第41話 復活

 ハーキイは右手でプロミスの左手を引っ張って歩く。聖域サンクチュアリの大通りを迷宮ラビリンスに向かって。すれ違う者たちが興味深げに振り返るが、ハーキイは気にせずドンドン進む。プロミスは引っ張られながら文句を言った。


「ちょっとハーキイ、何をそんな急いでるの」


「だって昼までには店に戻らなきゃいけないんだ、急がなきゃ」


「だけど迷宮だよ、すぐそこじゃない」


「善は急げって言うからさ」


 ハーキイは振り向きもせず早足で進む。斜め後ろから垣間見えるその顔は、笑っているようにも思えたが、何かいつもと違う気配を、プロミスは感じざるを得なかった。


 そうこうしているうちに、迷宮の前にまで来てしまった。『銀貨一枚』からここまで、十分とかからないのだ。


 街の中央に建つ、巨大な真っ黒い立方体。窓もなければ玄関も見当たらない。魔人リキキマが認めた者だけが中に入る事を許される、特別な場所。その前に仁王立ちする、大きなリボンを頭に乗せた、フリルのドレスの少女。ピンクの髪がかかる顔は、イラついているように見えた。


 ハーキイは立ち止まった。満面の笑顔で挨拶をする。


「おはようございます、リキキマ様」


「あ、おはようございます」


 プロミスも慌ててペコリと頭を下げる。だがリキキマはそれを見ていない。ハーキイをにらみつけている。


「このリキキマ様に用があるらしいね、ハーキイ・ハーキュリーズ」


「はい、アタシたち二人を受け入れていただいた事に、感謝したいと思いまして」


 ハーキイの笑顔は揺るがない。プロミスは二人の顔を見比べながら「……え? え?」とうろたえた。


「3Jからは、迷宮の中に入れてしばらく様子を見ろ、と言われたんだがな」


 リキキマは歯をむき出した。


生憎あいにくこのリキキマ様は、指図されるのと馬鹿にされるのが大嫌いなんだよ。目的は何だ。何をどうしたい。言ってみな」


 しかしハーキイは笑顔を崩す事なく、声を一段落とした。


「そう、魔人リキキマならそう考える」


「……ハーキイ?」


 プロミスは、自分の手を握るハーキイの右手の握力が増したと感じた。ハーキイは続ける。


「自分の名前が出された以上、相手は自分に用があるのだと信じ込む。自分がケンカを売られたのだと思い込む」


 ハーキイもまた、犬歯をむき出した。


「単純、短絡的にして、愚か」


「何だと、てめえ」


「自分が標的にされているのだから、自分の裁量で対処して良いと判断する。だから加勢を求めない。忠告も聞かない。低劣で極めて幼稚」


 そのとき、頭の上から声が聞こえた。


「リキキマ!」


 見上げれば、空間機動要塞パンドラのフローティングディスクが下りてくる。乗っているのは3J。


「アレは厄介だな。急がねばならん」


 そう言いながらハーキイは、右手でプロミスを引き寄せ、左手を背後に走らせた。その手に握られた銀色の刃。


「そんなオモチャで何が出来るよ!」


 リキキマの言葉に冷たい視線を返すと、ハーキイは左手のナイフを振るった。自分の脚に。さしものリキキマも唖然とする中、ハーキイは自らに突き立てたナイフを引き抜くと、プロミスを優しく見つめた。


「いままでありがとう。さようなら、プロミス」


 ハーキイの左手が走る。銀光がきらめく。


「えっ……」


 驚き顔のプロミスの首筋に、ぱっくりと傷口が開いた。吹き上がる血潮。しかし、その赤い血は地面に落ちなかった。一瞬空中に漂ったかと思うと、やがて集まり、細い糸のような激しい流れを作り、ハーキイの脚の傷へと猛然と走った。そこからねじ込むようにハーキイの体内に入って行く。プロミスの体内からすべての血液が抜き取られ、ハーキイの脚の傷へと飲み込まれるまで、わずか数秒の出来事。


 抜け殻となり、地に倒れ伏すプロミス。ハーキイは、つないだ右手をそっと放し、背後に立つ3Jへと向き直った。


「おまえは何者だ」


 その3Jの言葉がスイッチになったかのように、ハーキイのブロンドの髪は、みるみる短く黒くなって行く。肉体は波打ち形を変え、顔も同様にその様相を変化させていった。背の高い、筋肉質な男の姿に。少し顎の長い、鼻柱の太い、そして鋭い眼の。その目の持ち主を、3Jは知っていた。記憶していた。思わず言葉に出る。


「……オーシャン・ターンだと」


 オーシャンは口元を歪めると、足下に目をやる。3Jもリキキマも気付かなかった。地面から子供の手が生えていた事に。『壁抜け』ジージョの両手がオーシャンの脚をつかむと、一瞬で彼の姿は地面の中へと吸い込まれて行った。


