第七章 帰る場所 4

「それは、でも……」

 腰の柄に触れ、フォルテは言葉に詰まる。

 分かっていた。可能か、と問われれば『この剣には可能』なのだ。それは剣の『説明書』――手にした時に身体に流れ込む、使い方の知識が証明している。

 だが――それは決して『フォルテには可能』と同義ではない。

「エディス……ごめん、俺……自信がない」

 クラーケンの途方もない巨体を見上げ、フォルテは掠れ、力のない声で絞り出す。

「俺、まだこの剣を扱いきれてない。そこまでの攻撃魔法を具現化する自信ないし……それに、この剣の魔力を、あれを倒せるだけの殺傷力に練り上げられるか分からない」

 そう――魔法剣から攻撃魔法を放つには、使用者の素養も必要となる。

 ひとつは状況に適した攻撃魔法を、的確に実体化する想像力。もうひとつは魔力そのものを、効率良く練り上げる錬成力。さらに言えば魔法を的確に的に当てる技術も勿論必要で――つまり、何もかもが魔法剣を手にして浅いフォルテには、到底至らない。

 しかも敵が途方もない化け物であることへの恐れも手伝い、フォルテの意志は竦んでしまっていた。――情けなかった。人を斬って覚悟の意味を知り。大切な家族を守って生きると誓い――それなのに。その挙句、もしここにいるのが自分でなく兄だったらと、弱気に取り憑かれた頭はそんなことまで考え出してしまう。

 だが負の感情に心が崩れかけたその時、フォルテの前に飛び込み、腰の剣を抜き払った人影があった。

 弾かれたように見ると、そこには泣き出しそうな激情に顔を歪めた、シャーリーの姿。

「シャル……?」

「……起動しろ」

 消え入りそうに名を呼ぶフォルテに、シャーリーは剣の柄を強引に握らせる。

 押し切られて剣を起動すると、シャーリーはそれを再度奪い取って両手で持ち、刃を眼前にして垂直に掲げた。そうして目を閉じた直後、その身体が淡く光り、直後剣から黒い靄――いや、黒い炎のような強烈な力が一瞬で放出された。その後新たな黒炎を纏い現れ出た刀身は、見たこともないほどの闇色に艶めいている。

 フォルテが呆気にとられていると、シャーリーは力尽きた様子で腰を甲板に落とし、その場に頽れた。そして浅く息をしながらフォルテを睨んで剣を突き出す。

「魔晶石の魔力を放出し、私が分け与えられる最大限の魔力を注いだ。量にして魔晶石の数百個分は優に超えるはずだ。まして私は王族、魔力の質は保証する」

 シャーリーから受け取り、握った瞬間、剣の質が根本から変わっているのが分かった。

 手に吸い付くような柄の感覚。刀身は腕の延長のように馴染み、渦巻く新鮮な魔力は瑞々しい生命力に満ちて、胸中に言いようのない高揚感すら覚えさせる。

「これでお前の扱いが下手でも、力で押し切れる」

 シャーリーは両手を甲板に突き、苦しい吐息の下から言葉を紡いだ。

「源を単一とする、純度の高い魔力は練りやすい。上手くいった時のイメージを持って振るえば大丈夫だ」

「シャル……」

「敵が化け物だからと怯むな」

 顔を上げ、シャーリーは空色の瞳で、フォルテの黒曜の瞳をまっすぐ捕らえた。

「いいか。そもそもお前が未熟で力不足なことなど、誰だって知っている。……だから、私を一緒に信じろ。私とお前、二人分の力を信じろ。……大丈夫、ここまで来れたんだ。だから、絶対にあの化け物にも勝てる」

