第102話 赤い蛇

 首のないケレケレの胴体を起こし、転がっていた頭部をその上に乗せた。ズマがポンポンと頭を叩くと、閉じていた目が開く。


「お、生き返った」


 面白そうに言うズマに、ケレケレはしゃがれた声で返す。


「神の化身は首を落とされたくらいでは死なん」


「まだ首がくっついてないんじゃない? 大丈夫?」


 のぞき込むプロミスに、ケレケレはうなずいた。


「別に痛む訳でもない。しかし、それにしても」


 ぎこちなく頭を回すと、周囲を見てつぶやいた。


「凄まじいな」


 ケレケレたちの周りには、小さな黄金の神人が群れをなしていた。さらにその周りには、黒いイトミミズを全身に湧かせた人食いたちがいる。いるはずだ。だが姿が隠れて見えない。敵一体につき三、四匹の巨大バッタが取り付いているがために。


 人型の巨大バッタはその工業用シュレッダーのような口で人食いにかぶりつき、肉をちぎり喰らった。万力を思わせるあごで神人をかじり、岩の如き硬い体を削った。容赦はなく、節操もない。かろうじて人間にこそ襲いかからなかったが、ガルアムを助けるために地面から伸びた木々や、ビルの壁面、街灯や自動車など、目に付いた物には何にでも囓り付いた。まして邪神をや。


 空を飛ぶ四枚翼の黄金の鳥。その輝きが、もはや見えない。全身には何十の、いや何百かも知れない、無数の人型巨大バッタがしがみつき、み付いていた。イ=ルグ=ルは体を震わせ、悲鳴のような鳴き声を上げながらジグザグに飛行した。バッタの何割かは振り落とされる。けれど周りにはそれ以上の数のバッタが飛びかい、隙間が出来ればそこを狙って襲いかかった。


 邪神の目が赤く輝く。顔に取り付いたバッタを蒸発させ、体にまとわりつくバッタを焼き払った。周囲を飛ぶバッタも撃ち落とす。だが、まさに焼け石に水。それは相手をひるませるどころか、より攻撃性を高める効果しかなかった。


「死への恐怖を超越した、無敵の軍団、か」


 ジンライは感心していた。その有様は、彼の目指す世界と近い領域にあるように思えた。


「まあ無敵ってのは間違いない。一度動き出したら、もうアタシにだって止められないからね。ここまで敵に回したくない連中も、そうはいないさ」


 ダラニ・ダラの口元には笑みが浮かぶ。しかし余裕は感じられない。


「ただ、決定打には欠けるんだ。コイツらだけじゃイ=ルグ=ルは倒せない。だから」


 左右の手の先に黒い輪状の空間が生じる。


「こうするのさ!」


 両腕を振り上げると、黒い輪がイ=ルグ=ルに向かって飛んで行く。いまの邪神にこれを避ける余力はなかった。二つの輪は首と胴体を締め付けた。取り付いたバッタごと。輪は回転しながら直径を縮小して行く。目の前で生きたまますり潰される仲間を見ながら、けれどバッタたちの戦意は高く維持されていた。


 ダラニ・ダラは両手の指先を鋭く振り下ろす。それに引っ張られるように、黄金の鳥は叩きつけられる勢いで地面に落下した。バウンドするたびにバッタは潰れる。だが空いた隙間には、またバッタが取り付くのだ。


「ガルアム!」


 ダラニ・ダラの叫びと共に、獣王は跳んだ。鋼鉄を引き裂く爪で、黄金の鳥の頭部を貫いた。続いて反対側の手で胸を貫く。しかし、手応えがない。普通の生物なら脳や心臓があるはずだが、そういった生命の核とも言うべき器官が、この鳥には存在していないのである。とはいえ、それで手を緩めるガルアムではない。そのまま咆吼と共に、圧倒的な思念波をイ=ルグ=ルの体内に送り込んだ。


 まるで風船のように膨らむ黄金の鳥。だが躊躇する事なくガルアムは思念波を送り続ける。ダラニ・ダラは黒い輪を締め付け続ける。ほどなく限界は来た。


 黄金の鳥は口を開ける。勢いよく吐き出されたのは、赤い炎。それは意思を持つかの如く、空中で方向転換をすると、自らの体を焼き始めた。咄嗟にガルアムが離れても、イ=ルグ=ルはしがみつくバッタもろとも燃え続ける。はらはらと火の粉が散る。いや、ただの火の粉ではない。宙を漂いバッタに触れた途端、巨大な炎に姿を変えた。そこからさらに火の粉が散り、さらにバッタを燃やし、また火の粉を散らせる。


 倍々ゲームで増える炎が、あっという間に周囲を包囲し、すべてのバッタを飲み込んだ。まるで流星雨のように空から降る、かつて戦士であった光。そしてそれらは身を寄せるように、イ=ルグ=ルの元へと集まった。炎はどんどん大きくなり、やがて長く伸び、とぐろをまいた。


