第七章 帰る場所 3

「今日はまた、大した快晴だな」

 甲板で洋上の風を受けながら、シャーリーは目を眇めて遠くを眺め、呟いた。

 その後、カロキアは結局ロランの勧告を受け入れず、どころか恫喝を加えた上で湾の南から船団を攻め上らせてきた。ロランも戦闘配備を整え、街を離れた先の防衛線上に船団を展開している。

 フォルテたちは船団の中の、中規模船の甲板にいた。全体の配置としては中列辺り、魔法や飛び道具の後方支援を担当する位置で、警備隊の面々も戦力として同乗している。視線の先の最前線では軍の精鋭が乗る重武装船が並び、海上に威容を誇っていた。

 市長は後方の司令艦に、ロラン軍の軍団長と乗り合わせていた。武人でない彼が戦線に出ることは意外だったが、ロランの市長とはそういうものであるらしい。彼は出航の直前までフォルテらを気に掛けていたが、最後はエディスに託し、自らの任に赴いた。

「暑いよなあ。まあ、視界の効く状態で戦えるんだし、良しとしようぜ」

「そうだな。下手に天候が荒れて混戦になって、お前に怪我をされては嫌だし」

「えっ。いや、まあ……」

 不意打ちで心配され、フォルテは言葉を濁して視線を泳がせる。

 何となく落ち着かない気持ちになる中、後ろからエディスが声を割り込ませてきた。

「船酔いはしていないな?」

「あっ、ああ」

「調査の通りならば、戦力規模はこちらの方が上だ。何事もなければ勝利は堅いが……やはり問題はアレニアの関与だ。軍も対魔法戦の用意はしているが、蓋を開けてみねば分からん。場合によっては、お前たちにもそれなりの働きをして貰うことになる」

「分かってる。そのために来たようなもんだしな。悔しいけど、実戦じゃあんたたち本職には叶わないし、役に立てそうにないから」

「……お前も、決して筋は悪くない」

「えっ?」

 フォルテは驚いてエディスを見上げる。

「侯爵家の武術も大したものだ。実戦向きに磨く必要はあるが、それは追々見てやろう」

「え……」

 フォルテが一瞬ぽかんとし、当惑の声をあげた、その直後。

 それに覆い被さるようにして、見張りが声を張った。

「先鋒隊から合図だ! ――敵艦隊、接近!」


「……来たね」

「来ましたな」

 司令艦の甲板で、ダレンと、横に控える壮年の男性――ロラン軍団長が呟いた。

「合図灯の通りなら、数自体は予想通りか。やっぱり問題はアレニアの援助ってとこ?」

「ですかな。魔法部隊の追加程度であれば苦はないのですが」

「まあ、蓋を開けてみなきゃ、か」

 ダレンは海風避けの外套の裾を払う。

「現場の指揮は軍団長に一任する。先の戦乱から軍務にあった貴方の経験と実力を、僕は信頼している。存分に力を奮ってくれ」

「では、是が非でもその信頼に応えねばいけませんな」

「頼むよ」

 ダレンは瞳をすっと細めると、外套を翻して右手を高く掲げ、前方に浮かぶ味方船群の向こうを見据え、不敵に笑んだ。

「海と共に生きる、海洋都市の本領を――彼らに見せてあげよう」


「――お、おい! 何だあれは!」

 カロキア艦隊、先鋒の船上で、兵士が声をあげる。

 双方の船団は、南方の海上で互いの姿を発見した。

 勿論戦に先立ち、双方とも敵軍の調査は行っていた。保持する船舶の数、軍の規模――。そしてその情報は、当然現場の戦士たちにも正しく共有されている、そのはずだった。

 では――今相対する湾上に浮かぶ、あれは一体何なのか。

 把握した数を遙かに上回る、大小の船、船、船――。

「そんな馬鹿な……数が多過ぎる!」


『まず正規軍の船。それから非常時には漁業組合や貿易商組合からも、支援の船と人員が出ることになってる。それをこの右翼後方側に配置。同盟都市からも援軍は来るけど、近い都市じゃないと間に合わないかな。でもそれなりの数にはなる。それをこっちに配置。それで、まあ……見た目で圧倒できるくらいの数にはなるんじゃない?』

