第72話 その名を唱えよ

 拳が天に突き上げられる。無数の拳が、渦巻く怒声と共に。


「イ=ルグ=ルと戦うな!」


「ジュピトル・ジュピトリスを倒せ!」


 オーストラリア大陸のエリア・エインガナで、数人の若者から自然発生的に起きたデモは、瞬く間に千人規模の運動となった。


 デモの炎はエリア・トルファンに、次いでエリア・アラビアに飛び火し、エリア・エージャンでも小規模ながら数百名のデモが起きた。


 そしてアフリカのエリア・バレーに、南米エリア・アマゾン、北米エリア・レイクスに火は燃え広がり、エリア・ヤマトでも数十人のデモが確認された。


 デモ隊はイ=ルグ=ルとの平和的交渉と、ジュピトル・ジュピトリスの打倒を叫び、オリンポス財閥系列企業の商品不買を世間に訴える。さらに各地で暴徒化し、セキュリティと衝突した。各エリアの行政担当者は暴徒を非難しつつ、同時にエリア・エージャンに適切な対応を求めた。しかしエージャンは動かない。動けない。ジュピトル・ジュピトリスが沈黙しているからだ。




「全世界のデモ参加者は、推定で二万人を超えました」


 ナーガの報告に、椅子に座ったジュピトルは天井を見上げる。別にそこに何かある訳ではない。ただぼうっと見つめているだけだ。


 ナーギニーは心配げに問いかける。


「いかがされますか、ジュピトル様」


 しかしジュピトルは小さく微笑んでこう言う。


「どうもしないよ」


 そして窓の外に目を向けた。


「きっかけを作ったのは、おそらく金星教団だと思う。イ=ルグ=ルが復活するという現実を受け止め切れない人たちがそれに引きつけられ、現実社会に対する不満が加味された結果がいまの状況じゃないかな」


 そして首元を押さえた。


「ネットワークブースター接続」


 ジュピトルの視界に真っ青な髪のアキレスが現われた。


「お呼びか、あるじ


「デモ隊の動きとネットワークの動きを監視して欲しい。何かあったらすぐ連絡して」


 ジュピトルの言葉に、アキレスはうなずく。


「心得た」


 アキレスが姿を消すと、ジュピトルは小さくため息をついた。


「金星教団は、必ず次の手を打ってくる。それまで僕は沈黙する」


 ナーガとナーギニーは顔を見合わせた。自分が助けようと努力している人々から敵意を向けられる気持ちは如何いかばかりか。ジュピトルの心情を思うと、言葉が浮かばなかった。




「黙っていないで、何か言ったらどうかね」


 エリア・アマゾンの賢者の塔、一号会議室で執り行われている賢人会議の席で、議論に疲れ切ったメンバーの一人からマヤウェル・マルソはそう言われた。


「議長の私が発言してもよろしいのでしょうか」


 笑顔で問いかけるマヤウェルに、他の十一人はうなずく。


「では不肖ながら、私見を述べさせていただきます」


 そこで小さく息を吸った。


「このたびの五千人規模の抗議デモですが、きっかけを作ったのは金星教団でしょう」


 メンバーの一人が眉を寄せる。


「いや、しかし金星教団は」


 マヤウェルは笑顔のままうなずく。


「はい、関係者全員を『保護』したはずでした。ですが結果を見る限り、我々は金星教団の正確な規模を把握出来ていなかったという事です。我々に出来ていなかった以上、他のエリアでも同様であった可能性はあると思われます」


「きっかけなど、どうでもいい」


 別のメンバーからそんな声が上がる。


「重要なのはいまだ。そしてこの先だ。今後デモの規模が拡大し続けたらどうするつもりだ。セキュリティを増員するにも限度があるぞ」


「確かに私がイ=ルグ=ルなら、世界のシステムが崩壊するまで様子を見るでしょう。でも」


 マヤウェルは平然と言い放つ。


「イ=ルグ=ルは私ではありませんし、すべてが崩れ去るまでじっくり待てるほどの余裕があるとも思えません。……いえ、違いますね。待つ必要など最初からないのです。だって神なのですから。絶対の力を持つ者が何を恐れる理由がありましょう。ただそのときに望む物を、望むがままに手に入れる。それこそが神の特権と言えます」


「イ=ルグ=ルの望む物がわかっていると言うのか」


 それにはマヤウェルも首を振る。


「まさか。ただ、このまま放置する事はないでしょう、というだけです。現場は大変だと思いますが、次の段階に移るまで持久戦の構えを取るしかありません」


 十一人のメンバーたちは、いまひとつ不満げな顔を見せていた。マヤウェルは笑顔を崩す事なく手を挙げて宣言した。


「ではそろそろ決を取りたいと思います。選択肢は三つ。デモを積極的に排除する、もしくはデモ隊の要求を呑む事を約束する、あるいは私に判断を一任する。挙手でお答えください」


