第11話 思念結晶
「デルファイに暮らす諸君。我らは金星教団、諸君らを解放し、外の世界に連れ戻すためにここに来た。もう恐れる事はない。いまこそくびきを離れ、自由を手にするのだ!」
金星教団を称する連中は、ハンドスピーカーでそう呼びかけたものの、『港』の周囲に人気はない。黒衣の男は周囲の連中に文句を言った。
「どういう事だ。ここには人間が暮らしているのではなかったのか」
「は、導師様。どうやら人口密集地からは外れているようです。少し移動いたしませんと」
「情報収集に問題がある。責任者は後日、総括せねばなるまい」
そこに近付く小柄な影。
「おいおい、おまえら」リキキマは呆れ返っている。「とんでもない事してくれたな。どうすんだ、これ」
しかし導師はリキキマの方を見ようともしない。大柄で禿頭の男が、リキキマに小銃を突きつけた。
「おい小娘、貴様はここの住人……」
その体が宙に舞う。
「かっ」
回転しながら地面に叩きつけられる男。きっと彼の目には映らなかっただろう。さっきまで自分が居た場所に立っている、黒い燕尾服を着た老人など。
「遅いぞ、ハイム」
綿菓子をちぎって口に入れるリキキマに、白い口ひげの老執事は深々と頭を下げた。
「申し訳ございません、お嬢様。ハンカチにアイロンをかけておりましたもので」
そして頭を上げ、破壊された越境関門の方を見る。
「それに致しましても、これは困った事ですな」
「まったくだ。馬鹿につける薬はないと言うが、限度がある」
そこに緊迫した声がかかる。
「おい貴様ら!」
見れば僧衣に戦闘装甲を着けた男たちが十数人、銃やロケットランチャーを向けている。
「何故我らに逆らう!」
「我々は貴様らを救うためにここまで来たのだぞ!」
口々に自分たちの正当性を主張し、リキキマたちを非難する。リキキマは軽くこめかみを押さえて溜息をついた。
「あのなあ、誰を救うって? 救える訳がないだろう」
リキキマはニッと笑った。それは絶対強者の侮蔑の微笑み。
「目の前に居る存在が、人間かどうかもわからないヤツらに」
目を開けた。柔らかい光。ランプの光。円い天井。木の天井。そして銀色の顔。
「子供の使いも満足にできぬのか」
「すま……ねえ」
ズマは小さな声でつぶやいた。腹に力が入らないのだ。表情の読めない銀色のマスクで、ジンライは見下ろしている。
「勝ち目のない喧嘩はするなと3Jから言われていたはずだ」
「すま……ねえ」
ジンライはベッドに横たわるズマをしばらく無言で見つめると、静かに背を向けた。
「断面が凍っていたので、出血がなかったのだね。だから回復は早いと思うのだけれど」
ウッドマン・ジャックの説明に、3Jは抑揚のない声でたずねた。
「どれくらいかかる」
「筋肉はもうくっついていると思うのだけれど、問題は骨と神経だね。これはくっつくのに時間がかかると思うので、いかに獣王の直系といっても、二、三日はかかると思うのだけれど」
「世話になれるか」
「ぬほほほほっ、まさか3Jからそんな言葉を聞くとは思わなかったのだけれど、まあせっかく助けたのだから、最後まで助けてあげようとは思うので」
「助かる」
そこに古い木のドアを開けて、ジンライが部屋に入って来た。
「目を覚ました」
「そうか」
布に覆われた3Jの顔も表情は読めない。ジャックは一つパイプをふかした。ドーナッツ状の煙を吐き出す。
「さてさて、ズマも目を覚ましたので、残る問題は一つなのだけれど」
視線は窓際に集中した。そこにはズマが助けた少女が椅子に座っている。少女は緊張した面持ちで、胸元を押さえている。
「ではでは、見せてもらいたいのだね、魔法の石とかいう物だけれど」
