第101話 群れ集う者たち

「長距離巡航ミサイルの照準をイ=ルグ=ルに合わせているエリアは、現時点でエージャン、トルファン、レイクス、バレー。すべてこちらの判断で発射できる」


 高く高く上昇する弾道旅客機の客室内、音声回線のつながっている手元の小さなモニターに向かって、ジュピトル・ジュピトリスは現状を告げた。相手側からは、感情のこもらぬ抑揚のない声が応える。


「アマゾンはまだか」


「いまのところは、まだ反応がない」


 一呼吸置いて、3Jの声は言う。


「マヤウェル・マルソには気を許すな」


「この期に及んで何か仕掛けてくるんだろうか」


「知能の高いヤツが論理的であるとは限らないし、論理的であっても常に道徳的である訳ではない。世界には天才的破滅主義者も超人的狂人もいる」


 それはあまり気持ちの良いとは言えない指摘であった。


「当面はエリア・アマゾンを戦力と考えない方がいいみたいだね」


「いや」


 声は否定した。


「敵だと思え」


「二正面で戦えと?」


「アマゾンを正面に回す必要はない。だが振り返らずに殴る準備はしておけ」


 つまりは気付かれないように攻撃の用意を整えろという事だろうが、よくもまあ、そんな難しい事を簡単に言えるものだ。ジュピトルは呆れるよりも感心した。




 デルファイの南端外側には、エーゲ海から運河が引かれ、古い港湾設備がある。神魔大戦が終わり、魔人たちがデルファイに封じられて以降、浚渫しゅんせつもされずに放置された運河はもう、大型船が入れる状態にはなかったが。


 その運河に面した壁面、高さ四千メートルの壁の一部に、亀裂が走った。ごうごうと機械音が響くと、亀裂は大きくなって行く。砕け落ちるコンクリートと湧き起こる土煙。その向こう側に、巨大な黒い鋼鉄の門扉が見えた。外側から門を開ける者が現われないように、壁の中に埋め込まれていたのだ。


 機械音が大きく激しくなった。黒い門が、内側に向けて重々しくあぎとを開いて行く。隙間から漏れ出す光。逆行の中、蠢くのは人の影。聖域サンクチュアリの住人たちが我先に飛び出して来た。


「ひゃはーっ!」


「うおぉ、マジか、マジで出られたぜ」


「やったぞ、故郷くにに戻れる!」


「エージャンのクソ野郎ども、ぶち殺してやる」


 解放された者たちは、みな口々に自分なりの歓喜の声を上げたが、それもつかの間、門の奥から聞こえてきた音に青ざめて振り返る。門を押し開く機械音をかいくぐるように届く、低い無数の震動音。曲がりなりにもデルファイの中で暮らしてきたのだ、その音が何を意味するかは察しが付く。


 聖域の住人たちが、開いた門の下端を通り抜けるのと対照的に、振動音は上端を通り抜けて外に出た。幾つも幾つも、幾つも幾つも幾つも幾つも。振動音の正体は羽音。羽根を震わせて飛ぶ昆虫人インセクターの群れが、雲霞の如く空を黒く覆っていた。


「おい、何だよこれ」


「冗談じゃねえぞ、アイツらが外に出て来るなんて、聞いてねえ」


 悲鳴にも似た声が上がる。それはそうだろう。聖域の中にいれば昆虫人になど関わらずに暮らせたのだ。だがいま昆虫人は、文字通り野に放たれた。デルファイの外で生きようとするなら、無関係ではいられない。


 バッタ、トンボ、ハチ、カマキリ、チョウにコガネムシ。様々な姿の昆虫人が外の世界に拡散するのを見送りながら、聖域で暮らしていた者たちの何割かは、外の世界に背を向け、肩を落として門の内側に自ら戻って行った。




 絶望の悲鳴が響く、オーストラリア大陸のエリア・エインガナ。蜂人部隊は拡散し、黒いイトミミズを湧かせた人食いどもをほうむってはいるのだが、ビルの上で黄金の鳥が羽ばたけば、建物の中にいる者がまとめて人食いになる。駅の上で羽ばたけば、列車の中が人食いだらけになる。そして人食いはイ=ルグ=ルの餌となり、その輝きが増すばかり。手の打ちようがないかに見えた。しかし。


 イ=ルグ=ルは気付いた。ビルの屋上に巨人の影がある。獣王ガルアムは低くかがむと屋上を蹴り、コンクリートの破片を撒き散らしながら、邪神に向かって跳んだ。空を裂く鋭い爪。けれど黄金の鳥は悠々とそれをかわして上昇した。ガルアムは別のビルの屋上に降り立ち、振り返ってさらに跳ぶ。


 宙で回転し、蹴りを放つが、それもまたイ=ルグ=ルにかわされる。ガルアムは高層ビルの外壁にしがみついた。そこからまた跳び上がる。


 四枚翼の黄金の鳥は、黒い思念波を放った。対するガルアムは咆吼と共に、白い思念波を繰り出す。ぶつかり合い、中和される二つの思念波。だがそこでイ=ルグ=ルは前に出た。ガルアムが攻撃をするよりも先に、ジャンプのピークに達するよりも前に四枚の翼で魔人を打ち落としたのだ。


 獣王は降り立つ屋上も、つかまる壁もなく、頭から地面に叩きつけられる、と見えたそのとき。


 地面を割って伸び上がる物。緑の要塞。密集した樹々が真っ直ぐに星空を突く。空中で身軽にくるりと回ったガルアムは、まるで重さがないかのように樹冠の上に降り立つと、さらに伸びる樹々の勢いに乗って、砲弾のように跳び上がった。


