第117話 白い綿毛

 世界政府庁舎が崩れ落ちる寸前、ジュピトル・ジュピトリスたちはダラニ・ダラの空間圧縮によって建物の外に運ばれた。


「なるほど、切り取られた空間の内側では転移も可能な訳だ」


 ドラクルは感心したような口ぶりだった。


 見上げる夜空に浮かぶ黄金の巨大な人型。その輝きに照らし出された獣王ガルアムが、斧を手に斬りかかる。しかしガルアムの怪力をもってしても、黄金の神人の首は飛ばせない。いや、そもそも首を斬り落として何とかなる保証などどこにもないのだ。


 イ=ルグ=ルから跳び離れたガルアムは、眼前に降り立つ。そのときまでジュピトルは気付かなかった。3Jは彼らから離れ、獣王の足下に立っている。そして背後を振り返り、問うた。


「何が見える」


 水色の髪の少女が答えた。


「神人の左足首辺りで空間が折り畳まれている」


 そういう事か、とジュピトルは思った。黄金の神人は人型であるが故に、どうしても頭部や胸に急所があると考えてしまいがちだ。けれど、それは違う。おそらくは左足首の、空間が折り畳まれている向こう側に、あの三枚の思念結晶があるに違いない。


 3Jがダラニ・ダラを呼んだ。


「聞こえてるよ!」


 世界政府庁舎の、まだ崩れ落ちていない壁面に、ダラニ・ダラが取り付いている。だがこの空間を操る魔人の目にさえ、思念結晶の位置は見抜けなかったのだ。いけない、少女が狙われる。ジュピトルが声を上げようとしたとき。


「こっちは何とかする。構わないからぶった切りな!」


 ダラニ・ダラが叫び、ガルアムが水平に飛んだ。黄金の神人が振り返る。その顔に目は存在しない。なのに視線を感じた。悪意に満ちた視線を。



 ガルアムが斧を真横に振るう。神人の左足首に命中した、と思った瞬間、斧の軌道は急角度で曲げられ、地面に突き刺さる。蹴り飛ばそうとした神人の右足をかわし、ガルアムは後退した。


「ダラニ・ダラ!」

「吠えるんじゃないよ。結構難しいんだ、もうちょっとお待ち」


 そう言いながら、ダラニ・ダラは何種類もの印を、素早く両手で結んで行く。だが黄金の神人は、そんな事など気にもならない風に、世界政府庁舎の残骸から太く長い鉄骨を抜き出すと、ガルアムに向かって大上段から振り下ろした。


 獣王はそれを斧で受けた。両足が地面に沈み込む。かわせないスピードではなかったが、足下には3Jがいるのだ。


 しかし当の3Jは、礼を言うでもなく、それどころか前に進んでいた。黄金の神人に向かって。


「ズマ」

「あいよ」


 3Jのつぶやきに、いつの間に隣に現れたのか、ズマが応える。


「ジンライ」

「うむ」


 ズマの反対側には、銀色のサイボーグ。もう黒い鎧はまとっていない。


 二人に目を向けることもなく、3Jは進む。


「おまえたちの命、使うぞ」


 感情のこもらぬ、抑揚のない声に、並んで歩くズマは笑った。


「何をいまさら」

「これまでと何も変わらん」


 ジンライも平然と応える。


「確かにそうだな」


 微笑みもせず、3Jは神人を見上げた。


「ジンライ、耳を落とせ」

「承知」


 その二つ名の通り、疾風の如くジンライは飛んだ。それを確認もせずに3Jは続ける。


「ズマ、右の足首を砕け」

「了解」


 左の足首でなくていいのか、などとは言わない。ズマは真っ直ぐ神人の右足に向かって走った。


 頭上を大きな影が通過する。ガルアムがリキキマの斧を手に、黄金の神人の左足首へと跳ぶのを見ながら、3Jは考えた。


 さて、次だ。



 冷静だ。ウラノスの死に関して、もう少し感傷的になるかとも思ったのだが、至って冷静だった。そんな自分は冷酷なのか。かも知れない。しかしいまは冷酷で良しとしよう。動揺しないのは有り難い。なすべき事がここにあるのだから。


 ジンライは一瞬脳裏によぎったそんな言葉を、すぐに意識の外に押しやった。目標は、黄金の神人の耳は目の前だ。超振動カッターを手にした四本の腕を構える。


 そのとき、神人の顔面が泡立ちざわめいた。そこから生えてきたのは、手。無数の人間の手が現れ、ジンライに向かって伸びた。まるで雲海を突き抜ける竜の如き勢いで。


 四つの超振動カッターは、迷いも見せずに斬り落とす。怒濤のように押し寄せ、つかみかかる手を細切れの肉片へと変えながら、ジンライは神人の耳を目指した。飛行速度は落ちたが、止まらない。止まれない。