 もちろんどんな答えが出るか、マヤウェルにはわかっていた。果たして、結果はその通りになった。




「トルファンの八千人がずば抜けてるのは何でかな」


 自律型空間機動要塞パンドラの管制室に、ベルの声が響く。答えるのは銀色のサイボーグ、ジンライ。


「核問題で世界中から叩かれた反動だろう。人間は誰しも攻撃されるより、する側に回りたがるものだからな」


「えー、何かセコーい」


「生物としての本能には、Dの民といえど逆らえんという事だ」


 おかっぱ頭のケレケレも話に加わる。


「ふむ。という事は、何か起こるとしたらトルファンか」


 獣人ズマの耳がピクリと動く。


「何でそう思うんだよ」


 ケレケレはニンマリと笑う。


「イ=ルグ=ルは血を求める神だ。生け贄の数が多いに越したことはない」


「だがそう決めつけては裏をかかれる」


 ジンライの言葉に、ケレケレは首を振る。


「イ=ルグ=ルは裏をかいたりせんよ。そんな難しい事を考えるヤツではない」


「でもヌ=ルマナは考えるんじゃないの」


 ベルが言う。ケレケレはふうむと考え、3Jに目をやった。


「3Jはどう思う」


 管制室に流れている世界各地の報道映像を見ながら、3Jは答えるでもなく答えた。


「裏を読む事はしない。今回は先手を取らせる」


「あえて後手に回ると言うのか」


 驚くケレケレに、3Jは感情のこもらぬ、抑揚のない声で言った。


「そういう戦いが経験出来るのは、いましかない」


「犠牲が出るが、いいのか」


「元より犠牲の出ない戦いが可能な相手ではない。考えるべきは、最低限の犠牲で一人でも多く生き延びる事だけだ」


「そう割り切れる者ばかりでもあるまいに」


「人は憎しみを捨てられない」


 静かな口調で3Jは話す。


「どのみち生きるという事は、誰かの憎しみと共に時間を過ごすという事だ。ならば、憎まれても構わん」


「何とも可愛げのない人間だの、おまえは」


 ケレケレは苦笑した。が、その顔が素に戻る。流れていた報道映像の中に、黄金に輝く十文字が現われたからだ。それはデモ隊を映していた生中継カメラ。場所は、エリア・トルファン。




 まだ宵の口、デモの人数は一向に減る様子がなかった。


「イ=ルグ=ルと戦うな!」


「ジュピトル・ジュピトリスを倒せ!」


 シュプレヒコールがビルの谷間にこだまする。巨大な風車を見上げながら、中央大通りを東から西に進むデモ隊の頭上に、突如黄金に輝く十文字が出現した。そのあまりの神々しさに、人々は口を開けて唖然とした。


――我らは、イ=ルグ=ルよりの使者


 それは人々の頭に中に直接語りかける声。三つの声が同時に聞こえた。


――平和を求めるそなたたちの声が、イ=ルグ=ルに届いた証に参上した


 誰かが喜びの声を上げた。そこから爆発的に広がる歓喜の叫び。


――イ=ルグ=ルの名を唱えよ。さすれば祝福が与えられん


「見えますでしょうか、いまイ=ルグ=ルの使者と名乗る光が、十字の光が現われ……祝福を……」


 現場の報道レポーターの声は、そこまでしかマイクに入らなかった。絶句した訳ではない。マイクが壊れた訳でもない。レポーターの声をかき消すほどのボリュームの、無数の絶叫が轟いたためである。


「イ=ルグ=ル! イ=ルグ=ル! イ=ルグ=ル!」


 人々は狂ったかのようにその名を唱えた。目を血走らせ、口から泡を飛ばし、神の祝福を得るために。数千人の声が重なり、数千の拳が天を衝き、世界が震動した。黄金の十文字が一際輝く。そして人々は聞いた。頭の中で。祝福を与える、と。


 デモ隊の動きが止まった。いまイ=ルグ=ルの名を唱えていた者は全員、拳を空に向けたまま固まっていた。


 それに最初に気付いたのは、報道のカメラクルー。たまたまデモ隊の中の一人にズームアップしたとき、映ったのだ。顔から出る、紐のような物が。それはウネウネと動いていた。最初は一本、そして二本、四本、八本、十六本、三十二本、それ以上はもう数えられない。あっという間に顔中を紐が、いや、より正確に言うならイトミミズのような物が、覆い尽くしてしまった。


 悲鳴が響く。思わずカメラから目を離したクルーたちは見た。顔を無数のイトミミズで覆われた数千人が、周囲で見ていた人々に襲いかかるのを。そして耳まで裂けた口が、人の肉にかぶりつくのを。


 しかし、生きたまま食いちぎられた体から噴き出した血は、地面を濡らす事はない。霧のように広がると、空へと舞い上がって行く。やがて輝く黄金の十文字にまで達すると、直径十センチほどの半透明の円盤へと吸い込まれた。


 悲鳴、絶叫、絶望、血臭。逃げ惑う足音と、生肉の咀嚼音。足下で繰り広げられる地獄絵図を俯瞰しながら、ヌ=ルマナは微笑んだ。


「さあて人間、どうする」

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