第13話 神の言葉

 それは夢に見た黄金の神人。


 ジュピトリスの一族の元に、輝く人型出現の第一報が届いたのは、ダイニングルームで食事中のこと。各人の手元にモニターが現われ、セキュリティセンター長代理のトライデントが、映像を表示しながら説明する。


「全長は十メートル強、人型ですが魔人ではございません。こちらの分析システムで現段階において判明しているのは以上でございます」


 食事の手を止めることなく、ネプトニスはたずねた。


「対策は」


「地上降着が予想されますので、対地戦用ドローン大隊に出動指令を出しましてございます」


「住民の避難は」


「開始してございますが、想定より三割程度の遅れが出ております」


「急がせろ。オリンポスの責任を問われるような事態は許されん」


「ご命令のままに」


 トライデントは報告を終え、モニターは消える。そのとき、人の動く気配にネプトニスは手を止めた。テーブルの端の席から立ち上がった人影を見つめる。


「どうした、ジュピトル」


 ジュピトル・ジュピトリスは一瞬気弱な顔を見せたが、勇気を振り絞りネプトニスに顔を向けた。


「現場に行って参ります」


「ならん」


 ネプトニスの断は速かった。


「ですが」


「人には守るべき持ち場がある。おまえはジュピトリスの一族である事を忘れてはならない」


 ジュピトルの意見など、毛の先程も認めようとはしない口調。


「そんな事を言っている場合では」


「どんな場合だと言うのかね」


 ネプトニスは静かに、断固否定する。


「現場には行くべき者が行けばいい。おまえが行っても邪魔にしかならない。そんな行動を認める訳には行かない」


「何でおまえに認められなきゃならん」


 そのあざ笑うかのような声に、ネプトニスは振り返った。プルートスがワイングラスをクルクル回している。


「わざわざ危ない事に首を突っ込むなんぞ、馬鹿のやる事にしか思えんがね。だが、やりたいんなら自分の責任で勝手にやれ。誰かの持ち物じゃあるまいし、いちいち許可を求めんじゃねえよ」


「兄上は、愚かしい行動でジュピトリスの家名に傷をつけよとおっしゃるのですか」


 ネプトニスは静かににらみつけるが、プルートスはどこ吹く風だ。


「家名って物に傷がつくのかどうかすら、オレは知らんがね」


「それでも栄誉あるジュピトリス家の長兄ですか」


「ああ、栄誉あるジュピトリス家の長兄さ。結果論だがな」


「やめんか」


 ダイニングの一番奥から、地を震わせるような低い声が響く。三兄弟は視線を向けた。


 身長も恰幅も、ネプトニスを上回る堂々とした体躯をガウンに包み、幾分まばらになった長い髪を後ろに垂らす。歳を重ねたシワだらけの土気色の顔には、しかし鋭い眼光がいまも生きている。


「総帥閣下はどう思われます」


 そう、いまネプトニスの言葉に眉をひそめたこの老人こそ、神魔大戦後の新世界において一代でオリンポス財閥を成した立志伝中の人物、財閥総帥にして三兄弟の祖父、ウラノスであった。


 ウラノスはしばしネプトニスを見つめると、視線をジュピトルに移した。


「……行って来るがいい」


「はい、ありがとうございます!」


 ジュピトルの顔に明るさが差し、後ろを見ずに走り出す。ダイニングを駆け出て行く末弟を目で追うと、ネプトニスはウラノスを見つめた。


「閣下」


「良いのだ」


 そう言うと、ウラノスはスプーンでスープをすくい、口へと運んだ。そこに再びモニターが現われ、トライデントが報告する。


「ご報告申し上げます。人型は地上降着の前に消滅致しました」


 そら見た事か、そんな表情がネプトニスの顔によぎったのを、ウラノスは見逃さなかった。




 ナーギニーの操縦するヘリが現場上空を通過した。被害の大きな地域から少し離れた場所で止まり、ホバリングする。


「アキレス」


 後部座席のジュピトルは、青い髪の青年を視界に呼び出した。


「お呼びか、あるじ


「被害状況は」


「半径百メートル域内の建造物の窓ガラスが損傷。負傷者は複数。死者は現時点でなし」


「人型が消滅した理由は」


「現時点では不明。ただし人型付近で、粒子ビームが照射されたと覚しき高熱源反応を確認している」


「戦闘衛星のレーザー砲ではなく?」


「戦闘衛星は現在直上にはない」


 ジュピトルはしばし考え込むと、慎重に言葉を選ぶようにたずねた。


「……人型がイ=ルグ=ルである可能性は」


「記録に残るイ=ルグ=ルと共通点はある。よって否定は出来ない」


 背もたれに倒れ込み、ジュピトルは溜息をついた。そして操縦桿を握るナーギニーにたずねる。


「ナーギニー、君はどう思う。あの黄金の神人は、イ=ルグ=ルだろうか」


 ナーギニーは即答した。


「夢で見た黄金の神人と、とても良く似ていると思います。形だけではなく、雰囲気的な部分まで。ただ、夢の中のイ=ルグ=ルのような、思念の絶望的な巨大さは感じられませんでした」