 蛇。全身を炎で織り上げた、赤い大蛇。


 人間を軽くひと呑みに出来る巨大な口から、長い二股の舌がのぞく。鎌首をもたげてガルアムを見つめた。その顔面に獣王の手刀が突き入れられる。だが何の抵抗も感じない。ただ熱いだけだ。炎なのだから当たり前とも言える。


 燃える大蛇は揺らぐ事すらせずに口を開くと、「シャッ」と短い声を出した。


 ごうっ。空気の弾ける音。ガルアムの全身から炎が噴き出す。ただし、燃えているのは表面ではない。肉体の細胞一つ一つが炎を吹き上げている。いわゆる生体発火現象。


 即座に思念波を放てば、ガルアムの頭部から炎がかき消された。そのまま意識を下げて行く。胸から、腕から、腹から、腰から、そして脚から炎が順に消え、足先の炎がすべて消えた瞬間、魔人は膝をついた。エネルギーの使い過ぎだ。


 いかに不死身の獣王とて、体力が無限に続く訳ではない。それどころか、この巨大な肉体を動かすだけで大量の食料が必要とされるのだ。全力での戦いなど、そう長くは続けられない。歯を食いしばり顔を上げるガルアムを、イ=ルグ=ルの赤い蛇が見下ろしていた。




 椅子に座って腕を組み、一本しかない脚をテーブルに乗せる。唖然とするジェイソン大統領に目もくれず、3Jは部屋の奥にある大型モニターを見つめた。監視衛星から届くエリア・エインガナの映像。


「かなり悪い状態なんだろうか」


 心配そうなジュピトル・ジュピトリスの声。3Jの向かい側、大統領から向かって右、いつもホログラムが着いている席に座っている。


「最悪だな」


 3Jはいつもの通り、感情のこもらぬ抑揚のない声でつぶやく。


「赤外線センサーで見る限り、あの蛇はただの炎だ。なのに燃焼物がない。温度の偏りはあるが、核がない。何かが熱を発しているのではなく、ただ熱としてそこにある。センサーが壊れていないのなら、壊れているのは俺たちの方かも知れん」


「つまり物理攻撃は効かない?」


「腕力も念動力も効かんだろう。ガルアムには分が悪い」


 そこに鈴を転がすような声。もっとも3Jの耳にしか聞こえないのだが。


「監視衛星、デルファイ上空に移動完了したよ」


 3Jは丸テーブルのモニターを立ち上げる。


聖域サンクチュアリ迷宮ラビリンスの様子を出せ」


「りょーかーい」


 小さなモニターに映し出された中には、曼珠沙華の花のように広がるモノがあった。一本一本の花びらが高速で動いている様子が見える。それを避ける別の何かが、黄金の輝きを放っていた。


「まんまと」


 3Jは小さくため息をつき、少し何かを考えるような様子を見せると、こう言った。


「ダラニ・ダラに伝えろ。ダランガンに一時撤退する」


 そしてジュピトルに向かい、こう告げた。


「ミサイルの照準を変えろ」




 曼珠沙華の花の如く、無数の腕を広げるリキキマ。同時に複数の攻撃を放っているのだが、逃げ回る事に集中しているヌ=ルマナには当たらない。迷宮の中が気になるものの、そちらに意識を向ければヌ=ルマナは攻勢に出るだろう。もうこれ以上無様にはなりたくない。その焦りが攻撃を鈍らせる。


「この、チョロチョロと!」


「当たらぬ、当たらぬぞ」


 ヌ=ルマナの余裕の笑い声がかんさわる。コイツを無視して迷宮の中のハルハンガイを追った方がいいのでは、いや無視をするには相手が厄介過ぎる、そもそも間に合わないかも知れない。いまリキキマは頭の中がゴチャゴチャになっていた。


 3Jなら。アイツならどうするんだろう。アイツの言う通りに動くのなら、こんなに迷わなくて済むはずなのに……て言うか、何でこの状態を3Jは想定していなかったんだ。アイツがここまで考えていれば、自分がこんなに苦しむこともなかったろうに。そうだ、アイツが全部悪い!


 リキキマが己の心の声に納得しかけたそのとき、背後から聞こえてきた叫び。迷宮の入り口に、ハルハンガイが立っている。


「見つけたぞ!」


 突き上げた両手にあるのは、半透明の二枚の円盤。イ=ルグ=ルの思念結晶。


「んなろうがっ!」


 振り返りざまに、リキキマの曼珠沙華がハルハンガイへと向かう。無数の腕の攻撃を、しかしハルハンガイは避けようともしない。ヌ=ルマナも守ろうとはしない。腕は止まった。リキキマが止めた訳ではなく、まるで威圧され怯えたかのように宙に止まったのだ。


 リキキマは目を剥いた。そこにはハルハンガイが立っているはずだった。だが実際には壁がそびえていた。正しくは壁の如き巨大な人型が。それは黄金の神人。

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