第32話 評価

 昼過ぎのエリア・エージャン商業ブロック。先般、黄金の神人が現われた騒ぎの際に切り刻まれた玄関サッシが、ようやく新しい物に取り替えられた。古本屋の主人は、やっと肩の荷が下りた、という感じで真新しい玄関を外から眺めている。


「カンザブロー・ヒトコトか?」


 その声に振り返ると、そこには五、六歳の、おかっぱ頭の子供。一丁前にジャケットを着た姿は、何とも微笑ましい。よく見ると、口がやけに大きかった。カンザブローは膝に手をついて、子供の顔をのぞき込む。


「どうした坊や。オジサンに何か用か」


 自分の名前を知っているという事は、おそらく近所の子供なのだろう。いままでに見た記憶はないが、まあ店の前の道を通る人間を、みんな覚えている訳ではないからな。そう思っていると、子供は一つうなずき、こうたずねた。


「ケルケルルガを知っているか」


 ケルケルルガ。何だろう、それは。最近流行っているのかな。……ん? 待てよ、ケルケルルガ? ケルケルルガと言ったか、この子。


「坊や、いまのはどこで聞いたんだい」


 すると子供は大きな口で、ニンマリと笑った。


「やっぱり知っているのか、『宇宙の口』を」


「ひいいいっ!」


 カンザブローは思わず悲鳴を上げて、のけぞった。それは本能的な理解。暗黒への恐怖と同源の感情。腰が抜けそうになるのを必死で堪えて、店の中へと駆け込む。壁の非常ボタンを押すと、一瞬でシャッターが閉まった。三分としないうちにセキュリティが駆けつけるはず。それまでここに籠もっていれば。だがそんな儚い望みが叶う訳もなく。


 ガシャン。その音に振り返ると、シャッターが大きく丸くかじり取られていた。次の瞬間、グシャッと音がして、取替えたばかりの新品の玄関サッシに大きな丸い穴が空く。その向こうでは、さっきの子供が口をモグモグさせていた。


「話の途中で逃げるものではない」


「ま、待ってくれ、私は知らん、何も知らんのだ!」


 そう叫びながら店の奥へと逃げ込む。


「その説明は理屈に合わない。何も知らない者は逃げたりはしない」


 子供は店の中にズンズンと入り込んでくる。カンザブローは震えながら、レジの隣の引き出しから拳銃を取り出し、銃口を向けた。


「止まれ! 頼む、来ないでくれ!」


 子供はカンザブローの足下にまで近付くと、足を止めた。


「ケルケルルガを知る者なら、そんな物で何が出来るはずもないとわかるだろう」


「わ、私は言語学者だ。言葉だけだ。名前しか知らない」


 恐怖に満ちた涙声。すると子供は不思議そうに首をかしげた。


「この惑星には『名は体を表わす』という言葉がある。名前が本質につながる事を知らないとは思えない」


「それは極論だ!」


 カンザブローがそう叫んだとき、店の玄関の外に、サイレンの音と赤い回転灯の明かりが。それを見て、子供はつぶやいた。


「なるほど、そうか」


 そして怯えるカンザブローを見てニンマリと笑う。


「ちょうどいい。ジュピトル・ジュピトリスに会いたいと伝えてもらいたい」


「……へ?」




 獣人の回復力の前では、アルコールも水と変わらない。それは重々承知していた。承知の上で、それでもギアンは酒を飲んだ。火のつくような酒を、浴びるように飲んでいた。酔えはしなくとも、何かをせずにはいられなかった。


 グライノの脱走について、何が起きたのかはまだ詳細が不明だ。監獄の鍵が開いた理由がわからない。しかしその後の対処は速かった。判断と指示の的確さは、ウルフェンの住民がみな賞賛した。ガルアムからも褒められた。それでも。