 夢で出会ったイ=ルグ=ルが、実際のそれと同じであるとは限らない。しかしもしそうなら、今回の黄金の神人はイ=ルグ=ルではないのかも知れない。けれど。


「じゃあ、あれは何だったんだ」


 ジュピトルがそうつぶやいたとき。


「主よ」


 アキレスが言う。


「どうかした?」


 ジュピトルの問いかけに、青い髪のアキレスはこう答えた。


「着陸要請の通信が入っている」


「誰から」


「不明。発信源は月となっているが、おそらくこれは偽装であろう」


「どこに着陸しろって?」


「場所ではなく、座標の指示がある」


「思いっきり怪しいな」


「ミュルミドネスの総意としては、『君子危うきに近寄らず』という格言を提言申し上げる」


 それはもっともであるとジュピトルにも思えた。しかしジュピトルはこう言った。


「ここは、『虎穴に入らずんば虎児を得ず』かな」


「御意のままに」


 ヘリは方向を変え、指定された座標に向かった。




 グレート・オリンポスの第三ヘリポートにジュピトルのヘリが到着した。しかしローターが止まっても、誰も下りて来る気配がない。ヘリポートの担当者は不思議に思い、ドローンを確認に行かせたのだが、中には誰一人居なかった。慌ててセキュリティセンターに連絡したところ、馬鹿にした口調でこう言われた。


「ジュピトル様なら、とっくに部屋に戻られている」




「はあ……大丈夫かな」


 窓際で溜息をつくジュピトルに、ソファに座ったムサシは笑った。


「まあ何とかなるじゃろ」


「でも、ビルの中の一ブロックだけセキュリティを誤魔化すなんて」


「やってしもうたものは仕方ないじゃろうが。腹を括らんかい。なあ、おまえさんもそう思うじゃろ」


 そう向かい側のソファに座った人影に言う。薄汚れたターバンにマントの男は、うなずきもせず黙りこくり、その隣に座る小柄な男はオドオドしている。ソファの後ろには灰色のポンチョを着た銀色のサイボーグが立つ。入り口のドアの前にはナーガとナーギニーの双子が居た。


「こ、こんな所に来て良かったのか」


 オドオドしたカンザブロー・ヒトコトは、隣の3Jに問いかけたが、それに対する返事はない。ただ閉じていた左目を開け、こう言った。


「おまえが知る事を話せ。話はそれからだ」


 カンザブローは苦虫を噛み潰したような顔をしたが、事ここに至ってはやむを得ない。ジュピトルやムサシに注目もされている。小さく息をつくと、ぼそぼそと話し始めた。


「大学に居た頃、私は言語学者だった。フィールドワークが好きでな。それでイロイロやっているうちに、ぶつかったんだ。イ=ルグ=ルと」


 カンザブローは遠い目をした。


「神魔大戦のとき、イ=ルグ=ルは言葉を残していた。もちろん、正確にはそれは言葉ではない。思念だ。思考だ。イ=ルグ=ルはそれを発し、それを受信した人間が、言葉に置き換えた。そんな言葉が世界中に残ってたんだ。私は世界中を飛び回ってそれを集めた。収集し、分析し、一冊の本にまとめようと思っていた」


 そして深い溜息を一つ。


「だがそれは出来なかった。ネットワーク上に論文を上げようとすると、何故か削除されてしまう。メディアに持ち込んでも相手にされないし、最終的に自費出版まで考えたんだが、どこも原稿を受け取ってくれなかった。やがて大学にもいい顔をされなくなり、籍を失ってしまった。まったく、骨折り損もいいところだよ」


「それはどうでもいい」


 3Jは身も蓋もない事を言った。


「聞きたいのはイ=ルグ=ルの言葉の中身だ」


「我に死はなく滅びなく、ただ下の下、内の内、重力の底に眠りぬ! ……こういうヤツか」


 3Jはうなずく。カンザブローは半ばヤケになって、言葉を重ねた。


「人類によって私の力を植え付けられた、滑稽にして醜悪なるものたちに、いまこそ死の祝福を与えよう」


「宇宙の鼻、宇宙の鼻、ここにあるのは宇宙の鼻」


「人よ勝利に酔え、偽りの勝利に溺れよ。百の巡りに滅亡を夢見て」


「耳が来る、目が来る、世界は閉じる」


「永劫の輪にて待て」


 カンザブローは頭を掻きむしった。


「ああー、他に何があったか。思い出せん、もう二十年も前だからな」


 しかし、これで充分だったのかも知れない。いまジュピトルの部屋には、絶望的な空気が満ちていた。そこにあるのは、恐怖。

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