 シャーリーはフォルテの手に自分の手を重ね、痛いほどの力で柄を握る。

「私は、私を今まで生かしてくれた、お前の力を信じているから」

「……シャル……。……うん。分かった」

 重ねた瞳から注がれるのは、ずっと共に生き、支え合いながら時を重ねてきた、シャーリーの意志の力。

 全身に湧き上がる熱を感じながら、フォルテは頷き、剣の柄を己の手だけで握り直すと、揺れる甲板に両脚を踏み締め立ち上がった。

「ありがとう。それと……ごめん」

「そこは後で存分に罵ってやるから安心しろ。……全く、それだからお前はいつまで経っても弟なんだ……」

「……うん」

 減らず口を呟きながら、シャーリーは頽れ、そばに屈んだアリソンの腕に体を預ける。

 それを半ばまで見守り、フォルテは小さく息を吐き、剣の柄を強く握って顔を上げた。

「行けるか」

「ああ、やる。絶対やってやる」

 エディスの問いに、フォルテは強く頷く。

 洋上では怪物への砲撃が続き、高い位置で弾幕の音が響き渡っていた。

 気を逸らせるフォルテの前で、エディスは高く手を振り薙ぎ、声を張る。

「攻撃合図を出せ! この船から撃つ。射程上の船に退くよう伝えろ」

「了解!」

「行け。相棒の信頼、無駄にするな」

 響く早鐘に周囲の船が進路を開く中、エディスはフォルテに囁き、肩を叩いて送り出す。

 フォルテは揺れる甲板上を船首へ向かって走り、眼前を仰ぎ見た。

 視界の中、移動不能の残骸を残し、船が左右へ退いていく。――その先に、天を突く山のように盛り上がるのは、赤錆色の巨体。胴体は粘液に覆われ、恐らくそれが軍の攻撃の威力を削いでいるに違いない。

 ならば――と、フォルテは振るうべき力を見定める。剣の魔力は今にも暴発しそうに渦巻き、衝動を駆り立てるが、それを押さえ込み、自らの意志で答えを、覚悟を決める。

 以前、自分は魔力に煽られるまま剣を振るい、自覚なく恐ろしい結果を引き起こした。その時振るった力は、もしかしたら敵を屠る最適解だったかも知れない。

 だが、それでは駄目なのだ。

 力を欲するなら、そこに自らの意志、覚悟がなければ――いずれ何のための力だったのかも、己自信すらも見失う。

 それでは、何も守れない。

(……俺は、シャルを守る)

 その思いを源に、思い描くのはひとつの刃。

 折れず、曲がらず、そして曇らず――大切なものを、命を賭けて守り抜くための、強靱な剣。

 それこそが欲する姿。自らの求める剣たる生き方なのだと、今この時、フォルテははっきりとその形を悟った。

 刀身に渦巻く魔力を制し、フォルテはクラーケンの巨体を見据える。

 発動する術は既に定まっていた。漲る魔力は最も親しい相手のものであるせいか、いとも簡単に練り上げられ、魔力の滾る刀身を、フォルテは両手で高く掲げる。

 その時、ようやく船群の異変を察したのか、無差別に触手を振り回していたクラーケンがこちらに意識を向けた。巨体を捩り、船を、そして船首に立つフォルテを射程に捕える。

 ――それが好機と、剣と魔力、そして武人の直感が告げた。

 フォルテは剣を斜めに振り下ろし、さらに真横に向かって薙ぎ払う。

 すると軌道から鎌に似た形の輝く刃が生まれ、海面を波立たせながら、正面の怪物目掛けて疾風の如く直進した。

 それは、初めて剣の力を発動した時と、同じ技。

 だがシャーリーの魔力、それにフォルテ自身の強く具体的な意志を以て具現化された刃は、あの時の比でない、より大きい、強靱なものに生まれ変わっていた。

 ――粘液では防げないほどの力で、叩き斬る。それがフォルテの出した結論だった。

「どうだ――っ……!」

 剣を振り切った体勢のまま、フォルテは眼前を睨み据える。

 クラーケンは長大な触手を振り上げ、フォルテの身体ごと船首を砕かんと襲いかかるが――それより早く、光の刃がその巨体を直撃した。刃は粘液をものともせずに怪物の身体に突き刺さり、がぱ、と、大きく水平の切り傷を抉じ開けた。

 艦隊の誰もが見据える前で、クラーケンが体液を撒き散らしながら、その巨体を捩る。

 海上は酷く波打つが、ここまでを耐えた船群の多くは負けじと波を乗り切り、打ち鳴らされた司令艦の銅鑼と同時に、一斉に攻撃が放たれた。

 目標は、フォルテが刻んだ怪物の傷口。

 フォルテは甲板の縁にしがみつきながら、弩弓、砲撃、魔法――あらゆる攻撃が発射され、爆ぜる様を見た。炎が厚い肉を焼き、煙をあげて――勝てる――誰もがそう確信した直後、クラーケンは弾幕の中でさらに身を捩り、海面をかつてないほどに波立たせた。