 そのスピードにイ=ルグ=ルは、爪の一撃をかわすので精一杯。すべての意識がそちらに向き、背後の動きになど気付かない様子。そこに音もなく飛来した黒いリングが首にまる。首を絞められた鳥の声が空に響いた。


「捕まえたよ!」


 ダラニ・ダラが手を伸ばし叫んだ。イ=ルグ=ルは暴れるが、黒い輪はギリギリと回転しながら締めつけて行く。落下したガルアムは、また下から伸びた樹々に助けられ、再度樹冠から跳び上がった。


 獣王の右手の爪が、黄金の鳥の胸元に下から突き刺さる。舞い散る黄金の羽毛。左手で鳥の頭をつかむと、そのまま重力に引かれて地面へと降下した。下では大きく大きく口を開いたケレケレが待ち受けている。そこにイ=ルグ=ルを放り込めれば、すべては終わりなのだ。だが。


 イ=ルグ=ルの目が赤く輝いた。放たれる閃光。それはケレケレの首を切断した。


 そして落雷。無数の、エリア・エインガナ全体が一瞬昼間のように明るく輝くほどの放電が、宙を走る。これにより、空中にいた者はすべて、イ=ルグ=ル以外は叩き落とされた。


 黄金の鳥が胸を張る。首の黒い輪は弾け飛び、からからからと高笑いの如き鳴き声を上げていた。




 聖域の南端にある『港』の門は開かれた。それに関わる承認書類も世界政府に送信済みだ。これで心置きなくイ=ルグ=ル退治に精が出せる。リキキマは焦っていた。自分が居ない間に戦いがどう展開しているのか、気になって仕方がなかった。それが隙を呼ぶとは気付かずに。


 迷宮ラビリンスの入り口が開く。普段は外側から見えないその奥から、リキキマが飛び出して来た。迷宮の内側からでは、空間が何層にも折り畳まれているためダラニ・ダラに連絡がつかないからだ。


「お嬢様、そうお慌てになられては……」


 背後からいさめるハイムの声が、突然途切れる。けれどリキキマは振り返れない。目の前には黄金の三面六臂が立っていた。


「てめえ」


「ここで会うのは何度目だったかな」


 微笑むヌ=ルマナの視界の中、リキキマの向こう側では、ハルハンガイがハイムを迷宮の中に押し込んでいた。


「聞こえるぞ」


 ハルハンガイはハイムの首をつかまえて、片手で持ち上げている。


「思念結晶の『声』が聞こえる」


「そちらは任せた」


 そう声をかけると、六本の戦斧を構えてリキキマにこう言った。


「そなたは、このヌ=ルマナが相手をしよう」


「光栄だね、クソが」


 リキキマの脳裏には、3Jの顔がよぎった。この失態、あの野郎に何て言われるだろうか、また馬鹿にしやがるんだろうな、と。




 エリア・エージャンから世界政府の空港まで、弾道旅客機で十五分。空港から庁舎まで専用列車で十分。徒歩移動や待ち時間を含めても、大統領執務室までは四十五分程度で到着する。


 夕暮れの刻を過ぎ、夜に包まれている世界政府庁舎。その建物を明かりが照らす。上からの照明。ロケットエンジンの噴射音。見上げる必要もない。パンドラが降下しているのだ。ジュピトル・ジュピトリスはムサシ、ナーガ、ナーギニーを引き連れ、ガラス張りの渡り廊下を進んだ。




 黄金の鳥は四枚の翼を羽ばたかせた。打ち下ろすたびに羽毛が散る。狂ったように羽ばたけば、まるで雪のように幾千もの羽毛が宙を舞った。それが静かにゆっくりと地面に落ちる。その途端、羽毛は人の姿になった。いや、人と言って良いのかどうか。それは紛れもない、黄金の神人。だが小さい。身長百五十センチほどの小さな神人が、何千体も現われたのだ。


 キラー・ホーネッツはデルファイオオスズメバチを神人の群れに向けた。だが神人には毒針が刺さらない。


 からからから。高笑いするかのように、黄金の鳥は鳴いた。神人の群れが魔人たちに迫る。


「さあ、こりゃ困ったぞ」


 ズマがつぶやいた。


「物量作戦か。厄介だな」


 ジンライも同意する。だが二人には緊迫感がない。その視線はダラニ・ダラに向けられている。魔女は当惑したように眉を寄せた。


「……人間が避難してない状態で使うのは、オススメしないんだが」


 それは一応の言い訳であった。


「この後に及んでは仕方あるまい」


 と、ガルアムも言う。


「これ以上被害を拡大させるのもね」


 ドラクルは小さくため息をついた。ダラニ・ダラはニヤリと笑った。


「んじゃあ、連帯責任って事でいいね」


 そう言って早速両手を振り上げると、頭上に巨大な黒い空間を広げた。


「さあ出ておいで、おまえたち!」


 闇の中から、聞こえてくるのは低い羽音。最初の影がビュッと一つ飛び出たかと思うと、次から次へと続いて無数の影が、途切れることなく飛び出して来る。わんわんわん、あっという間に周囲は羽音で埋め尽くされた。


 延々と飛び出し続ける影の中から、一体がダラニ・ダラの前に進み出て片膝を突く。人に似たシルエットをしているものの、その体を支えるのは外骨格。大きな複眼に工業機械を思わせる口。そして背中には長い羽根。紛れもない人型の巨大バッタであった。


「我ら飛蝗軍団『ローカスツ』、ただいま参上つかまつりました」


 低く太い声にダラニ・ダラはうなずく。


「神様に本物の物量作戦ってのを見せてやりな」


「はっ、命にかえましても」


 そして巨大バッタは振り返り、数万単位の群れに向かって一言命じた。


「喰らい尽くせ!」

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