「……話は聞いてたけど、実際見ると凄いもんだな……」

 数日前にダレンから聞いた説明を思い起こしつつ、フォルテは洋上を見渡し溜息を吐く。

 司令艦の合図と同時に、辺りの船舶が一斉に味方の証である黄色の旗を掲げた。その数実に、カロキア軍艦の優に三倍以上。市長の話通りに船籍もまちまちながら、その全てがロランの――都市同盟の掲げる自由に賛同し、集まった者たちということになる。

「エディスさん、先鋒部隊が射程に入ります。準備を」

 緊張に張った声に振り返ると、船に同乗したリコ以来の馴染みの顔、イルベスやアリエルといった面々が控えていた。

「シャル君とフォルテ君はこっちへ。君らも一応魔法隊だから」

「頼むぞ、アリエル」

 エディスはフォルテらを一瞥し、その場に残すと、船尾側の楼甲板へと上がっていく。

 前方の洋上には味方の船群と、その先にはそれより小さく、こちらに向かってくるカロキアの艦隊が見えた。船上の誰もが敵を見据えて身構える中、司令艦から大きな銅鑼の音がひとつ、またひとつと、独特の長短と強弱を持って打ち鳴らされ、響き渡る。

 その音を聞き、操舵士が朗々と声をあげた。

「――天鷲の陣、右舷二十、全速前進――!」

 水面を揺るがす、兵士たちの咆吼。

 それを合図にロラン艦隊は陣形を左右に広げ、カロキア艦隊に襲いかかった。


 戦況は、誰の目にも圧倒的だった。

 戦いはまず弓や砲撃、それに魔法といった飛び道具の撃ち合いから始まり、やがて衝突した敵船に乗り移っての接近戦も繰り広げられていく。

 攻めるロラン軍の戦闘技術や士気の高さに加え、思わぬ数の差を見せつけられた時点で動揺したカロキア軍は、状況を立て直せずに次々と戦闘不能に陥っていった。

 フォルテらの船も後方支援に参加し、遠距離攻撃魔法や飛び道具を行使して、接近戦の頃には防御や援護魔法に役割を切り替えていった。乱戦の上に足場の安定しない海上では接近戦に攻撃魔法を使うのは危険なので、それが定石らしい。シャーリーも部隊に加わって祈歌を行使しており、エディスの言いつけで、風見鶏宜しく敵の魔法隊の動きに気を配る以外やることのなかったフォルテより、遥かに役立っていた。

 気が付けば洋上ではロランの先鋒隊が次々勝利を収め、ほとんどの敵船は破損で動けなくなるか、ロラン軍に占拠され、船上では生存するカロキア兵が捕縛されていた。

「……なあ、あれ、第二陣が来るのかな」

 フォルテは遠くの海上を見遣り、言う。

 そこにはまだ、隊列の後方に位置するカロキアの船が少なからず残っていた。あれが向かってくるというなら、今度は自分も剣を取らねばならないかも知れない。

 だが同様に船群を見た仲間たちは、一様に怪訝な顔をした。

「いや、少しおかしいな。全く動かないというのは妙だ」

「もしかして……撤退か?」

「えっ……?」

 だとすると、いささか拍子抜けするが、これで終わりなのか。

 腑に落ちず楼甲板上のエディスを見上げると、彼は仲間たちと違い、まだ険しい顔で船群を見据えている。だからフォルテもそのまま彼と同じ方へ視線を戻し――、

「――……っ!」

 次の瞬間、全身を、空気ごと世界を打ち震わすほどの衝撃に襲われた。

「……どうした坊主?」

 様子に気付いた数人の仲間が声をかけるが、フォルテはそれに反応するどころではなかった。――魔法具屋で自分の特異な体質を告げられて以後、初めて得たこの感覚。頭では分かっていたが、これが本当にそうだったのだと――今、フォルテは確信した。

