第七章 帰る場所 2

 その後シャーリーの回復を待ち、二人は市長に正式な面会の申し入れを行った。

「お話、受けさせて頂きます。私たちを、貴方とロラン市の保護下に置いて下さい」

 最初の日と同様、市長執務室のソファで対面し、二人を代表してシャーリーが言う。

「そう。……やっと、決めてくれたんだ」

 ダレンは穏やかに言うと、二人を順に見て、優しく笑った。

「当然、僕の方に異存はないけど。何か条件があるなら、今のうちに聞いておこうかな」

「最初のお話の通り、私たちを政治的に利用する……ということはないのですよね?」

 大事なことながら、念押しには罪悪感があるようで、シャーリーの語気は弱い。

「うん。寧ろ僕は、いつか君たちの方がロランの後援を必要とする可能性の方が高いと思ったけど……それはその時だね。他には?」

「……二人で、話したんですけど」

 口籠もるシャーリーから対話役を引き継ぎ、フォルテは背筋を正して身を乗り出す。

「不躾かと思いますが……私たちに勉強の機会を与えてくれませんか」

「勉強?」

 一人称まで改めたフォルテに、ダレンは妙な微笑ましさを含む視線を向け、問う。

 フォルテは少し動揺したが、負けじと気を張った。

「はい。私もシャーリー王子も、今は、誰かの庇護がなければ何もできない弱い存在です。だから生き抜くための力を得たい。それで……もし可能なら、市長のもとで働きたいんです。私は剣が使えますし――」

「私は、また市長の仕事をお手伝いしたいです。勉強をさせてください」

「……凄いことだねこれは。王子様と貴族様が社会勉強のために働きたいって」

 ダレンは冗談めかしつつ、感嘆の溜息と共に呟いてから、笑い混じりに頷いた。

「でもまあ、分かったよ。教育を受けさせるのも、子供を保護した以上は重要だしね。そこはちゃんと考えておく」

「ありがとうございます」

「まあ、あまり固くならないでいいよ」

 畏まるフォルテと、隣で礼をするシャーリーに、ダレンは手を振り笑う。

「新生活なんて始めてみなきゃ分からないからね。不都合にはその都度対処すればいい。それに、……うん、何というか……」

 不意にダレンは視線を遠くに投げ、苦笑を浮かべる。それにつられるように、部屋の空気が周囲の護衛も含めてふわりと微妙なものに変化したのに、二人は気付いた。

「ちょっと忙しくなりそうでね……。君たちには少し不便を強いてしまうかも知れない」

「……どういうことですか?」

「カロキアが……ロランに対してまさかの戦闘準備中」

「えっ?」

 辟易した苦笑いで告げられた内容に、二人は思わず間の抜けた声をあげてしまった。

「まあその、シャル君が休んでいる間に色々あって……。簡単に言うと、カロキアがラングから物資の面で戦争協力しろって言われて、困窮してるもんだから、うちに完全にあっちの得にしかならない条件で交易しろって言ってきたのね。で、断ったら、なんか力で脅すことにしたみたい。まあ……代替わりが良くなかったのかなあ。あそこは」

 ダレンは首など掻きつつ言うが、フォルテたちは愕然とした。

「あ、でも例の街道の防衛は大丈夫そうだから安心して。アレニアの襲撃がラングの心ある貴族さんの耳に届いて、あっちからも圧力と介入があってね。今は辺境にラングとカロキアの合同部隊が駐屯してるみたい」

「そ、それは良かったですが……。ってことは、この街も戦争になるんですか?」

「いや、そこまで泥沼にする気はないと思う。戦うにしてもちょっと脅して言うこときかせようとか、その程度の発想じゃないかな。旧来の政治体制を敷く国からは、都市国家は大抵甘く見られてるから」

「でも、戦う可能性はあるのですよね?」

「そうだねえ……。一応、情報の露呈を仄めかすとか、忠告してみるとか。段階は踏んでみるけど、そもそもそれで聞き入れるようならこんな馬鹿げた行動はとらないだろうし……。まあでも、君たちは心配しなくていい」

 呆気にとられる二人に笑顔を向け、ダレンはきっぱりと言った。

「戦乱の時代には、こんなことは珍しくなかった。でもその頃からこの街はちゃんと防衛してきたし、そうでなきゃ都市国家として独立なんてできてないよ。……情報によると、あちらはユニス湾上の海上戦力を整えているらしいから、海戦になると思う。街に入れずに追い返してみせるから、安心して」


