第42話 与えられた役割

 中天高くに日が輝く頃、昼下がりの時間帯に、グレート・オリンポス高層のウラノスの部屋を、ネプトニスが訪れていた。昼食を摂り終えたばかりのウラノスは、ややけだるげに話を聞いている。


「……などなど、イ=ルグ=ルにまつわるデマと言って良い情報が、このグレート・オリンポス内部より発信されているのです。これは由々しき事態と言えます。事の真相が表面化すれば、我がオリンポス財閥全体への悪影響は必至、少なくともイメージ低下は免れません」


「それで」


 広いテーブルを挟んで座るネプトニスは、その姿勢と声の張りで、己の言葉の正当性を暗に主張していた。


「はい、総帥閣下。私が内々に調査致しましたところ、この件にジュピトルが関わっている事は間違いありません。早急に何らかの対処が必要かと存じます」


「対処とは処分という事か」


「そうなります。当面ネットワークへのアクセス権限を取り上げるべきかと」


 しかしその自信に溢れる力強い視線が、ウラノスの言葉で揺らいだ。


「まだ理解出来ぬのか」


「……は?」


 ウラノスは、ややうつむきながら、その鋭い視線はネプトニスを貫いている。


「ネプトニス、おまえはいまエリア・エージャンのDの民をまとめている」


「微力ではありますが、精一杯……」


「謙遜など、どうでもいい。何故おまえにそれが出来るか考えた事があるか」


「それは、このジュピトリスの家に生まれた者の使命かと」


「では何故プルートスではなく、おまえなのだ」


 ネプトニスは一瞬言い淀んだが、問われたのだから答えねばならぬとばかりに、開き直ったかの如くこう言い切った。


「幸いな事に、私には生まれ持った才覚があります」


「その通りだ」


 そのウラノスの言葉に、ネプトニスは微笑んだ。しかしウラノスはこう続ける。


「オリンポス財閥には、エリア・エージャンのDの民をまとめるという役割が求められていた。だから役割に合致する特性を備えた子供を作ったのだ。それがおまえだ」


 ネプトニスの顔には困惑が見える。


「つまり、私には能力があるという事でよろしいのですよね」


 それには答えず、ウラノスは言う。


「まったく同じ事がジュピトルにも言える。あれはオリンポス財閥が世界を率いるために作り出された。Dの民であるなしに関わらず、すべての人類のリーダーとして生み出された者だ。おまえとは、なすべき役割が違う。ジュピトルのやる事には口を出すな」


「それは……それは、つまり、ジュピトルの方が私より優れていると?」


「作り出された目的が違うと言っておるのだ。おまえはおまえに与えられた役割をまっとうすれば良い。それがすべて、オリンポス財閥のためになる」


 絶句し、立ち上がる。ネプトニスの顔は蒼白であった。怒りのためか、屈辱のためか。そしてしばしウラノスを見つめると、無言で席を後にした。




 プロミスが目を覚ましたのは、夜。また迷宮の応接室の鳥籠の中。眠そうに身を起こし、籠の外で紅茶を飲むリキキマと目が合う。その瞬間。


「ガアアアアッ!」


 目を血走らせて牙を剥き出し、籠の隙間から手を伸ばす。リキキマは面倒臭そうに後ろを振り返る。


「おーい、どうなってんだ、これ」


 左腕のないワイシャツにスラックス姿のドラクルが、当たり前のような顔で答えた。


「吸血鬼になったばかりだから、血への渇望を脳が処理し切れないんだろうね」


「脳みそが腐ってるとかないだろうな」


「そこまで行けば、さすがに蘇生しないよ」


 ドラクルが近付くと、プロミスは狂犬のように唸りを上げる。


「ほら、ボクが誰かも判断出来ない。頭がキマッちゃってるんだ」


「マトモになるのか?」


「明日になればわかるんじゃない。このまま壊れちゃう可能性もあるけど、それはボクの責任じゃないし」


「ま、この件に関しちゃ、悪いのは全部3Jだからな」


 珍しく見解の一致した二人は、共に呆れたような顔でプロミスを見つめた。唸り声を上げ続けるその姿は、吸血鬼と言うよりジャングル育ちのオオカミ少女に見える。果たしてここまでして殺さない意味があったのだろうか。死から縁遠い二人には、よくわからない感覚だった。




 アミノ酸と鉄とカルシウムの錠剤を口いっぱいに頬張り、水で流し込む。肉も血も骨も足りない。オーシャン・ターンは急速に肉体を回復する必要があった。長い間、身体の主要部分を液体化してプロミスの中に保存し、残りをハーキイ・ハーキュリーズとして過ごしてきたのだ。だがその苦労も終わりを告げた。