少女はうなずき、首に掛かっていた紐を外すと、胸元からそれを抜き出した。紐の先にぶら下がっていたのは、円盤。ジンライは無言で少女に近付くと、それを奪うように手にした。そしてジャックに手渡す。
真ん中に開いた穴に紐が通された、直径十センチほどの半透明の円盤。表面は平らではなく細かに波打ち、ガラスを溶かして固めたようにも見える。
ウッドマン・ジャックはしばらく左手のそれを凝視したかと思うと、不意に右手のパイプに視線を移した。
「燃えろ」
ジャックがそう言うと、燃焼音と共に、パイプから火が噴き出した。
「ふむふむ、なあるほどなるほどなのだね」
「正体がわかり申したか」
ジンライの問いに、ジャックはうなずいた。
「確かにこれは魔法の石ではないのだね。もちろんそういう風にも使えるのだけれど、本質的にはまったく別の代物だと思うので」
ジンライの銀色のマスクは表情が読めないが、焦れている雰囲気はわかった。
「ぬほほほほっ」ジャックは楽しげに笑う。「つまりこれは、『思念結晶』なのだと思うのだけれど」
「思念……結晶?」
困惑した様子のジンライに、ジャックは満足そうにうなずいた。
「そう、文字通り思念の力を結晶化した物なのだね。大昔には『賢者の石』と呼ばれた事もあると思うのだけれど」
ジャックはそれをランプの光にかざし、まじまじと見つめた。
「それにしたって、こんな大きな、と言うか、巨大な、って言うべきなのだろうけれど、こんな思念結晶は人間には作れっこないので」
3Jが問う。
「作れるとしたら、どんなヤツだ」
ジャックは答える。
「我が輩の知る中で可能性があると言えば、獣王ガルアムか」
そしてパイプを一つふかした。
「もしくは、イ=ルグ=ルだと思うのだけれど」
顔の前に白い手袋を嵌めた右手をかざし、ハイムはリキキマの前に立った。銃声がとめどなく続く。金星教団の小銃から、集中砲火を浴びているのだ。しかしオニクイカズラの繊維から織り上げた特性の服地で仕立てた燕尾服と手袋は、すべての銃弾をはじき返した。もちろん服に穴が開かなくとも銃弾の衝撃は内側まで届くはずなのだが、ハイムは涼しい顔で受け流している。
「クソッ、化け物め!」
ロケットランチャーが撃たれる。五発、六発と打ち込まれ、すべて命中した。しかし轟音と爆煙の向こうから、燕尾服の老人が静かに姿を現した。
「終わりましたかな」
襟元を少し直すと、ハイムは一歩前に出た。
「では参ります」
その動きは目にも留まらない。瞬き一回の間に三人がアゴを砕かれ宙に舞った。次の一瞬で四人が、その次には五人が打ち倒される。明らかに速度を上げ、ハイムの拳は黒衣の導師に向かった。だが、宙に舞ったのはハイムだった。
「私たち三人は、みんな金星教団で育ちました。金星教団は、表向きは普通の宗教団体でしたが、実際は金星から現われた神、イ=ルグ=ルを信仰する集団でした」
数メートルを飛び、地面に叩きつけられたハイムをリキキマは平然と眺めていた。導師に目をやると、右手を突き出し不敵な笑みを浮かべていた。
「化け物風情が、人間をなめるな」
その右手の中にある物。直径十センチほどの、真ん中に穴の開いた、半透明の石の円盤。
「我らが絶対神、イ=ルグ=ルの威光の前に、滅びよ怪物共!」
円盤が輝いた。
「金星教団のご神体は、三枚の石の円盤で、この石は手にした者に超能力を与えてくれると言われていましたが、その代わりに血を要求するのです。私たち三人は、生け贄になる事が決まっていました」
導師の持つ思念結晶から放たれた輝きは、リキキマの上半身を消し去った。残った下半身は音もなく倒れる。導師は勝利を確信した。
「お嬢様!」
ハイムは悲痛な声を上げ、駆け寄り涙を浮かべた。
「なんと……なんと……」ハイムは嘆いた。「なんとお洋服がもったいない!」
