第31話 化身
夕暮れ時、エリア・エージャンの貧困区域の片隅。人通りもない歩道の端にシートを広げ、粗末な土産物のような物を並べて売る男が一人。小さな衣装ケースのような箱の上に、ボンヤリと座っている。そこに近付く人影。痩せこけた陰気な女。しゃがみこむと商品を一つ手に取り、こうたずねた。
「これ五つある?」
男は答える。
「ここにあるだけなんですよ、お客さん」
すると女はポケットから四つ折りにした札を出した。
「じゃあ三つちょうだい」
この時代に現金を持ち歩くのも珍しいが、会話が会話になっていない。しかし男はうなずくと腰を上げ、座っていた箱の中から小さな紙包みを取り出した。それを女に渡し、現金を受け取る。
「またどうぞ」
女は早足でそこを立ち去ると、しばらく歩いた。やがて見慣れたビルの陰、細い路地に入る。ここなら誰も来ないはず。紙包みを震える手で慎重に開くと、中には白いカプセルがギッシリと詰まっていた。
「おい、そこで何やってる」
野太い声に女が振り返る。そこには背の低い太った男と、背の高い痩せた男の二人組。揃って同じ柄のジャケットを着込んだ、見事なまでの凸凹コンビ。ノッポは女に近付くと、いきなり紙包みを奪い取った。
「あっ」
それをチビに見せる。大げさな顔で驚くチビ。
「おいおいおい、コイツ、
「返して、それは」
取り返そうとする女の首を、ノッポが片手で締め上げる。チビが笑う。
「俺っちのシマで薬なんぞ持ち歩いて、タダで返せってか? そりゃあないだろ」
と、そのとき。
「それは理屈が理解不能だ」
「あん?」
チビが振り返ると、そこには子供がいた。五、六歳の、おかっぱ頭の全裸の子供。よく見ると、口が大きい。
「なんだこのガキ。あっち行け!」
チビが怒鳴る。すると子供は口を開いた。開いた。開いた。大きく開いた。
ばくっ。
子供はチビの頭にかぶりついた。いや、頭部を口に含んだと言う方が正確か。チビは子供を引き剥がそうと暴れる。ノッポは慌てて子供の体をつかみ引っ張った。
スポン! 音を立てて、子供の口からチビの頭が抜ける。しかしチビの目は焦点が合わず、フラフラと倒れ込んでしまう。慌てて駆け寄るノッポ。チビに反応はない。怒りに満ちた目でノッポが振り返った、と思ったら。
ばくっ。
おかっぱの子供は、今度はノッポの頭に食いついた。ノッポも暴れる。ジタバタと必死になって子供を引き剥がそうとしたが、やがて力尽きたように倒れてしまう。ぷっ、と子供はノッポの頭を吐き出した。意識を失った凸凹コンビを前に、子供は落ち着いた口調で言った。
「なるほどなるほど。人間の理屈が少しわかった」
子供が振り返ると、女が放心してへたり込んでいる。子供は大きな口で、ニッと笑った。
ばくっ。
ジュピトル・ジュピトリスは一応企業家でもある。もちろん実務はすべて各社の社長以下従業員が執り行っており、ジュピトルは名義だけの会長職を何社か兼務しているだけなのだが、それでも事業のおおまかな進捗状況くらいは頭に入れねばならない。
夕食後、自室で各社から上がってきた報告をナーガに説明されながら、しかしジュピトルは上の空だった。
「ジュピトル様?」
「……ああ、ごめんナーガ。ちょっと休もう」
額を抑えてため息をつくジュピトルに、ナーギニーが紅茶を出す。
「まだご心配ですか?」
名前を出さなくとも、それがプロミスの事を指しているとジュピトルにはわかる。そこに複雑な感情がある事も。
「そうでもないんだ」
だがジュピトルは首を振った。
「確かに3Jは乱暴だし、やる事はムチャクチャだ。でも」
その遠い目に何が映っているのか、それはナーガにもナーギニーにもわからない。
「僕は、信頼していいんじゃないかと思う」
そう言って小さく微笑んだ。
「では、他に何か心配事があるのですか」
ナーガの問いに、ジュピトルは困った顔で笑った。
「3Jを信頼するのなら、僕はイ=ルグ=ルと戦わなければならないよね」
「ああ」
それは確かにそうかも知れない。
「でも戦うとして、さあどこから手をつければいいのやら、ってね」
それはあまりにも途方もない戦い。何せ相手は限りなく神に近い存在。いったいどうすれば戦えるのかすら思いつかない。だが一つだけ間違いのない事がある。
「3Jは、これをずっと考えてきたんだ」