「わっ――!」

 激しい揺れに、船体が軋む。

 だがあわや転覆かと思ったその時、フォルテは後方から凜、と響き渡る声を聞いた。

 振り返ることができない。だが――聞き間違えようもない。

 シャーリーが。ついさっきほとんどの魔力をフォルテに譲り渡し、身体を支えられないくらいに消耗したはずの彼が、歌っている。気の強い、負けず嫌いの顔が浮かぶほどに毅然と声を張り、その声で、荒れる海に戦いを挑むかのように。

 気丈な祈りの歌は、時に声を揺らがせもしたが、決して折れなかった。フォルテは船に捕まるのが精一杯で、ただ思いを寄り添わせて強く念じることしかできなかったが――やがて船の揺れは、ある時を境に減衰した。シャーリーの歌声も少しずつ穏やかな、それでいて朗々と響かせる調子に変わり、最後に神妙な美しい旋律を添え、そっと締め括られる。

 そうして揺れが収まっても、戦士らが心身の緊張を解くには、もう少し時間がかかった。

 辺りが静まりかえる中、フォルテは強張った首を動かし顔を上げ、ようやく周囲を見る。

 甲板はずぶ濡れで、船体は僅かな揺れにきいきいと音をたてていたが、それでも海に浮かんでいた。軋む身体を何とか動かし、どこか現実味のない気分で立ち上がって甲板の外を覗くと、視界には嘘のように凪ぎ、陽光に燦めく海面。船の残骸が多く漂う中には、先程まで暴れていたクラーケンのぼろぼろの巨体も浮いていた。

 終わった――と、痺れた頭が少しずつ理解する。

 そうして平常の思考力が戻ってきた直後、フォルテははたと大事なことに思い至り、船尾側を振り返り駆け出そうとして――身体がついてこずに甲板に転んだ。

「ぐっ……!」

 受け身も上手く取れず、疲労しきった全身を、思いきり木の床に打ち付ける。

 泣きたいくらいの痛みを堪えて顔を上げ、見ると、後方の甲板には、見知った面々の姿があった。誰もが海水に濡れ、憔悴しきっていたが、どうやら無事らしい。

 そしてフォルテはその中に、一番安否を確かめたかった相手の姿を見つけた。

「シャルっ……!」

 叫び、這うようにして皆のもとへ向かう。

 シャーリーはアリソンに支えられ、半ば横たわる格好でいた。頬の白さにぞっとしたが、規則正しく上下する胸と、唇から漏れる呼気に、無事だった――と安堵の息が零れる。

「シャル、シャル……」

 隣に屈み込み名を呼ぶと、シャーリーは薄く目を開け、首をフォルテの方へと傾げた。

「フォルテ……。やったな。私の言った通りだろう?」

「ああ、シャルのお陰だ。……大丈夫か? お前俺に魔力くれたのに、あんな歌まで……」

「大丈夫に見えるか、馬鹿……」

 悪態を吐き、シャーリーは深い息をつく。

「お前のせいだぞ。今後は私に負担をかけぬよう、しっかり魔法剣の訓練をしろ」

「うん……うん、絶対する。それで今度こそ、絶対ちゃんとお前を守る」

 フォルテはシャーリーの冷え切った手を握り、せめて自分の体温で熱を灯そうと、胸に押し抱く。罪悪感と後悔が余程酷い表情をさせていたのか、シャーリーはフォルテの顔を見て苦笑し、ばか、と今度は暖かく囁いた。

「なんて顔だ。……お前はよくやったよ。頑張った。リンにも、勝った……とまでは言い辛いが、決して負けていない。お前は私の自慢の弟だと、世界中に言ってやりたいぐらいだ。……いや、寧ろお前の望み通り、私ももう兄分は引退するべきかもな」