「儀式の前の夜、私たちは逃げ出しました。あの石を盗み出せばきっと逃げられる、どこに逃げよう、そうだ、デルファイならきっと追ってこられない、そう話し合って。私たちは石を盗み出す事に成功しました。一つだけ」
導師の足下から、突然白い影が湧いて出た。それが人の姿をしていると彼の視覚が認識するよりも早く、そこから伸びた手が導師の右手首を捕まえた。その小さな、か細い手の握力は、骨を砕いた。
「うがああっ!」
導師はいとも簡単に膝を屈した。だがもちろん右手首を握り潰す力は緩まない。
「おいおまえ」
裸のリキキマは、平然とこう言った。
「このリキキマ様の服をダメにした罪、軽くはないぞ」
「三つとも盗むつもりだったんです。だけどそこに赤いセーターを着た男の人が突然現われて、教団の信者にも見つかって、私たちは一枚しか手にできませんでした。でもその一枚で、三人ともデルファイまで飛んで来られたんです。やっと逃げ出せたんです。なのに」
リキキマは導師の右手にある半透明の円盤を見つめた。
「イ=ルグ=ルの威光とか言ってたな。確かに、いけ好かん気配はするが、イ=ルグ=ルにまつわる物なのか」
導師は歯を食いしばり、大量の汗をかきながら苦痛に耐えている。しかし。
「黙ってないで何とか言え」
リキキマの握力が上がった。
「いぎいいいっ! ……はい、はいそうですっ。聖神イ=ルグ=ルより賜った
「何が聖神だ、アホが。イ=ルグ=ルが何なのかも知らんで、その力を使った訳か」
そりゃあ自滅もするわな、とリキキマは思った。
「で、結局ここへ何しに来た」
「うばっ……奪われた宝物を取り返しに」
「何だ、デルファイを解放しに来たんじゃないのか」
「奪い返して逃げる際に、スムーズに逃げるには、越境関門が邪魔で」
「まあ、そうだろうな」
「越境関門は、内側からの攻撃には備えがあると、情報があったので」
確かに、外側から攻撃される事は想定してなかったのだろう。リキキマは頭を掻いた。今後は外側からの攻撃にも備えてもらうよう、向こうに要請する必要がある。何とも面倒臭いが、ともかく今回の事は、報告せねばならない。
「つまり解放云々はフェイクか」
「フェイクです。ついでです。もっけの幸いです」
段々何を言っているのかわからなくなって来た。
「とりあえず、こいつは没収だな」
そう言ってリキキマが思念結晶に手を伸ばしたとき。
「ストップ」
リキキマの全身は氷に包まれた。一瞬の後、その氷は砕かれたが、思念結晶はすでにない。リキキマは飛んだ。星の瞬く暗い空。赤いセーターに黄色いマフラーを巻いた青白い男が浮かんでいた。
リキキマは相対する。その背中には、羽ばたく鷹の翼があった。
「おまえ、何者だ」
その問いに、男は素直に答えた。
「ボクはドラクル。夜の王さ」
「面白いな、遊んでやるのもやぶさかではないが、まずそれを返せ」
するとドラクルは困ったような笑顔を見せた。
「ごめんね、一晩で二回も死ぬほど間抜けじゃないんだ」
「返さんか!」
リキキマの右手が振られ、超音速の衝撃波がドラクルを襲った。しかしそこに彼の姿はなく、ただ無数の白いコウモリが、四方八方に飛び去って行くのみ。
「ちっ、逃げやがったか」
リキキマは髪を掻きむしった。後の事を考えると頭が痛い。
「人間なのでね」
ウッドマン・ジャックは言った。
「聖域以外で生きて行けるはずもないと思うのだけれど。なのでリキキマに頼むしかないのだろうけれど、我が輩はリキキマが苦手なものでね。これは3Jに頼むしかないと思うのだけれど」
「いいだろう」
3Jは請け合った。少女は名も告げぬまま、ジャックの小屋を後にした。
聖域で少女がどう生きるのか、それは誰にもわからない。名をたずねられる
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