心の中で思った。
ジェイソン大統領の肉体に宿ったイ=ルグ=ルを倒すのは難しくない。その体内にはカビの胞子が存在するはずだ。それを無限に増殖させれば、肉体は滅ぶ。溶けてなくなる……ん、待てよ。肉体を失ったイ=ルグ=ルはどうするのだろう。
考えられるのは、他の誰かの肉体に憑依するという可能性だ。いったい誰に。
そこまで考えて、ジャックは戦慄した。そうか、イ=ルグ=ルの肉体を迂闊に滅ぼせば、イ=ルグ=ルが3J、もしくはジュピトル・ジュピトリスに憑依するかも知れない。なるほど、それを危惧すればこその沈黙か。
憑依のメカニズムはよくわからないが、魔人である自分や、強力な思念波動を使える双子と比較すれば、3Jとジュピトルは無防備だ。防ぐ手段がない。そこまで考えていたのか、とジャックは改めて感心した。だが。
ここで一つ、新たな疑問が生じる。3Jかジュピトルに憑依出来るのなら、何故イ=ルグ=ルはいますぐそうしないのか。何かを待っているのだろうか。果たして何を。
「手詰まりかな」
挑発するように、イ=ルグ=ルは嗤う。
「そう思うか」
感情のこもらぬ、抑揚のない声で3Jはつぶやいた。
「思っていたらどうする」
イ=ルグ=ルのその言葉に、3Jはとんでもない返事をした。
「おまえにチャンスをやろう」
ジャックが、ジュピトルが、ナーガとナーギニーの双子が、そしてイ=ルグ=ルが目をみはった。3Jは淡々と続ける。
「先手を取らせてやる。俺はそれを受ける。どうだ、悪くない提案のはずだ」
「……貴様」
「どうせおまえにも碌な手はないのだろう。だったら先手必勝に賭けてみてはどうだ」
「貴様ぁっ!」
ジェイソン・クロンダイクの目が血走り、顔面が紅潮する。
「誰に口を向けていると思っているのか! ひれ伏せ! ウジ虫の如き人間が!」
「そのウジ虫を喰らう化け物に、敬意など持ってやる理由はない」
イ=ルグ=ルは激昂している。いまにも飛びかかって来そうな顔で3Jをにらみつけるが、実際には動かない。動けないのか。やはり何かを待っているのではないか。ジャックがそう思ったとき。
閉ざされていた門が、開かれた。
開放感の意味を、ジャックはすぐさま理解した。ダラニ・ダラの空間閉鎖が解かれたのだ。まずいぞ、外の連中が攻め込むよりイ=ルグ=ルが逃げる方が早い。そう考えたのだが、イ=ルグ=ルは逃げなかった。それどころか、背中から光が差し始める。
その光の中、浮かび上がる三つの影。回転する三枚の半透明の円盤。イ=ルグ=ルの思念結晶。
イ=ルグ=ルがニイッと歯を見せて嗤う。
「さて、初撃はこちらで良かったかな」
「何だ」
3Jは椅子から動かない。
「まだ何もしていなかったのか」
「ほざくな小僧!」
怒りの形相で両手を3Jに向ける。ジャックが慌てて間に入ろうとした。
そのとき。
イ=ルグ=ルは知っていた。ダラニ・ダラが空間閉鎖を解けば、テレポートも空間圧縮も使える。魔人共はこの部屋に飛び込んで来るだろう。だがそれを無視すればどうなる。こんな肉体など失われても構わない。痛くも痒くもないのだ。魔人の一人や二人、知った事ではない。自分は目の前の不快な人間を抹殺する事に集中すれば良い。
そう、それがイ=ルグ=ルの目的。人類の戦線において、魔人は言うなれば背骨、そして頭脳がここに居る二人。いかに背骨が頑強でも、頭を潰せば役には立たない。それは司令官を失う事であり、同時に精神的支柱を失う事でもある。力尽くで背骨を折ろうとするよりも、心を折る方が確実と言える。
じっくりと手間をかけて時間をかけて、愚かな魔人共の見ている前で、希望を叩き潰し踏みにじる。イ=ルグ=ルは自らの立てたその計画に酔っていた。だからこそ。
背後に気配を感じた瞬間、あえてそれを無視した。『宇宙の耳』にはすべてが聞こえる。どうやら何者かがテレポートして来るようだ。思った通り、魔人の一人や二人など……いや、待て。『宇宙の耳』にはすべてが聞こえる。そのはずだ。気配の数が多い。五、いや十、いいや二十を超える。どういう事だ。
イ=ルグ=ルが思わず振り返ったとき、目に映ったのは水色の髪の少女たち。数十人の同じ顔の少女が、周囲を取り囲んでいた。幻影か。しかし『宇宙の耳』にはすべてが聞こえる。少女たちの全員に実体がある事も。
そちらに気を取られていたがために、テレポートの気配が一つ増えた事になど注意が払えない。そこに居たのは片腕の男。ワイシャツにスラックス姿の、吐く息が白い。その右腕が自分の方に伸ばされて初めて、イ=ルグ=ルは気付いた。
ドラクルはイ=ルグ=ルに、すなわちジェイソン・クロンダイクの肉体に一瞬触れた。それだけで十分。ジェイソンの体は中庭の魔人たちの元へと飛ばされた。
中庭上空に現れたジェイソンの肉体を、ジンライが一瞬で細切れにした。肉片は、ダラニ・ダラが開いた丸い空間の中に落ちる。空間の向こうには赤い光。太陽の輝き。
「燃えちまいな!」
空間は一瞬で閉じた。すべては終わった、かに見えた。けれど。
「いまのは抜け殻だ」
無念そうに、ケレケレがそうつぶやいた。
三枚の思念結晶が、互いを追いかけるように音もなく回転している。持ち主はもう居ないはずなのに動きを止めない。
「撃て」
3Jが放った言葉に反応したのは、上空四百キロの宇宙空間に浮かぶパンドラ。天上界からの赤いビームが、思念結晶を一枚砕く。だがその瞬間、半透明の円盤は何事もなかったかの如く元通りになり、回転した。
「すべて撃て」
三条のビームが、三枚の思念結晶を、ほぼ同時に打ち砕いた。そしてほぼ同時に、三枚の円盤は復元される。
「ジャック、ドラクル、一枚ずつ奪え」
ウッドマン・ジャックと夜の王は、慌てて回転する思念結晶に手を伸ばした。しかし、まるで意思を持つかのように、ひらりひらりと身をかわす。
「やはりな」
3Jは言った。
「それがイ=ルグ=ルの本当の姿か」
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