果たしてどんな気持ちでいままで考え続けて来たのか、これまた途方もない。その想像を絶する強い思いに、間抜けな自分は答えられるだろうか。答えるために、まず何をすべきなのだろう。おそらく、正解はない。真っ暗な荒野を、手探りで走るしかないのだ。その恐怖に打ち勝てる勇気ある者だけが、前に進める。3Jと共に。
夜も更けた。もう今日は客も来ないだろう。店先を片付け始めようか、そう思って外に出てみると。
「おまえが『運命を見つめる者』ノルンか」
低い位置からその声は聞こえた。店先の明かりの中に、ポツンと立つおかっぱ頭の子供。よく見ると口が大きい。ぶかぶかの大きすぎる服をまとっているが、それが凸凹コンビのチビの方の着ていた服だとは、いかなノルンとて気が付かない。いや、そもそも見えない。この子供の中には、ノルンの目で見える事など何もないのだ。
「あなたは何?」
静かな笑顔で問うノルンに、子供は首をかしげた。
「その問いに正確に答えるのは困難だ」
「何故」
「おまえたち人類は、我々を正しく表現する概念を持っていない」
「なら比較的近い言葉で言い表せば?」
ノルンの言葉に、子供はこう言った。
「一般的な概念で言うなら、『神』に近い」
「まあすごい」
「より具体的な名称を上げるなら、イ=ルグ=ルの仲間だとも言える」
「あら怖い」
「ただし正確には、我らは同一ではないし同類でもない」
「難しいのね。それで、私に何の用」
「おまえの記憶を食べたい」
子供はニッと笑った。今度はノルンが首をかしげた。
「三つ質問があるんだけど、いいかしら」
「構わない」
子供はうなずく。
「じゃ、一つ目の質問。何でそんなに大きな服を着てるの。動きにくくない?」
「大変に動きづらい」
子供は答えた。
「人間の身につけていた物を拝借したのだが、なるほど、これでは大きすぎるのだな」
そう言った途端、服は縮み、体に合ったサイズに変わった。
「この程度で良いのか」
「そうね、そのくらいね」ノルンは微笑んだ。「では、二つ目の質問。あなたのお名前は?」
子供は答えた。
「我はケレケレ。『宇宙の口』ケルケルルガの化身の一つ」
ノルンはしばし考えた。
「……つまり、本体ではないという事かしら」
ケレケレは補足する。
「ケルケルルガの質量はこの惑星に比較して巨大過ぎる。接近するだけで大惨事となるだろう」
「なるほど、気を遣ってくれたのね」
ケレケレはうなずき、そしてたずねた。
「三つ目の質問は何だ。我もそうそう長話はしていられない」
「あらそうなの。じゃあ聞くけど」
ノルンは平然とこう言った。
「私は殺されるのかしら」
「生命活動を停止させる理由はない。ただし記憶の大半は一時的に消滅する。回復するには、この惑星上の時間で百日程度はかかるはずだ」
「それはそれで迷惑な話ね」
ノルンは苦笑した。ケレケレは不思議そうに見上げた。
「おまえには恐怖がないのか」
「まさか。死ぬより怖い事がたくさんあるってだけ」
「そうなのか。人間とは想像以上に複雑なのだな」
「ありがとう。人間扱いされたのは久しぶりだわ。じゃ、店のシャッターだけ閉めちゃうから、そしたら思い切ってやっちゃって、神様」
そこに見えるのは諦めではなく、どちらかと言えば清々しさ。面白い。さぞや興味深い記憶が得られる事だろう、ケレケレはそう思った。
「何かが現われたのです」
白い髪の少女、金星教団教祖ヴェヌは言った。暗闇の中、二人の補佐に体を支えられながら、遠く離れた相手に向かって思念をを飛ばす。
「何者なのかは不明です。ですが強大な力を感じます。状況を大きく変えるほどに。あなたはそれを倒さねばなりません。探しなさい、ドラクル」
「何かが現われたのよ」
バー『銀貨一枚』のマダムは言った。店の奥のキッチンにある、いまではもう使い方を知る者もほとんど居ない、黒電話の受話器に向かって。
「何なのかはわかんないの。だけど物凄い存在よ。状況をひっくり返すくらいの。あなたはそれに会わねばならないわ。探しなさい、3J」
そしてこう付け加えた。
「ノルンの気配が消えたの。飲み込まれたのかも知れないわね、あの子」
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