「もっと美味しい料理を取り寄せる事も出来たのに」


 オーシャンの背後から聞こえる声。オーシャンは振り返りもせず答える。


「いまは必要な成分を必要なだけ摂取する事が重要だ」


「あなたは変わらないわね。良かった」


 現われたのは、金星教団教祖、ヴェヌ。オーシャンの肩に、そっと頭を乗せる。


「でも、昔よりたくましくなったかな」


「ハーキイ・ハーキュリーズとして強化改造を受けたのが影響しているのだろう。おかげで肉体維持に必要なカロリーが増えてしまったが」


「いいじゃない。私はいまのあなたも好きよ」


 オーシャンは空になったコップをテーブルに置き、ピッチャーから水を注ぐ。


「この七年ほどは良い経験になった」


 ヴェヌは、くすっと笑う。


「たまには挫折も必要って事?」


「ジュピトル・ジュピトリスを抹殺できなかったのは腹立たしいが、組織をまとめ上げるコツのような物が理解出来たように思う」


「プロミスが、もうちょっと優秀な子だったらね」


「不満を言い出したらキリがない。アレはアレで良くやってくれた。感謝しなければなるまい」


「あらあら、随分丸くなって」


「そうからかうな」


 オーシャンは小さく笑うと、また手のひらに錠剤をぶちまけ、口いっぱいに頬張った。そこに響くコール音。


「誰からだ」


 警戒するオーシャンに、ヴェヌは微笑んだ。


「ジョセフよ」


 壁にモニターが開き、ブラック・ゴッズのビッグボスが現われた。目を丸くして驚いている。


「やあ、これはこれは。本当に英雄のご帰還だ」


「世話になったな、ジョセフ」


 オーシャンの言葉に、ジョセフはニヤリと笑う。


「何だい、久しぶりに顔を合わせたのにイヤミかね」


「本心だ。人をヒネクレ者扱いするな」


「ならその言葉を信じよう。それで、いったい何をどれだけ用意すればいい」


 相変わらず話の早い男だ。オーシャン・ターンは満足げにうなずいた。




 高度四百キロに浮かぶ、巨大な白い直方体。自律型空間機動要塞パンドラ。その管制室で無数のモニターに囲まれながら、3Jは窓の向こうの青い地球を眺めていた。


 モニターには世界各地の情報が、主に報道を中心に流れている。もちろんすべてを見て記憶するのは、いかな3Jでも不可能だ。しかし何か注目すべき出来事に、リアルタイムでぶつかる可能性だってある。だからできる限りの時間をここで過ごし、情報を浴びているのだ。


 けれどいまの3Jは、どこか上の空に見えた。


「心配事か」


 いつの間にか管制室のドアが開いている。灰色のポンチョを着た銀色のサイボーグを振り返りもせず、3Jは静かにつぶやくように答えた。


「イ=ルグ=ル以上の心配事などない」


 なるほど、さすがにイ=ルグ=ルの事は心配なのだな、とジンライは思う。


「もし、イ=ルグ=ルが人類を全滅させても、この惑星は青いままなのだろうな」


「いまより美しくなるかも知れん」


 ジンライの戯れ言に気分を害した様子もなく、3Jは言った。ジンライは隣に立つ。


「拙者がイ=ルグ=ルと戦うのは、3Jが戦うからだ」


「そうか」


「だが3Jは、何のために戦う」


「気になるか」


「いいや」


 ジンライが笑ったように3Jは感じた。だがそれを口にはしない。


「3Jが何故戦うか、それを気にしているのは拙者ではなく、3J自身ではないのか。そう思っただけだ」


 ジンライはそう言うと、少し声を落とした。


「迷っているのか」


「迷いはしない」


 即答だった。3Jは続けた。


「自分の決断を疑いはしない。後悔もしない。だがすべての人間がそうではない」


「確かに、ジュピトル・ジュピトリスは迷ってばかりだな」


「アイツは迷い過ぎだ」


 3Jは言い切ると、少し間をおいた。


「……俺は少し、迷った方がいいのかも知れない」


「どうしてそう思う」


「俺一人の力でイ=ルグ=ルが倒せるのなら、迷う必要は一切ない。だが現実としては、不可能だ。最低でも四魔人の力に頼らねばならない。しかし、いかに合理的な戦法を説いたところで、おそらく魔人はその通りには動くまい」


「まあ、あの連中ならそうだろう」


「俺は共感性に欠けている」


 欠けていると言うより、皆無だな、とジンライは思う。


「その共感性の正体が、『迷い』だと思う訳か」


「そうだ」


 ジンライは小さくため息をつくと、今度は本当に、ふっと笑った。


「貴様は充分迷っていると思うぞ、3J。それ以上迷われては周囲が困る」


「そういうものか」


「そういうものだ。もっと迷うのはジュピトルに任せればいい。貴様は羅針盤だ。向かう先を世界に示してもらわねばならん。それが貴様のなすべき役割だと拙者は思うがな」


「俺の役割、か」


 3Jはまた地球を見つめた。青い惑星は音もなく静かに回転している。とてもその中心核に強大な邪神を抱えているとは思えないほどに。

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