「アイツ、あの野郎、このリキキマ様の目の前で逃亡しやがった!」


 いかなリキキマでも、さすがに気付く。ハーキイが、いやオーシャン・ターンがリキキマの前に姿を現したのは、彼女にケンカを売るためではなかった事に。あえてリキキマの前に姿を現し、その油断を誘う事が、もっとも安全にデルファイから逃亡する方法だと判断した上での行動だったのだ。


 地団駄を踏んで悔しがるリキキマに、3Jはいつものように抑揚のない声でこう言った。


「ドラクルを呼んでこい」


「ああ?」


 倒れたプロミスの様子を確認しながら、もう一度3Jは言う。


「ドラクルを呼んでこい」


「何でおまえなんぞに、このリキキマ様が命令されにゃならねえんだよ、ふざけんな」


「三度は言わん」


 抑揚のないその声は、しかし感情のない声ではなかった。


「迷宮が破壊されても、俺は困らない」


 リキキマは忌々いまいましげに舌打ちをすると、指をパチンと鳴らした。


 真っ黒い壁の中から、ドラクルが湧いて出て来た。上半身裸で、寝転んだ姿勢のまま。そして軽く地面に叩きつけられる。


「あてっ」


 ドラクルはまぶしそうな顔で周囲を見回した。


「何だよ、こんな朝早くに」


「こいつを見ろ」


 3Jはドラクルに、プロミスを指さした。ドラクルは不満そうに眉を寄せる。


「また君か。挨拶くらいしてもいいだろ」


 3Jは無言で見つめる。ドラクルは一つ、ため息をついた。そして倒れるプロミスの腕に触れてみる。


「ああ、この子か。へえ、こりゃ凄いや。血液が一滴も残ってない」


 3Jはそれを聞くと言った。


「俺の血の三分の一を抜き出して、こいつに入れろ」


 ドラクルはキョトンとした顔を見せた。


「何で?」


「おまえの能力なら、出来るはずだ」


「そりゃ出来るけど、もう死んでるよ? 心臓だって動いてないし」


「このままなら確実に死ぬ」


「無駄だよ。三分の一の量の血液じゃ蘇生はしない。君が失血死するだけだ」


「リキキマ、ドクターに連絡して、合成血液をすべて持って来させろ」


 3Jの言葉にリキキマはムッとしたが、もう反論はしない。ドクターに連絡するのだろう、迷宮の中に戻って行った。ドラクルは呆れた。


「いやいや、そもそも血液型が違ったら、一発でアウトだから」


「だが可能性はゼロではない」


 ドラクルはちょっと面白そうな顔をした。


「ふうん。そんなにこの子を殺したくないんだ」


 すると3Jはこう答えた。


「死ぬのは構わん。だが俺の中で納得が必要だ。それが今後に影響する」


「相変わらず素直じゃないねえ」


 ドラクルはまた一つため息をつくと、意地悪そうな表情を浮かべた。


「確実に助ける方法は、一つだけあるんだけど」


 3Jが見つめる。ドラクルはニヤリと笑った。


「ボクの血を体に入れるのさ。そうすりゃこの子は助かる。もっともそんな事をすれば、ボクと同じ不死身の怪物になっちゃうけどね」


「よし、やれ」


 即答だった。


「え。いやいやいや、ちょっとくらい考えようよ。人間じゃなくなっちゃうんだよ」


「人間じゃないヤツなど、ここでは珍しくもない」


 しかしドラクルは何故か焦っていた。


「そりゃそうかもしれないけど、本人の意思も尊重した方が良くない?」


「いまは確認する手段がない。他に方法がないのなら仕方ない。やれ」


「ええー……」


 ドラクルはちょっと後悔したような顔を浮かべてプロミスを見つめた。


 ――ローラ、ローラ、目を開けて、ローラ


 まあ仕方ないか。そのときのドラクルの顔は、そんな風に3Jには見えた。


「本人の同意もなしに強引に、っていうのは、ボクの趣味じゃないんだけどね」


 そう言うと、ドラクルは自分の指を噛んだ。傷口に血が滲む。そこから小さな噴水のように血が噴き出した。それがクルクルと空中で回転し、球を作る。親指大になったところで、その球を指先で挟み、ドラクルはプロミスの首の傷口へと押し込んだ。あっという間に傷口が塞がり、消えて行く。


「あとは合成血液を輸血すれば、立派な吸血鬼の出来上がりさ。夜には目が覚めるんじゃないかな」


「そうか」


 ドラクルは意表を突かれた、という顔をした。


「こういう場合って、普通は『ありがとう』とか言うんじゃないの?」


 3Jはしばらく無言で見つめると、「感謝はする」と答えた。ドラクルは三度目の、大きな大きなため息をついた。


「君って本当にイヤなヤツだね」


「そうか」


「そうだよ」


 遠くからサイレンの音が聞こえる。おそらくドクターが救急車でこちらに向かっているのだろう。いつの間にか野次馬が集まっている。こいつらから血を搾り取れば良かったのに、とドラクルは思う。



 いやそれより、いまなら逃げられるんだけどな。さて、こういう場合はどうしたものか。ドラクルは少し迷っていた。

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