第12話 智を持つ者

 一週間ほどは、何事も起きなかった。いや、厳密に何も起きなかった訳ではないが、事故や事件で一人や二人死ぬのはエリア・エージャンでも珍しい話ではなかったし、デルファイでは尚更であった。


 それよりこの間、話題になっていたのは、デルファイの越境関門が破壊されたこと。何人か出てきたところを見た、というデマの加工写真が拡散され、オリンポスセキュリティがネットワーク上で指弾されたりはした。しかし実際には、デルファイから出て来ることに成功した者は誰もいない。と、建前ではそうなっている。




 エリア・エージャンの商業ブロック片隅にある、小さな間口の店。いまどき自動ドアではない、アルミサッシの引き戸。しかしクラシックなのは外見だけではない。中に入ればそこには、過去に閉じ込められた知識の山。本、本、本。狭い通路を挟んだ左右の書棚に、紙の本がギッシリと詰まっている。ここはエリア・エージャンでただ一軒の、いやもしかしたら世界最後の一軒かも知れない古本屋だった。


 神魔大戦で世界が焼き尽くされたとき、紙で出来た本もほとんどが消えた。ここに並ぶ本も、大戦以降に出版された新時代の物しかない。そもそも活字がすべてデータ化される現代において、もう紙の本は、ごく一部の富裕層のためにしか出版されていない。歴史は巡る糸車、である。そんな時代に古本屋など営んで、生計が成り立つのかと誰もが思うが、何だかんだで生き残っている、そんな店であった。


 辺りはすっかり暗くなり、人の通りもまばらになった。古本屋の主人は外に出て空を見上げた。星が綺麗だ。今日はもう客も来ないだろう、店じまいだな。東洋系の顔立ちで背が低い、六十代くらいに見える主人は再び店に入り、壁のスイッチを押した。ガラス戸の向こうにシャッターがするすると下りて行く。それがいつもの通り問題なく閉まったのを確認して、主人は店の奥にある自宅へと戻ろうとした。その目の前に。


「やあ、こんばんは」


 店の中に男が立っていた。まだ秋だというのに、目の覚めるような真っ赤なセーターを着て、黄色いマフラーを首にグルグル巻きにしている。吐く息が白く見えているのは錯覚か。


「どっから入って来た」


 店の主人の問いかけに、赤いセーターを着た青白い顔の男は、質問で返した。


「カンザブロー・ヒトコト教授ですよね」


 カンザブローと呼ばれた主人は顔に警戒心を表わす。


「……教授はとうの昔に辞めた」


「そうですか。まあボクも役職に興味がある訳じゃないので」


「いったい何の用だ」


 静かに背後に手を回すカンザブロー。腰に挟んだ拳銃を握る。


「あなたの専門家としての見解をうかがいに来たんです」


「専門家? 言語学の話か」


「いいえ」男は微笑んだ。「イ=ルグ=ルの話ですよ」


 言い終わるより先に、年格好に似合わぬ素早い動きでカンザブローは拳銃を引き抜き、赤いセーターに向けた。


「動くな! 手を挙げろ!」


 しかし相手はキョトンと不思議そうな顔をしている。


「脅しじゃないぞ! 弾は入ってる! 本当に撃つぞ! 手を挙げろ!」


 叫びながら、ジリジリと下がる。シャッターのボタンの隣に、非常ボタンがある。これを押せば、即座にシャッターは開き、セキュリティに通報されるのだ。しかしそれを見て、赤いセーターの男は小さく溜息をついた。


「質問に答えていただけないのなら、あなたの知識はボクには有害だ」


「何」


「だから死んでもらいますね」


 そのとき古本屋主人、カンザブロー・ヒトコトの背後で風が吹いた。シャッターもろとも玄関のアルミサッシが切り裂かれ、散った。思わず振り返ったそこに見た、銀色の人影。死神、そんな言葉が脳裏をよぎる。しかし再び吹いた風と共に死神の姿は消えた。赤いセーターの男の姿も消えている。カンザブローは腰を抜かしてへたり込んだ。そこに近付く影。薄汚れたマントに身を包んだ、一本足の人影。


「カンザブロー・ヒトコト。おまえの知識が借りたい」


 呆然と振り仰ぐカンザブローに、ターバンを巻き、左目以外を布で覆った異形の人影はこうたずねた。


「イ=ルグ=ルはいつ目覚める」




 夜の空をドラクルは風の速度で急上昇した。だが真下から、音の速度でやいばがきらめく。左脚が切断され、右腕が斬り飛ばされた。しかし斬られた傷跡は、次の瞬間には元に戻る。