 楼甲板を振り仰ぐと、険しい顔のエディスと目が合った。彼は駆け足で階段を降りると、一同を掻き分け、フォルテの隣に立つ。

「……感じたのか」

「ああ……間違いない」

 高揚感と不安に胸を冒されながら、フォルテはエディスに頷き、敵船群の後方を指す。

 ――空気が淀み揺らぎ、禍々しい群唱の響き渦巻く、その場所を。

「あの辺りだ。大勢で歌ってる。……アレニアの魔法使いが、いる」

「えっ……?」

 フォルテの断言に、仲間たちのほとんどが訝しげな顔をする。

 だがエディスは何ら疑問を表さず、鋭い瞳でフォルテの示した方を見据えた。

「あちらか。……ここまで届くなら、相当の広域魔法か、大魔法の可能性があるな。他に誰一人聞こえていないということは、余程強力な幻惑魔法で覆っているのだろうが……」

「で……でもこのような海戦でそんな広域魔法など、危険が大き過ぎます!」

 少し離れた場所に控える魔法隊の一団から、シャーリーが動揺の声をあげる。

 だがエディスは冷静なまま、一つの解を口にした。

「……危険を、顧みていないとしたら」

「えっ……」

「アレニアの目的が何であれ、魔法の行使さえ叶えば後は構わないと思っているなら……」

 エディスがそう言った直後、突然カロキア船団を中心に、海が大きく脈動した。

 立っていられないほどの揺れに、誰もが甲板上の柱や索具にしがみつく。

 そんな中、シャーリーは這いつくばりながらも祈歌を紡ぎ、両手で甲板を叩いた。その行使と同時に揺れは少し和らぎ、一同は辛うじて体を支えることが叶う。

 だがそうして彼らが洋上に見たのは、想像を絶する光景だった。


「あれは……」

 ――カロキアの船団が、海の藻屑と壊滅。

 揺れる海上には転覆した船の残骸と、投げ出された人影が浮かび、突然その中央の海面が、異様に盛り上がり始める。

「えっ……!?」

 フォルテやシャーリー、他の人間も、愕然と声をあげていた。

 盛り上がった海面が割れ、飛び出したのは、吸盤を持つ巨大な触手。

 それが水面を打ち、再び波を起こすと、続いて海面に持ち上がったのは、ぬるりと光る錆色の山のような巨体。烏賊――或いは蛸にも似た、途方もない大きさの怪物だった。

「……あ、あれは……」

「海獣、クラーケン……!?」

 警備隊の仲間が、怯え掠れた声で言う。

「ク、クラーケンって……?」

「船乗りたちの間で畏怖の対象とされる、海に棲む怪物だ。陸の者には伝承の生き物だが、海ではそれらしい目撃譚も珍しくはない。だが、あそこまでの大きさは……」

「まさか、さっきの歌があの化け物を?」

「……あり得なくはない」

 エディスの説明を受けてのフォルテの問いに、シャーリーが青ざめた顔で答える。

「あれが深海に棲息していたというなら、祈歌で刺激し呼び覚ますことは可能だ。……だがそこまでだ。あんな怪物と同調して操れる術士など、伝説上にしか存在しない。現に、カロキアの艦隊は壊滅した……」

 そう、味方の安否を顧みなければ、海上での大魔法行使は可能。だが召還を行った船も、怪物の浮上で間違いなく崩壊している。これはアレニア勢にも自殺同然ではないか。

 船上が混乱に覆われる中、司令艦の銅鑼が鋭く鳴り、飛び道具が一斉に怪物を襲った。それは次々とクラーケンの巨体に命中し、多少の傷を負わせるには至ったが、どれも致命傷にはならない。クラーケンは痛みに呻くような、鳴き声ともつかない音で辺りの空気を震わせると、巨体に幾つも生えた触手を振り回し、海面に叩き付ける。それだけで海は大きく揺れ、前方の船が幾つも転覆した。

 艦隊は繰り返し攻撃を放つが、足止めこそすれ、途方もない巨体は沈まない。その間にも触手の攻撃が転覆したカロキアの船を割り、前線のロランの船の舳先を砕く。フォルテらの船は辛うじて転覆を免れていたが、攻撃すらままならない状況だった。

「ど、どうすんだよ、このままじゃ……!」

 揺れる甲板に膝を突いたまま、フォルテはエディスに叫ぶ。

「……個々の攻撃が薄い。化け物が弱るまで弾幕を張るのでは、その間に被害が拡大する」

 エディスは索具を掴んで立ち上がり、クラーケンを、それからフォルテを見た。

「一点突破できる、図抜けた破壊力が必要だ。……俺が言いたいことは――分かるな?」

「っ……!」

 睨むようにこちらを見据え、言い放たれた言葉の意味を悟り、フォルテは息を飲んだ。

「その魔法剣にリコで見た以上の出力が可能なら、致命傷を狙えるかも知れん。かつての戦乱でアレニアの魔法部隊と渡り合った将軍の武器、試す価値はある」

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