「何か……これは想像してなかったな」

 市長との話を終えた後、二人はシャーリーの部屋のソファで呆然としていた。

「市長は随分、自信がありそうだったけど」

「資料によれば、ロランは一度もユニス湾の防衛線を破らせたことはないらしい」

「じゃあ……そんなに心配しなくていいのかな」

「戦が起きること自体、心配ないとは言えないだろうが……そう判断するのが妥当なのだろうな。我々は邪魔にならないよう、大人しくしているのが賢明だと思う」

「うん……でもさ。市長の態度、何か引っ掛からなかったか?」

「引っ掛かる? 何が?」

「いや、上手く言えないんだけど、何か誤魔化してそうっていうか……。でも、俺が疑い深くなってるだけかも知れないし、ここはお前の言うとおりに大人しく……ん?」

 扉を叩く音がする。シャーリーが開くと、そこにはエディスが立っていた。

 そういえば、彼は先の面会には珍しく同席していなかった。市長に尋ねたところ、戦支度のために動いているとのことだったが――。

「話がある。お前たち両方だ」

 淡泊に言うと、彼はソファの対面に椅子を引き、腰を下ろして二人と向き合った。

「戦の話は聞いたな。……市長は、どこまで話した」

「えっ?」

 不自然な問いに先程の違和感が蘇り、フォルテはシャーリーと怪訝な視線を交わす。

「えっと……カロキアがロラン相手に戦の準備をしてるってこと。支援させるための脅しだってこと。海上での防衛戦になること。それで……俺たちには心配しなくていいって」

「……やはり、そこまでか」

「えっ? なんだよそれ、どういう――」

「この戦は、カロキアの独断ではない。裏でアレニアが糸を引いている」

「……え?」

 思わぬ名前に、フォルテの顔が強張る。

 シャーリーを振り返ることはできなかったが、恐らく彼も似たような状況だったろう。

「アレニアの使者が、カロキア軍部に影響力のある貴族と密談を重ねていたことが掴めている。どうもリコの事件をきっかけに、取り込まれた派閥があるようだ。カロキアは現状貴族共が利権を奪い合って政治は機能不全、恐らく国全てではなく、何らかの利益誘導に乗った勢力があるのだろう」

「え、ちょっと待て、じゃあこの戦いは……」

「落ち着け。即アレニアとの戦い、ということにはならない」

 眩暈すら覚えかけたフォルテ、そしてシャーリーを順に見て、エディスは強く言う。

「今回アレニアは表に出ていない。現時点でロランとの敵対を表明する気はないはずだ。何を考えてカロキアを煽ったのか、引き続き調査は必要だが」

「市長は……それを私たちに伏せて? 私がアレニアの人間だから……?」

「否定はしない。だがこちらもそこまでの情報が入ったのはつい先日で、対応を整理しきれていなかったのは事実だ。だから市長もつい伏せてしまったのだろう。……そして、問題はここから先だ」

 エディスは一つ呼吸を置き、絶句する二人の少年をそれぞれ見てから、続けた。

「アレニアの政治的思惑については、今後の調査課題だ。だが目の前の問題として、今度の戦で、アレニアが何らかの軍事協力をカロキアに提供している可能性を考えねばならない。その内容如何では、戦の見通しが変わる」

「なっ……!」

 フォルテとシャーリーは息を飲む。

「勿論こちらにも魔法使いはいるし、対魔法戦の備えもある。だが俺としては万全を期したい。……恐らく、市長は反対するだろうが」

 そこで言葉を区切ると、エディスはフォルテたちを見据えて背筋を伸ばし、言った。

「カロキアとの戦いに、力を貸して欲しい」

「えっ……」

「前線に立てとは言わん。だがフォルテ。お前の魔法剣、加えて幻惑魔法への耐性――。どちらも希なものだ。魔法使い相手に役立つ可能性は高い。……それと」

 エディスに視線を向けられ、シャーリーが強張った顔で膝上の手を握り締める。

「俺はお前の実力は知らない。だが、実戦に耐えうる魔力があるなら、是非協力して欲しい。……もっとも、同胞との戦いになるかも知れない以上、無理は言えないが」

「シャル……」

「……別に、お前たちの協力がなければ負ける、などとは言わん」

 動揺し、視線を交わす二人を前に、エディスは強い声で言う。

「ロラン軍の武力は本物だ。それに、お前たちは保護を受ける身。戦わずとも誰も責めはしない」

「…………」

 フォルテは無言のまま、シャーリーを見る。

 ――もし、シャーリーが躊躇っているようなら。フォルテは答えを出すことを躊躇したし、少なくともシャーリーにだけは戦いを避けさせるつもりだった。

 だがシャーリーは、フォルテの視線に一瞬表情を険しくこそしたが、唇を引結び、毅然とした顔でフォルテに頷いたため――それで、二人の答えは決まった。

「分かった。俺たちも手伝う」

「……危険がないとは言えんぞ」

 即答に近かったせいか、エディスは驚いた様子で僅かに瞠目した。

 だが念を押すその問いに、今度はシャーリーがきっぱりと答えた。

「承知してします。ですが、お世話になる以上無関係ではありません」

「さっき市長にも言ったんだけど。俺たち、強くなろうって決めたんだ。だったら、自分の居場所くらい、自分で守らないとな」

 強い決意を宿すシャーリーの声と、自らに言い聞かせるようなフォルテの柔らかな声。

 その二つを受け止め、エディスは数拍の沈黙の後、静かに溜息を吐いた。

「そうか。……自分たちでそこに至ったというなら、もう心配も要らんな」

「えっ?」

「協力に感謝する。だが時間はあまりない」

 そっと呟いた自らの言葉を押しやり、エディスは毅然と言い切る。

「まずは市長に報告する。その後は軍隊長にも伝え、作戦の再構成だ。……剣や魔法の馴らしが必要なら、訓練場を使え。だが急ぎ仕上げろ」

 一気に告げると、エディスは椅子を立ち上がり、緊張の面持ちで見上げるフォルテたちをきっぱりと見据えた。

「今後はお前たちを客分でなく、ロランの一員として遇する。――戦うぞ。我らの街を守るために」

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