「無駄だよ、疾風はやてのジンライ」


 ドラクルは星空を見上げた。上空には、灰色のポンチョをはためかせる銀色のサイボーグ。四本の腕が超振動カッターを構えている。その向こうには、グレート・オリンポスの先端が見える。ドラクルは微笑んだ。


「夜は王の時間だ。何度斬ってもボクは死なない」


 ジンライはそれに応じた。


「かつて3Jに問うた事がある。斬っても死なぬ相手とどう戦えば良いか」


「へえ、それは興味深いね」


「3Jはこう答えた。世界は総じて単純だ、斬って死なぬ相手なら」


 ジンライが嗤ったようにドラクルには見えた。


「死ぬまで斬れば良い」


 ジンライの姿が消えた。ドラクルも高速で移動する。だが背中が、胸が、腕が、脚が、音速の銀光に斬り刻まれる。


「どうした夜の王!」


「拙者を止めてみよ!」


「獣人の小僧を!」


もてあそんだように!」


「無念を!」


「痛みを!」


「その!」


「身で!」


「味わ!」


「え!」


 ドラクルには腕を振る余裕がなかった。言葉を発する時間もなかった。スピードが違いすぎる。延々と切断と接合が繰り返される。永劫とも思える苦痛の連続に、意識が遠のく。その脳裏に浮かぶ言葉。


【おまえは不死のまま死ぬ】


「……死ヌモノカ」


 ドラクルの赤いセーターの内側から、光が漏れ出した。強い黄金の光。やがてそれは直径十センチほどの円形を形作ると、一気に拡大し、ドラクルの全身を包み込んだ。ジンライは弾き飛ばされる。


「この光は、まさか」




 エリア・エージャンの上空を金色の光が覆うのを、3Jとカンザブローは見上げた。


「こ、この光は」


「イ=ルグ=ルの輝き」


 3Jの言葉に、カンザブローの目は、より一層見開かれた。まるですべてを記憶しようとするかの如く。


「これが、これがあの」


「ただし、偽物だ」


「へ?」


 カンザブローは間抜けな顔で3Jを見つめた。


「偽物?」


 一方、上空で一旦拡大した黄金の輝きは、急速に収束を始めた。そして光は、人型となった。黄金の神人に。


「あーっ!」


 アゴが外れるほどに驚くカンザブローに、3Jは平然と言い放った。


「あれも偽物だ」


「い、いや、だが、あれは、あれは黄金の神人」


「の、偽物だ」


「えー……」




 ドラクルの生命維持本能に反応した思念結晶は、身長十メートルの黄金の神人を、エリア・エージャン上空に顕現させた。


 街頭の防犯カメラに附属するスピーカーから警報が鳴り響き、警備ドローンが即座に避難誘導を始めた。システムはすべて正常、マニュアル通りである。だが神魔大戦終結から百年間、天災以外の脅威に直面したことのない人々は、巨大な神人の出現にパニックを起こし、大混乱となった。


 神人は音もなく降下する。このままでは自分たちの頭上に落ちるのは間違いない。みな我先に逃げ出そうとし、他人を蹴倒し、踏みつけた。その中には数多くのDの民も居た。


 けれど、神人は落ちてこなかった。中空に起立していた。そこに電磁シールドが張られていた事に、気付いた者がどれだけ居ただろうか。


 うん、と神人が唸った。その衝撃波に、周辺百メートル域内のビルの窓ガラスは砕け散った。神人は電磁シールドに気付いたのだろう、拳を振り上げ足の下を殴ろうとする。




 3Jは空を見た。高く拳を振り上げる神人ではなく、星空を見上げていた。そして。


「パンドラ」


 そうつぶやいた瞬間。


 赤い光が夜を裂いた。それは天空から神人の胸を貫き、電磁シールドまで届く。その電磁シールドを張る者と赤い光を放つ者が、同一であると知る者は少ない。


 星空からの攻撃に、思念結晶が砕けた。


 神人が絶叫を上げると、体の端々が黄金の粒子となって宙に流れ出す。やがてその姿はぼやけ、夜の中に溶け込んで行った。




 その様を愕然と見つめていたカンザブローに、3Jは声をかける。


「ビーム砲で死ぬ神など居ない」


「……アンタは随分イ=ルグ=ルに詳しいようだな」


「だが、俺の知らない事をおまえは知っている」


「それをアンタが知って、何がどうなるね」


「おまえの寿命が、少し長くなるかも知れん」


「そりゃ随分と魅力的な提案だな」


 カンザブローはブスッとした顔で答えた。



 瓦礫の中、ただ一人倒れる人影。赤いセーターに黄色いマフラー。いつ、どこから現われたのか、そのそばに赤いロングドレスの女が立っていた。


「王よ」


 女は微笑みささやいた。


「いまは引きましょうぞ」

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