「止まるな」


 あのとき、少年は言った。


「止まらなければ、おまえの勝ちだ」


 ターバンにマントを纏った、一本足の少年。布で隠されたその顔は、左目だけしか見えなかったけれど、よく知る誰かの面影がある気がした。


 戦った相手は誰だったか。名前を聞いたような気もするが、忘れてしまった。そもそも戦った理由もすでに忘却の彼方だ。ただ厄介な相手だった事は覚えている。


 デカい強化人間だった。しかも獣人の因子を埋め込んでいるらしく、化け物じみた治癒力を持っていた。故に斬っても死なない。さらに両腕は機械化されて、破壊力はまるで重機。よくあんなのと戦う気になったものだと、いまさらながら思う。


 若かった、と言うほど昔の話ではない。ただ行き詰まってはいた。剣の道に生きると決めたものの、その道も一様ではなかった。どの方向に進むべきなのか、何のために誰とどう戦えばいいのか、迷う中での出会いだった。


「世界は総じて単純だ。斬って死なない相手なら、死ぬまで斬ればいいだけの事」


 簡単に言ってくれる。そう思いはしたが、不思議と反発は感じなかった。いま自分の前には他の道がない。彼の言葉だけが、たった一本残された道なのだ。一度は捨てた命、何を恐れる必要もない。


 ああ、そうだ。思い出した。あそこで初めて超振動カッターを折ったのだった。死に物狂いの一点突破で、相手の首を斬り落とした。脊髄を守るための金属製プロテクターが邪魔をしたものの、超振動カッターを一本ダメにしただけでなんとか切断できた。あの瞬間、何かを体得したような気がする。


「拙者の名はジンライ。二つ名は『疾風』」


 そう名乗りはした。しかし、あのときはまだ自分がどうすべきか決断出来ていなかった。それを見抜かれていたのだろうか、3Jは返事もせずに去ってしまった。もしあそこで返事があったなら、この身はいまここになかったかも知れない。



 ズマの回し蹴りが、神人の右足首に叩き込まれる。左足首にはガルアムがリキキマの斧を振るうが、やはり軌道が曲げられ地面に突き刺さった。右足はガルアムを踏み潰そうと持ち上がるものの、その足首にはズマの攻撃が加えられ、バランスが崩される。


 無論パワー的に見れば、ズマの攻撃はガルアムほどの影響を与えない。だが人間の足にハチが一匹まとわりついていると考えればわかる。小さいからといって無視はできないのだ。


 ズマはクルクルとコマのように回転しながら跳ね回り、回し蹴りを連発する。右足首をめがけて。3Jの狙いは理解していない。する必要もない。これをやれと言われた、ならば命をかけて実行する。自分と3Jの関係はそれでいいのだ。そう考えていた。


 それでは意思のない人形ではないか、あるいは奴隷のようではないか、そう言った者もいた。だが、それならそれで構わないのだ。3Jの言う事を守るために死ぬ、そんな生き方を自分で選んだのだから。それは誰でもない、自分自身の選択だ。それこそが自分の意思だ。誰にも文句など言わせない。



 ダラニ・ダラの目が見開かれた。パンと音を立てて両手を合わせる。


「解けたよ! やっちまいな!」


 ガルアムが吠え、リキキマの斧を振りかざす。神人は両手につかんだ鉄骨をガルアムに振るった。だが今度は受けない。身軽にそれをかわすと、獣王は神人の懐に飛び込んだ。左足首を狙って斧が走る。



 何回目、いや何十回目かの回し蹴りが、神人の右足首に命中した。その音が変わった。ズマの目に映ったのは、黄金の神人の右足首、違う、左右の両足首を覆う岩石の装甲だった。あの石のさなぎを思わせる。



 蛹の如き岩石の装甲は、ガルアムの攻撃をも跳ね返した。確かに折り畳まれた空間はなくなったのだろう、斧は当たるようになった。だが表面を削るだけだ。


 そこに神人の持つ鉄骨が振り下ろされる。これはかわすにかわせず、ガルアムは斧で受け止めた。足が地面に沈み、膝と背中が悲鳴を上げる。そのとき後ろから聞こえた声。


「しばらくそのままで居ろ」

「3Jか?」


 おそらくは間違いないが、振り返る余裕はない。そのままとはどういう意味だ。この状態をずっと維持しろと言うのか、悠長な。とは言え跳ね返そうにも、神人の強大な力はグイグイと押し込んでくる。自分が引けば潰されてしまうだろう。つまり相手が引かねば、このままで居るしかないのが正直なところだ。ガルアムは歯を食いしばった。



「ジャック」


 3Jは世界庁舎の残骸を見上げた。


「準備はできたか」

「ぬほほほほっ、準備は完了なのだね」


 屋上に立つのはウッドマン・ジャックの影。だが、いつもとは様子が違う。全身が白いフワフワとした柔らかそうな物に覆われていた。雪の十字架のように両腕を大きく広げる。


「飛散」


 その瞬間、全身から白いフワフワが浮き上がった。そして宙を漂い、音もなく黄金の神人の体にまとわりつく。それは綿毛。まるで磁石に引き寄せられる砂鉄の如く、次々に神人に『着地』する。


「これはデルファイアワダチソウの種。まあ特に目立つ能力はない雑草なのだけれど」


 ジャックはパイプを一口ふかした。


「根を張る力が異様に強いのだね」

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