 砂漠の中で発見されたとき、グライノは意識を失っていた。あの強大な化け物が、打ち負かされ叩きのめされていたのだ。このデルファイにそんな事のできるヤツが居るとするなら、それは魔人か、もしくは。


「クソッ」


 ギアンはまた酒を飲む。ウッドマン・ジャックの言葉が脳裏に蘇る。


「3Jが適役だと、我が輩は思うのだけれど」


 3Jに頭を下げろと言うのか。いや、3Jだけに頭を下げるなら、別に構わない。だが3Jに頭を下げるという事は。それが意味するところは。


 ギアンは酒瓶を壁に投げつけた。厚いガラス瓶が粉々に砕けた。


「出来るものか。魔人ガルアムの息子に、そんな事が出来てたまるか!」


 そう吠えながら、もしかしたらアイツなら出来るのだろうか、とギアンは思った。




 場所はグレート・オリンポスの第三ヘリポート。そこまで来られるか、と伝えたところ、向こうは簡単に応じた。ジュピトルが待っていると、相手は宙を飛んでやって来た。右手にカンザブロー・ヒトコトを抱えて。見た目は五、六歳の子供に見える。おかっぱ頭にジャケット姿、よく見ると口が大きい。


 子供はヘリポートの端に降り立ち、カンザブローを静かに下ろした。気を失っているように見える。その背中を、子供が軽くポンと叩く。


「着いたぞ」


「へ?」


 目を覚ましたカンザブローは、しばらく子供と見つめ合うと、突然悲鳴を上げた。


「ひいいいっ!」


 そしてオタオタと倒れそうになりながら、ジュピトルに向かって走ってくる。


「逃げるのが好きな男だな」


 子供は呆れたように言った。ジュピトルは問う。


「君は何者だ」


 背後にはナーガとナーギニー、そしてムサシが身構えている。子供は少し考えて答えた。


「我はケレケレ。『宇宙の口』ケルケルルガの化身の一つであって本体ではない。この場合は、こう言えばわかりやすいのだな」


「それはつまり、イ=ルグ=ルの仲間だという事か」


 ジュピトルの言葉にケレケレはうなずいた。


「理解が早いな。さすが『運命の子』だ」


 ナーガとナーギニーがジュピトルの前に出る。その目が光る。ナーガが捕まえ、ナーギニーが内側から破壊する、はずだった。だがケレケレは口を開けた。大きく開けた。


 ばくん。


 音を立てて口が閉じられたとき、ナーガとナーギニーの額の内側に激痛が走った。


「っ!」


 二人は声も上げられず、膝を屈する。ケレケレは言う。


「我に思念攻撃は通じない。脳が破壊されるだけだ、やめておけ」


 そしてムサシを見た。


「物理攻撃はもっと通じないぞ」


 機先を制されて、ムサシはたたらを踏んだ。しかしケレケレには何かを仕掛けてくる様子がない。


「君の目的は何だ」


 怪訝な顔のジュピトルに対し、ケレケレはニンマリと微笑んだ。その視線が上がる。


「ほう、空間圧縮か」


 ヘリポートの隅に、不意に人影が三つ現われた。それに向かってケレケレは声をかける。


「我はケレケレ。『宇宙の口』ケルケルルガの化身の一つであって本体ではない。これは三度目の説明だ」


 影の一つがたずねた。


「俺の事を知っているのか」


「デルファイの3J。二人目の『運命の子』だな」


「なるほど、探す手間が省けたようだ」


 3Jは一歩前に出る。ジンライとズマは身構えているが、焦って攻撃を仕掛けるような様子はない。ケレケレはそれを見て、ジュピトルに視線を戻した。


「おまえの問いに答えよう。我はここに、評価のために来た」


 ジュピトルは眉を寄せる。


「評価? 何の評価だ」


「イ=ルグ=ルを殲滅するに当たって、この惑星の生物が存続させるに値するかどうか、おまえたちを基準にして評価する」


 その言葉は驚愕をもって受け止められた。様子が変わらなかったのは、3J一人だけ。