「なっ……駄目だよ!」

 笑って呟かれた言葉に、フォルテは反射的に言い返していた。

「シャルはずっと俺の兄分だ。それで、俺がずっと守る! ……それでいいだろ!」

「……フォルテ……?」

 シャーリーはぽかんと目を丸くする。

 数拍後、彼は堪えきれない様子で笑い出し、体の痛みに顔を顰めた。

「痛っ、……まあ、そうか。それならいいか」

「ん……うん」

 宣言した後から恥ずかしくなり、返事に照れくささが混じる。

 だが咄嗟に出た言葉は、フォルテにとっての真実だった。――結局、自分はこの偉そうで負けず嫌いで、それでいて人見知りで繊細な、たった半年歳上なだけのどう見ても体格で劣る少年を、兄分として認め、愛し、この関係を変えたくないと思っている。

 つまるところ、どこまで行っても自分は、骨の髄まで弟なのだ。

 腑に落ちると同時、何となく気の抜けた思いでいると、辺りに銅鑼の音が響き渡った。ゆっくりと、朗々と響く音に誘われ、フォルテも甲板の一同も空を見上げる。

「……戦闘終了の合図だ。敵の増援もなし、ということか」

 声に振り返ると、フォルテのすぐ後ろでエディスが辺りを見晴らしていた。

「生存者の救助も始まっているだろう。我々も行くぞ。……アリソン、シャルを船室に連れて行って休ませてやれ。フォルテは来られるなら来い」

「あっ……うん」

「……良くやったな。二人とも」

「えっ?」

 去り際に思わぬ言葉をかけられ、フォルテはぽかんとエディスの背中を見送り、固まる。

 だがシャーリーがアリソンに支えられながら身を起こす所作に気付き、我に返った。

「あ、大丈夫か?」

「何とか。……だが悪い、救助の手伝いは無理そうだ。エディスの言う通り休ませて貰う」

「ああ、気にするな。……それにしても、あの化け物、一体何だったんだろうな」

「…………」

 シャーリーは答えず、結局、二人はそのまま押し黙る。

 戦いは終わったが、疑問が全て解消されたわけではなかった。何故アレニアがカロキアを踊らせ、あんな怪物まで召還したのか――それは分からないままだ。捕虜にしたカロキア兵に尋問はするだろうが、恐らく色好い情報は得られないだろう。

「……とにかく、まずは終わったんだ」

 重い空気の中、シャーリーが静かに沈黙を破る。

「今は帰ろう。……私たちを受け入れてくれた、ロランの街へ」

「うん……そうだな」

 フォルテはゆっくりと頷く。辺りを見ると、既に仲間たちは各々動き出し、甲板からは随分人の姿が減っていた。手伝いに首肯した以上、行動しないとまずいだろう。

「じゃ、俺行ってくる。ゆっくり休めよ」

「ああ。お前も気をつけて」

「アリソンさん、シャルを頼みます」

「うん。ちょっと貧血みたいになってるだけだから、少し休めば大丈夫だよ」

 穏やかに言葉を交わすと、フォルテは傍らに抜き身のまま置いていた剣を手に取る。そして鞘に収めようとして――ふと、刀身が銀色に戻っていることに気がついた。

 首を傾げる。鎮めた覚えは全くない。……となると、考えられる原因はただ一つ。恐らく先の攻撃で、力を使い切ってしまったのだ。

(そっか。……俺と、同じか)

 妙に納得しつつ、フォルテは剣をかちん、と鞘に収めた。

 存在も知らなかった、フォルツァートの家宝の剣。最初は不気味に感じ、想像の範疇を超えた魔法の力を恐ろしく感じたこともあったが、共に戦いを乗り越えた今は、不思議と近しい存在に感じる。

 その感覚も、それを自覚して得られる充足感も、体に流れる武人の血によるものなのかも知れない。この先も共に戦うことになるだろう剣の柄を指で撫で、フォルテは笑みを零していた。

 失われた魔力も、きっとまた溜めてやれば元通り、魔法剣として力を発揮できるようになるのだろう。そしてそれには、恐らくシャーリーに頭を下げねばならないに違いない。

(何だ、剣までシャルがいないと困るのかよ……)

「どうした、フォルテ?」

「ああ、何でもない」

 思わず苦笑していると、シャーリーに不思議そうに声をかけられ、フォルテは取り繕って笑いを重ねた。そして疲れた体を奮い立たせて立ち上がり、身を翻す。

「じゃ、行ってくるから」

「……うん」

 言葉を、そして穏やかな笑みをシャーリーと交わすと、フォルテは新たな故郷となった場所へと帰還するため、陽光の照らす甲板を駆けていった。

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