「イ=ルグ=ルを殲滅? 仲間じゃないのか」


 ジュピトルの言葉に、ケレケレはこう言った。


「同じシステムの中で互いに影響し合い干渉し合う存在を、仲間と呼ぶのは適切だ」


「じゃ、どうして殲滅するんだ」


「システムの目的を外れて暴走した存在は、リセットせねば全体に悪影響が及ぶ」


「君一人でイ=ルグ=ルを倒せるという事なのか」


「我が倒す訳ではない」


 ケレケレは首を振る。


「ケルケルルガはあらゆる物を飲み込み、すべてを無に帰す。この惑星ごとイ=ルグ=ルを消滅させるのが、最も単純で確実な方法と言える」


「そんな、ムチャクチャな」


「だから評価する、と言いたい訳か」


 3Jの言葉に、ケレケレはうなずいた。


「理解力が高くて助かる」


「もし仮に」


 感情のこもらぬ、抑揚のない声。


「この星の生物に存続させる価値があったならどうする。その場合どうやってイ=ルグ=ルを倒す」


「それはおまえたち次第だな」


 ケレケレは平然と答える。3Jは問う。


「イ=ルグ=ルの居場所がわかるのか」


「わからない。本来そういう索敵能力に秀でているのが宇宙の鼻たるイ=ルグ=ルだ。ケルケルルガにそのような能力はない」


「つまり、イ=ルグ=ルを探すのも、ヤツと戦うのも、俺たち次第という事か」


「そうなるな」


「回りくどい」


 さすがの3Jも、ため息をついた。ケレケレは意外そうな顔をした。


「はて、正確で的確な言葉を使っていると思うのだが」


「神の次元で話すな。人間世界では人間のレベルで話せ」


「それは難しい注文だな」


 ケレケレは本当に難しそうにそう言う。そしてこう続けた。


「他に何か聞きたい事はあるか」


 その言葉に、3Jは即座にたずねた。


「耳と目について教えろ」


「ほう、それも知っているのか」


 これにはケレケレも驚いたようだった。


「『耳が来る、目が来る、世界は閉じる』とはどういう意味だ」


 それはカンザブローが集めたイ=ルグ=ルの言葉の一つ。ケレケレは答える。


「言葉通りの意味だ。耳と目と鼻が揃えば、時間と空間を閉鎖する事が可能になる。そうなれば、この惑星は永劫の輪の中に閉じ込められる」


「もしそうなれば、どうなる」


「どうにも出来ない。閉鎖した空間ごと、ケルケルルガが飲み込むしかないな」


 当たり前のようにそう微笑んだ。


「目と耳が地球に到達するのはいつ頃だ」


「正確な時間はわからないが、そう遠くはないだろう」


「そうか」


 3Jは考え込む。その様子に、ケレケレは興味深そうな顔を見せた。


「ふむ、自分たちをどう評価した、とは聞かないのか」


「価値はある」


 3Jは言い切った。


「価値がないのなら、とっくに俺が滅ぼしている」


 ケレケレは呆れたように笑った。


「なるほど、聞くまでもないか」


 そしてジュピトルに視線を移す。


「異論はあるかな」


 ジュピトルは少し不満がありそうな顔でたずねた。


「異論はないけど、僕らがイ=ルグ=ルと戦うとき、君は協力してくれるの」


 その問いには、3Jが代わって答えた。


「それこそ、聞くまでもない」


「なるほど」


 ジュピトルは小さく微笑む。ケレケレも感心したようにうなずいた。


「うむ、まあこんなものか。では最後に」


 後ろを振り返ると、上空高くに目を向けた。


「おまえの質問にも答えてやろう。下りてこい」


 その声に応じるように天空高くから下りてきたのは、真っ赤なセーターに、たなびく黄色いマフラー。白い息を吐きながら、夜の王は昼間の世界に現われた。

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